2019年09月16日

2019年9月15日礼拝メッセージ ヨハネ6:15−21 「恐れることはない」

ヨハネ6:15−21      「恐れることはない」       19/9.15
【序】人生は順風の時だけでなく、逆風や嵐の時もある。その時は経験した事がないような不安、孤独、恐れに囲まれるものである。今日出てくる弟子たちも大きな嵐に直面して恐れに囲まれたが、そんな弟子たちや私たちの人生の嵐に「恐れることはない」と語られ平安を得た。この記事が語る励ましを伝えたい。

T.人生の嵐は神の深い愛から出ている
私達は人生の嵐に会うと、他人や新興宗教から「それは祟りだ、因果応報だ、心掛けが悪いからだ」とか言われて、それでなくても苦しいのに、更に悩まされる事がある。しかし聖書は違うのだ。「神は愛する者を試みられる」(へブル12:6)とある。つまり神は、この試練を通してこの人は成長してくれるであろうと思う人に試練を与えるのである。試練は神があなたを愛している印なのである。当座はそう思えないが神の計り知れないご計画の中にあるのだ。
【証】ラジオ牧師の榊原寛師の小学4年生の息子が事故で亡くなった。母親は大変な悲しみで夫にこう言った「もう私は今後微笑む事はないかもしれません」しかしその20年後、小学生の息子を事故で亡くした婦人が牧師夫人を訪ねてきた。面談の後婦人が言った「私も奥様のように微笑む時が来ますよね」と。慰めがあるとしたら同じような経験を経た人でなければできないだろう。榊原ご夫妻にとって息子を失うのは大変な悲しみだっただろうが、神は同じような経験を経た人を慰め人とされるのである。

U.人生の嵐を静める力のある方が共に歩んでくださる
キリストが「恐れることはない」(20)と言われるのは、人間がそう言うのと違う。人間がそう言っても大した力にはならないが、「嵐」を支配されるキリストがそう言って共に歩んでくださるのだからこれ以上安心できることはない。他の聖書に似た記事があり、その時は風に命じて嵐を静められたが今回は違う→マルコ6:51「そして舟に乗り込まれると風がやんだ」動揺する弟子たちの舟に乗り込まれた時、嵐はやんだのだ。別の言い方でいえば、嵐の中でキリストを心の中に受け入れた時嵐に支配されない平安な生き方ができるのだ。

V.人生の嵐も終わりの時がある
励まされるのは次の御言葉である→「舟はほどなく目的の地に着いた」(21)
私たちは人生の嵐に直面すると、この嵐はいつまで続くのかと不安になるが、
「ほどなく」目的地に着くのだ。いかなる試練も終わる時があるのだ。
【証】米国で大成功していた日本人T世の男性が第二次世界大戦で西海岸にいた日本人は強制的にアリゾナ州の収容所に連行されたが、その人の家、土地、事業全部を取り上げられた。それまでも彼は神を形だけで信じていたが、どちらかというと神+金というやり方で、神だけじゃだめ、人間、金がなければという考えだった。しかしその考えでこの結果。全てを失って自分の無力を思い知らされた。しかも収容所で病気にも罹り非常に悩んだ。そんな中、その収容所で心底神を愛し隣人のために奉仕する真実なクリスチャンに出会った、そこで不満を言う自分とは違って喜びつつ生きるその姿に心を刺され、目が開かれ、生ける神を見出し、神を信じて生きる生活の何たるかを知ったのだった。そして聖書に従って生きる生活に導かれた。心が入れ変わった数年後、収容所から出ることができたのである。しかも財産も全て戻ってきたのである。「キリストを受け入れた後、ほどなく嵐はおさまった」のである。
伝道者の書3:1「天の下では何事にも定まった時期があり全ての営みには時がある」何事にも時があることを覚えて焦らず進んでいこうではないか!
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2019年09月09日

2019年9月8日礼拝メッセージ 「ピンチをチャンスに変える神」ヨハネ6:4−14 中西正夫牧師音声で聴く。

ヨハネ6:4−14 「ピンチをチャンスに変える神」  

【序】人生スイスイとってほしいが、現実は挫折する事がある。挫折は誰も嫌なものだが、今日メッセージしたい事は、挫折、ピンチをチャンスに変える神がおられるという事を伝えたい。

今日の話はキリストがたった五つのパンと二匹の魚から5千人(女、子供を入れれば3万人は下らない)を給食されたという驚く奇跡。以前神学生の時、阪大の聖書研究会に招かれ、学生から「これって本当にあったのか?」と質問された。しかしもしこれが嘘ならこの場面にいた何万という人達が、この公文書としての聖書が書かれた時点で「ヨハネさん、なに嘘を書いているんですか!奇跡なんか起こってないでしょう!」と批判し、この書は抹殺されていた筈。しかし奇跡もさる事ながら大切なのはこの事実に示されたメッセージである。


T.挫折は人生のアウトの時ではなく新しい力への招きの時である

 この話は多くの貧しい群衆のためにキリストが食事を与えようとして弟子たちに尋ねられたところである(5)。弟子のピリポ(7)の計算では「200デナリでは足りません=200万円」(6:10)つまり金もなければ計算も成り立たない。お手上げのピンチである。しかしこのピンチにキリストの大きな奇跡を見るチャンスに導かれる。ピンチはチャンスなのだ!しかし挫折を経験すると人生そのものがアウトとしか考えない人がいる。

