2017年11月20日

2017年11月19日礼拝メッセージ「キリスト による三つの回復」ルカ6章20節音声で聴く。

ルカ6:20            「幸福な人」            17/11.19

【序】今日の聖書は私が初めて高校生の時に読んだところ。全く意味が分からなかった。マタイ5:3にも同じような御言葉があり読んでみると「心の貧しい者は幸いです」と。なぜ心が貧しい人が幸せなのか?むしろ物質的に豊かな人とか、心の豊かな人が幸いと言われたらわかるが、その逆!やがてこの意味が分かるようになった時、この御言葉はキリスト教の中心であり、また幸せにもなれることがわかった。それをお伝えしたい。


T.世の幸福の特徴

一般的に幸福というと→地位、富、能力、ルックスが良い事を考える。でもこれらの幸福は長続きせず、もっと凄い人が現れると、急に自分の幸福が萎んでしまう。

 【証】星野富弘の証…「周囲の人が不幸になったとき、自分は幸福だと思い、他の人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。自分は少しも変わらないのに、幸福になったり、不幸になったりしてしまう、そんなフラフラした自分の心に気づいた」(テストの点、昇進、家建築、金…)

※だからこの種の幸福だけ求めているなら死ぬまでフラフラして生きねばならない。


U.「貧しい者は幸いである」の意味

 @「自分が心の貧しい者だという事を知っている人は幸いです」(「現代人の聖書」訳)

  【例】夫「僕のような我が儘な者の為によく支えてくれたね。ありがとう」

        妻「私も素直でない者なのによく忍耐してくれました。ありがとう」→幸福

   しかし夫「僕のような真面目で良い夫はいないぞ。教会でも一、二だ」

         妻「私が頑張ってるから我家はもってるのよ。あなたと結婚した事が不幸」→不幸

  ※自分の心の貧しさを知る事は、人間関係をも豊かにし、幸せを得る。

 Aしかしこの御言葉は、人に対してだけでなく、神の前に貧しさを知る事だと言う。

  つまり神の前に貧しい者、罪人だと知ることが幸福だ、との意味。するとある人は「私はキリストの救いを必要とするほど心が貧しくない、罪人ではない」と思う方もいるのではないか?  しかし、果たしてそうか?

 【例】良心のテスト…封筒の82円切手に消印がなかった、あなたはそれを使うか?

陰口はどうか?「私は人を傷つけた覚えはない」は本当か?あなたも他人の言葉に傷ついてもその人に何も言わないとしたら、相手もあなたに言わないだけなのだ。

罪と感じなかったのも、罪を一度も犯した事がなかったから感じなかったのか、それとも良心のレベルが低かったから罪と感じなかったのか!?ましてや神の前にはどれほど無自覚の罪があるだろうか!言葉一つで殺しうるものを持っている罪深い自分に気づけば、キリストが私達の為に死後にある罪の裁きを身代りに黙って引き受けてくださったその愛がどれほど有難い事か、わかるだろう。


V.心の貧しい者は幸いである。天国は彼らの者である

神と人の前に自らが貧しい者、罪人だという理解をする者は地上だけでなく、死後の永遠の命さえ約束されている。これは究極的幸せ!なぜなら地上で富や地位をどんなに高く持っても死んで滅びてしまい天国に行けないなら不幸せではないか?!

posted by kbcc at 19:46| 礼拝

2017年11月16日

2017年11月12日礼拝メッセージ「キリスト による三つの回復」ルカ6章6−11節音声で聴く。

ルカ6:6−11      「キリストによる三つの回復」      17/11.12

【序】長野県の温泉湯治場の庭石に「失ったものを数えるな。有るものを数えよ」とある。一つの励ましではあるが、聖書を見ると、もっと素晴らしい励ましがある。回復という神の恵みを教えてくれる。キリストこそその主である。


T.キリストは心を回復してくださる

礼拝に一人の男がいた「右手のなえた」(6)とあるが、この話はマタイ12:10もマルコ3:1にも書かれてある。そのどちらも「片手のなえた人」とあるがルカだけはその片手が「右手」であったと記している。つまりキリストがその男の右手が萎えている事を深い意味でご覧になり、それを医者ルカがキリストのお心を理解して書いたのである。というのはこの男について伝承があって次のように記している。

「私は石工で、この手で生計を立ててきました。イエス様、お願いです。恥さらしにも物乞いをすることがないように、どうか私の健康を取り戻して下さい」

この男にとって利き腕の右手が使えなくなってしまった事は彼の生き甲斐や生活そのものに関わる致命的な事であった。その不安や苦悩をキリストが右手の萎えた手に見られたのであった。キリストは心の深いところを察して下さる癒し主である。

【適用】今日礼拝に私達は集まっている。それぞれパーフェクトの体、心をもってはいない。何らかの不足や必要があろう。そして人には見えないが、礼拝に来るあなたの不足や必要のその背後にある焦り、悲しさ、寂しさ、必要を知って憐れみ、解決へ導く力ある主イエスがおられる!


