2020年08月02日

2020年8月2日礼拝メッセージ「気にしなくてよい」ヨハネ福音書21章18節から22節 中西正夫牧師



ヨハネ21:18−22    「気にしなくてよい」    20.8.2
【序】先日かかりつけのクリニックで看護師に採血してもらったが、注射針を血管に入れたまでは良かったが、血を吸い取れず、血管の中で針をあちこち動かして探している。痛くてしょうがなかった…。これはもっと気にしてほしい事であるが、今日の箇所でキリストがペテロに、気にすべきでない二つの事を示された。私たちも心したい。

T.気にしなくてよい事ー「将来の憂い」
 年を取ると不自由と望まない事(苦・病)を経験する。ペテロのその後の人生は確かに苦難の人生であった。私達もそう言われたら誰もが躊躇する。しかしキリストはペテロの様な苦難の人生でも「神の栄光を表す」(19)事を約束された。将来の事を憂える場合がある。心配症の人は「大丈夫」と言われると余計に心配になるものだ。確かに大丈夫でない事も起こるかもしれないからだ。しかしたとえ大丈夫でない事が起こっても、その危機は決して自分をつぶさない、破壊しないとなればそんなに憂えることはない。そんな確かの事があるのか?ある→「神は万事を益に変える」(ローマ8:28)

U.気にしなくてよい事ー「他人との比較」
 ペテロは友人ヨハネのことが気になった。(21)
 しかし主は「それがあなたに何の関わりがあるか」(22)と言われた。私たちも他人の事が気になる時がある。特に自分の人生が上手く行かなくなる時「あの人には追い風が吹くのになぜ自分には逆風しか来ないのだ」そんな時聖書にこうある「私たちは自分自身を推薦している人たちの中の誰かと自分を同列に置いたり比較したりしようとは思いません…愚かなことです」(Uコリント10:12)
 「愚か」とは「馬鹿な」という意味ではなく、恵みを見失ってしまう事である。
 【証】開拓伝道のプレハブ時代、金剛教会を会場に関西地区で講師を招いたが、その講師は皇室伝道をしていて、ある夏軽井沢で集会をしたら、平成天皇がまだ皇太子の時、避暑で来られた、沿道の中車を止めて美智子妃が下りて来られ、その講師に「この前頂いた本ありがとう」との事、それを聞き、美智子妃に声を掛けられるなんて、難波の地下道でルンペンに声をかけられた自分とはえらい違い!と比較して落ち込んだ。しかし神の御言葉「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」で奮い立った。 
 
【結び】将来のことを憂えやすく、又他人の事が気になる私たちに対して、最も良いことをキリストは教えられた。それは「わたしに従いなさい」(19,22)である。世には従う選択肢が3つしかない。人に従うか、自分に従うか、神即ちキリストに従うかである。別表現すれば『自分の命をも守るものは他人なのか、自分なのか、神なのか』である。この三つの選択の中で、最も確かで祝福を受けるのはキリストである。信仰は失敗しないで生きることではない。ペテロの様に失敗しても良いのだ。なぜなら失敗しても立たせて下さるキリストがおられるからだ。だからキリストに従って行こう。
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2020年07月26日

2020年7月26日 礼拝メッセージ「幸福のカギ」 ルカ19章1節から10節 中西正夫牧師



ルカ19:1−10         「幸福のカギ」         20/7.26

聖書に「人間は神の作品」とある(別表現ー神はこんな人がいたらいいなあと考えてあなたを造られた尊い存在)なのに、どうして人は劣等感や自信喪失に陥るのか?それは間違った情報で自分を見るからである。情報に三つある。@外からの情報(家や社会。もし親(会社)が子に「お前はなんて愚図!出来わるいね!」と言い続けたら子(社員)はまともに育たない。A内からの情報(イソップに手の届かない葡萄を酸い葡萄と決めつけた話。勝手に根拠もないのに自分で決めつけるのだ。B()からの情報―今日登場する人はキリストに出会い、神からの情報で揺るがない幸福を得た話。