【例】株式一部上場の大会社の営業部長が57歳で末期がん…行きたい学校に入り、行きたい会社に就職し、就きたい地位に就き地位と財産を築きながらも、ここに来て初めての挫折を経験した。エリートコースを歩み続けて挫折を経験して挫折を全く知らずに人生為せば成る式の考えで突っ走ってきた。初めての挫折が57歳とは!「死にたくない」と最後の最後まで言い続けられた。

挫折経験は誰も嫌だが、必要でもあるのだ。挫折経験は今まで通用していた知恵と力では通用しない事を通して、新しい知恵と力で生きる為の導のステップなのだ。学生の不登校も病も挫折経験は新しい恵みへのステップなのだ


U.不足計算に支配されるな

アンデレの言葉の中にピンチをチャンスに変えるのを阻む原因有り→「ここにパン5つと魚2匹があります…けれどもこんな大勢の人々では、それが何になりましょう」(9)

良い所に気づいているが人間的な計算ばかりしている。「こんな弁当で何になる、こんな僅かで何になる」と今までの計算で不足を数え上げて嘆くのだ。

【適用】皆さんの中に、豊かな人生を計画する神がおられるのに、『不足』に縛られて『それが何になる』と諦めている人はいないか?

『才能がないから、こんな体だから、もう年だから、このハンディで…何ができる!』と自分の不足を計算し早めに人生を切り上げている人はいないか?

本当は祝福の始まりなのに、祝福の出口と間違っているのだ。 


V.神にゆだねること

「イエスはパンを取り感謝の祈りを唱えてから…分け与えられた」(11)

イエス様はその僅かなものを御自身の手に取り、それを感謝して祈られた。その時不思議な奇跡が起こった。

【適用】僅かな物、自分、環境かもしれないが、それを創造者である神の手にゆだねて祈っていく時、その僅かな物から何十倍と増えていく。  

リンゴの種を手に握っていても芽は出ない。大地に埋められてこそ命溢れる。あなたが無尽蔵の祝福の源であるキリストを救い主と受け入れ自分を主の手に握っていただく事である。

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2019年09月02日

2019年9月1日礼拝メッセージ 「情報源を変えよ」  

ヨハネ5:1−9 「情報源を変えよ」    

【序】人間は素晴らしい「神の作品」なのに、なぜ度々劣等感や失望に陥るのか?それは自分に関する悪い情報に支配されているからだ。今日登場する人は長い間病床に伏していた。勿論、病で動けないのだが、それ以上に彼は悪い情報に縛られていて動けなかったのだ。そんな闇の中にいた彼がキリストに出会い、体も心も動きだす!二つの情報をもとに考えたい。


T.環境からの情報―失望と無気力に縛られやすい

彼が少しも動こうとしなかったのは勿論38年間もの病によるが、事実はそうではなかった。→7「私が…行きかけるともう他の人が先に降りていくのです」。動けるには動けるが動く気力がなくなっているのだ。それは周りの人が誰も助けてくれないからこうなったという環境に支配されているからだ。


U.キリストからの情報―希望と生きる力をもたらす

 しかしそんな絶望の彼にキリストが声をかけられ、新しい人生が始まる。

キリストのメッセージ:

1.孤独は病気と環境の所為ではない

この男は38年間も誰からも関心を持たれず、見離されていた。それで孤独なのだと思っていたが、孤独はもっと根源的な人間の実存である。 

【適用】孤独というのは自分が病気で、内気とか、友達付き合いが下手だからという理由で孤独なのではない。人は最後まで頼りになる支えを持っていないという理由で全ての人が孤独なのだ。両親も友人もお金も地位も最後まで頼りにならない。しかしキリストこそ真の「支え」地上に生きる時は勿論、死の時でさえ見離さず天国に伴うお方!

2.回復を真実に強く求めなさい「よくなりたいか」(6)

  38年もの病気の男にこの言葉を言われたというのは、彼が直りたいという願いを失っていたという事である。彼は絶望の余り、直る希望を失っていた。キリストは彼に強い願いを起こされた。

【適用】人生の回復を求めるなら、強く求めなさい!人は希望を求めているのに、希望のメッセージに耳を傾けるよりも失望させるメッセージに捕らえられやすい。癒し主キリストが共におられる「求めよ。そうすれば与えられます」(マタイ7:7求める前から諦めない事だ!

3.不幸を人の所為にするのを止めキリストの力を信頼せよー「私を入れてくれる人がいない。もう他の人が先に入っていく」(7)そうかも知れないが、そ  

れを数えている間は何も起こらない。この思いが嫌な寝床に縛り付けている。主は「そうだよな、この世はエゴイストだよ」とは言われなかった→「床を取って歩きなさい」(8)「何と無茶な!歩けないから寝てるのに」そうではない。もう人の所為にするのは充分。新しい力で生きる事ができるのだ。

【証】ヨセフは兄達から虐待され、奴隷として売られ、そこでも冤罪で獄中に!自分の不幸を人の所為にしようと思えば幾らでもできた。しかしそうせず神への信仰で乗り越えた→5020。大臣になった事よりも不幸を他人の所為にせず、未来を作り変える神を信じて進んだところが学ぶべきことだ。

posted by kbcc at 08:25 | TrackBack(0) | 礼拝