U.キリストは体を回復してくださる

「手を伸ばしなさい…その通りにすると彼の手は元通りになった」(10)

聖書は精神的なことだけを語っている書物ではない。人間は三重構造(霊、魂、体)の存在で、体の病についても神は深く取り扱ってくださり癒してくださるのだ。「あなたがたが魂に幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるよ うに祈ります」(Vヨハネ2

故に憚ることなく体の癒しを神に祈っていただきたい。ただ神の癒しには二種類ある事を覚えよう。@体そのものの癒しA病を超える心の解放という癒し


V.キリストは仕事を回復してくださる

 この男の右手を癒されたことは彼がまた仕事を回復させていただいたことを意味する。神は今も変わらずあなたの社会生活に深く関心を持ち、経済の必要や仕事上の助けを下さるのである。それ故に経済を含めて具体的な生活に必要な助けを求めて祈ることは御心の中にある。しかし仕事とは何か?二種類ある。シュバイツアー博士は訪れてくる日本人達にこう言った「この世の仕事以外にもう一つの仕事を持ちなさい」。@この世の仕事―生計を成り立たせる仕事 

A神から与えられた仕事―その人に与えられた賜物が生かされ神と人に仕える無報酬の奉仕―祈りの奉仕、喜びと感謝の生活、愛の業

【証】神学生の最終学年時に導いたN(大阪府大8年生)のノイローゼと救い、卒業、就職、結婚…

posted by kbcc at 10:04| 礼拝

2017年11月05日

2017年11月5日礼拝メッセージ「キリストが来られた目的」ルカ5章31、32節音声で聴く。

ルカ5:31、32     「キリストが来られた目的」        17.11.5

明治20年代に「文学界」という作家達のグループがあった。島崎藤村や国木田独歩…。何と文学界の90%が洗礼を受けた。凄い数字だ。しかしやがてそのほとんどが信仰から離れた。理由は今日の聖書箇所の意図を理解しなかったからだと言われる。私達も間違わないようにしたいものだ。


T.キリストは誰を招かれるのか

キリストは「わたしは正しい人を招くために来たのではなく罪人を招いて…」(32a)この言葉は人を分け隔てなく愛されるキリストの言葉とは思えない「正しい人」を排除するような言葉だ。いかなる意味か?これは神の救いを必要としない程の正しい人がいるという意味ではない。そんな人はいない。この「正しい人」というのは、自分は善人であると思い込んで、自分が救われねばならない罪人であるとは思わない自称義人の事である。そういう人々にはキリストの救いは無用であるという意味だ。でも全てが神の前に正しい人ならキリストが来られる必要はなかった。


U.「罪」とは何か

これも誤解が多いので説明しなければいけない言葉である。というのは「罪」と聞くと、ほとんどの人は殺人、盗み…刑法の罪を想像するからである。だから私はそんな意味で罪人ではないとも思うのである。

罪とは何か―原語で「ハマルティア」=「的外れ」。つまり人は創造者である神によって命が与えられ生かされているのだが、その的を外して神を認めず自力で生き

ようとする生き方、これが「罪」の本質。この罪は様々な実を結んでしまう。

@行為の罪―殺人、盗み、詐欺…A心の罪―憎しみ、妬み、高慢、情欲、貪欲…B言葉の罪―嘘、怒り、罵り、バカ呼ばわり。

聖書は心の鏡といわれるが、その鏡に照らされた時、他人ではない、自分が神の前に罪人と認めざるを得ないのではないか。しかしそれは幸い!救いを得るきっかけであるからだ。【証】聖歌大好きい婦人、礼拝も夫が聞くべきと思っていたが自分の姿を知らされ…


V.救いを得る為に必要なことは何か

 「わたしが来たのは…悔い改めさせるために来た」(32b)→悔い改める事である。

 この「悔い改め」という言葉も誤解が多い。→間違った解釈は「悪い行いを改めること」(国語辞典)。聖書の教えでは、「悪い行いを改める事」と「悔い改め」とは分けて教えている→ルカ3:3と同3:8「悔い改め」とは原語ではメタ(変える)ノイヤ(思い)=「思いを変える」こと。具体的に言えば以下の基本的理解が変えられる事である。神はいないとの思い→天地の創造者、唯一の神がおられる。キリストは天才的人間→神の御子。私は罪人ではない→私は救いを必要とする罪人。十字架はユダが裏切ったから→私の罪の身代わりであった、と思いを変える事。

この悔い改めができた時キリストの招きの有難さが分かり救いを得るのである。

【証】献金で罪の赦しが決まる免罪符を売る教会に対してキリスト信仰による救いを強調したマルチンルター…

posted by kbcc at 20:08| 礼拝