T.凡そこの世が幸福と考える地位や富を得たのに満足を得られなかったザアカイ

ザアカイ=「清い」の意味ー親の願いが分かる。しかし彼は「清さ」だけでは生きれないと掴んではいけない金も掴み、乗るべきでない話にも乗り出世街道を走った→「町の税務署長で金持ち」(2)成功者となりさぞ幸福かと思うと意外にもそうではなかった。

 1.思ったほど満足感がない

 彼は出世レースに勝ち頂点の地位と富を得たのに満足なし。なぜそれが分かる?→全く地位や富に縁が無く愛の極みのような方に会いたいと願い、大の大人が木に登ってでも一目会いたいと行動に出たことに現れている。

【例】成功者の虚しさ!NHK大河ドラマでは明智光秀が主人公だが、天下を取ったのは豊臣秀吉。しかし彼の句「露と落ち露と消えにし我が身かな。浪速のことも夢のまた夢」なぜ富と成功を得ても満足できないか?それには理由がある→「神は人の心に永遠を与えられた」(伝送者の書3:11つまり神に造られた人間はその心に永遠なる神を受け入れて満足できるのにこの世の一時的なものでは満足できないように造られているからだ。

2.人間としての寂しさー名前を呼んでもらえない(愛されない)寂しさ

「罪人」(7)と自分のいない所で言われる→愛されてないということ!stayhomeも人に会えず寂しいが、愛されない事が一番寂しい!この孤独は辛い!

【適用】サラ川柳「お犬様俺の4倍床屋代」「我が家では最強スクラム妻・娘」「メルカリで妻が売るのは俺の物」「ノー残業趣味なし金なし居場所なし」「痩せなさい腹にしみいる医者の声」「仲いいねいいえ夫は杖替わり」「デイサービスお迎えですは止めてくれ」【適用】孤独は一部の人だけか?孤独というのは、でとか、友達付き合いが下手という理由で孤独なのではない。人は最後まで頼りになる友を持っていないという理由で全ての人が孤独なのだ。両親も友人もお金も地位も最後まで頼りにならない。

 3.罪の自覚

「私がだまし取ったものは…四倍にして返します」(8)これは素晴らしい自覚なのだ。

罪を犯したことは悪だが、その自覚があるかないかが大切だ。しかし罪とは何か?聖書の罪とは行い以前に、神との関係の言葉。即ち神に造られたのに神との関係を持たずに生きる事が罪なのだ。【例】仮にあなたの子が成績優秀、品行方正で申し分ないとしても、もし親のあなたに一言も口を聞かない関係なら不幸だろう。ザアカイはこの自覚が生まれて悔い改めたのだ。行い以上に関係回復なのだ。「失われたものを探して救う為に来た」


U.揺るがない幸福を得たザアカイ

幸福ってバリバリ働ける間だけとか、健康な間だけというのではない。たとえ仕事がなくなっても病気になっても、あなたの価値を見出し死が近づいても永遠の命への希望に導くお方を持つことである。そんな方がいるのか?→キリスト!ザアカイはその方に出会った。罪ある自分を知った上でちゃんと名前を呼び、この人も失われた人だと価値を見出して下さる愛。これこそ揺るがない幸福!【証】オリンピック水泳競技の「怪物」フェルプス選手の証(次頁参照)




フェルプス選手の証

オリンピック史上最高の金メダル23(ちなみに第2位はカール・ルイス9個、ボルト8個)を取った水泳の怪物フェルプス選手の挫折と回復。

8才の時、両親離婚。父は彼に会おうとせず、自分は愛されてないと心の傷。しかし水泳で目覚ましい活躍。皆賞賛し、父に愛されないことを忘れることもできた。しかし体力の衰えと共に酒浸り、飲酒運転で二度も逮捕。英雄扱いはどん底。儚さを知り鬱病。そんな時、アメフトのスーパースターのレイ・ルイスが一冊の聖書メッセージ本を送ってくれた。内容は「人の価値はメダルの多さや実績にあるのではなく、神が「私の目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」と言われる存在そのものに価値があるのだ。その価値は犯罪を犯しても変わることはない」→そのメッセージに彼は慰められ力を見出して神と共に歩み決意をして人生を再スタートする。そしてリオ・オリンピックで最後の金メダルを獲得した。

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2020年07月19日

2020年7月19日 礼拝メッセージ「トラウマの解決」ヨハネ21章15節から17節



ヨハネ21:15−17       「トラウマの解決」      20/7.12

【序】ノーベル賞作家パールバックの夢は結婚して多くの子供に囲まれる事だったが、生まれたのは一人だけで、しかもその子は重い知的障害だった。時間が止まってしまった様なトラウマが彼女の人生を支配した。後に心癒され彼女は実に温かいまなざしで作品「大地」の中で障害者を作品に登場させている…誰でも過去に失意経験があるだろう。「あれさえなければ…」と悔やむ。世では「覆水盆に返らず」と諦めるしかない。今日は心の傷に悩むペテロをキリストがトラウマを癒し立ち上がらせるところ。私達も併せて励ましを得たい。


T.ぺテロのトラウマは何だったのか

 ペテロはキリストの一番弟子でありながら肝心なところで、自分の身の安全のために「キリストを知らない、関係ない」と言ってしまった。裏切りである!かつて「どんなことがってもあなたに従います」と言っていただけにペテロの挫折感は大きい。それを思うと、申し訳なさと自信喪失とが重なって大きなトラウマになっていた。トラウマはただ過去の傷にとどまらない。一番の問題は、何をしても引っかかって次の一歩が歩めない事だ。


U.キリストはペテロのトラウマをどう解決されたか

ペテロは大失敗をしたので仕事を取り上げられると思っていただろうが、キリストは彼の裏切を超えて、祝福された未来の使命を示された。トラウマの解決には過去の原因をほじくって分析しても傷が深まるだけでダメである。最も良い事は祝福された確実な未来を示されることである。:ヨセフも兄から虐待を受け、奴隷として売り飛ばされるトラウマを持っていたが、神によるエジプトでの祝福計画を知りトラウマは解決した。

【例】昔使われた言葉で死後の言葉がある、タイプライター。アベック→カップル→「リア充」(この世代にとっては「アベック」は死語である)天国という確実な未来の世界がある。そこでは、「悲しみ」「苦しみ」「病」は死語である。この地上の艱難で右往左往しても祝福された未来に必ず到着するなら耐えて行けるではないか!


V.使命を果たす原動力の確認

ペテロは以前「死であれ覚悟はできている」(ルカ22:33)と自信満々だったが、失敗した。人間的な情熱や自力でキリストに従おうとしたが挫折したのだ。自力だけではいつかつぶれる。そこでキリストはペテロのみならず全ての人が持つべき心構えを教えられた→「あなたはわたしを愛しますか」(15,16,17)仕事や奉仕や愛の業に必要な原動力は、神への感謝と愛なのだ。自分の熱心や相手の必要性を知るだけではつぶれる「○○さんが困っているから、△△さんを喜ばせたいから…」というのも、もし悪い反応なら行う力を失う。大切なのは人ではなく主に対してなすべきだ→「何事も人に対してではなく主に対するようにしなさい」(コロサイ3:23

【証】奉仕の在り方を学んだある教会の証…(次ページ参照)

愛知県のある教会での話

その教会で日曜日夜の伝道会のために、案内を夕方出かけることになったが、寒い北風もある中で、青年会がマイクを持って出かけることになった。町を練り回って教会に戻ってきた。紅茶くらい用意されているかと思ったが、無かったので「寒い冬の日に我々が出かけたので、紅茶くらい用意して待っていてほしいです」と文句を言った。すると、壮年の人が「そんな気持ちで奉仕をするならやめた方が良い」と言われてしまった。そして集会が始まった。青年は腹の虫がおさまらない感じだった。集会後、牧師は青年の数名に「明日会社の帰りにでも寄ってくれますか?」「はい」月曜日、数名の青年が牧師館に行ったところ紅茶とケーキが用意されていた。牧師は「昨日はご苦労様でした、これは報われてしまったケーキですが召しあがってください」「は?報われてしまったケーキとは何ですか」「実はある方のお世話をしたらお礼にと、このケーキをいただいたので。その時青年の一人が「わかりました。報いは神様からだけでい

いんですね」と。

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