2016年01月31日

2016年1月31日主日礼拝

「どこを見ていますか?」マタイ14章22−33節を聴く。

マタイ14:22−33       「どこを見ていますか?」

【序】昨年、五郎丸ポーズがとても流行ったが、プロの彼でも正確にキックして得点を上げるのは難しいらしい。ラグビーでもそうなら、人生は尚更そうではないだろうか。私たちは何を頼りに、どこを目指して歩めば良いのか、今日の箇所から伝えたい。


.新しい事に踏み出そう

主イエスが湖の上を歩かれた有名な話である。この時、弟子たちはボートを漕いでいたが、逆風に悩まされ、疲れ果てていた。そこにキリストが現れた時、彼らは「幽霊だ」と叫び、恐れおののく。キリストだと分かり、安心したものの、恐れと驚きも相まって彼らは疲労困憊していた。そんな時、ペテロが1人「水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください」とキリストに申し出る(28)。彼には未知の世界に踏み出す前向き思考と実行力があった。新しい事に踏み出すのは大切だ。

【例】電球の発明に奮闘していたエジソン。「1万回も失敗したのに、まだ続けるのか」と尋ねられ、こう答えたという。「失敗などしていないよ。私は、うまくいかない方法を1万通り発見したのだ。」【適用】2016年も今日で早1ヶ月。私たちも簡単に諦めず、新しい事にチャレンジしていこう!


.キリストから目を離してはならない

勇ましいペテロだったが、彼は沈んだ。その理由は何か?「風を見て、こわくなり…」とある(30)。キリストから目をそらし、他のものに目移りしたのだ。キリストを見ている間は真直ぐに歩けるが、目をそらすと足もとが揺らぐ。これは時代を超えて変わらない真理である。

【適用】キリスト以外のもの(地位、収入、人からの賞賛等)に目を移すなら、私たちもペテロと同じ結果を招く。この世が提供するもの(親や友人の意見、TV番組、本、専門家等)に、まず頼るべきではない。事を成す上で大切なのは「この事について、聖書は何と語っているか。キリストならどうされるか」と問うことだ。キリストを目指して歩む人生ほど確かで祝福された道はない。

【証】マイケル・チャン氏(錦織選手のコーチ):キリストに従う決心をした結果、大きな祝福を得た。


.沈んでも引き上げて下さる方を見上げよう

ペテロが沈んだ時、キリストはどうされたか。「イエスはすぐに手を伸ばして、彼を掴ん(だ)」(31)。キリストは「すぐに」御手を差し伸べ、力強い御手で引き上げて下さった。ペテロは情けない男ではなく、誰よりも恵みを体験した人である。例え失敗しても、キリストは引き上げて下さる方なのだ。

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2016年01月24日

2016年1月24日主日礼拝

「大いなる出会い」ルカ19章1−10節を聴く。

ルカ19:1−10       「大いなる出会い」

【序】TV番組に「なんでも鑑定団」がある。「お宝」を鑑定士から価値を付けてもらうのだが、数千万円という評価で大喜びもあれば百万円で買ったが偽物で5千円、聴衆の笑いを誘う→結局価値は誰が作者かが決定的。聖書によると、あなたの作者は最高に偉大な神であり、それ故あなた自身に素晴らしい価値があるのだが、今日出てくる人物は違うものによって自分を価値づけようとした人である。しかしそんな人物が真に価値づけをして下さる方と大いなる出会いをする。伝えたい。


.ザアカイが目指したもの

「取税人のかしらで金持ち」(2)―彼は成功者となって地位と富を得、それによって自分を価値づけようと生きたのだ。これは今日多くの人が求める生き方だろうと思う。凡そ人が幸福と考えるものを悉く手にした筈だが、彼は幸せではなかった。


.成功者になったのに満足できないザアカイ

@思ったほど満足感なし
彼は成功者となったが、大人げもなく無花果桑に登ってでもキリストに会いたいと思った(3,4)。キリストは全く地位や富に縁が無く愛の極みの様な方。もしザアカイが地位と富で満足していたら、どうしてもキリストに会いたいとは思わない筈。これは彼が地位やと富で満足できなかったという事。
※なぜ富や地位で自分を価値づけることができないのか?→「神は人の心に永遠を与えられた」(伝3:11)つまり神に造られた人間はその心に永遠なる神を受け入れて初めて満足できるのに、この世の一時的なものでは満足できない様に造られている。

A愛されない孤独
「罪人」(7)→愛されてないという事!人々は仕事上自分の所に来るが、人間として愛されてない寂しさ!「沸きました妻より優しい風呂の声」「壁ドンを妻にやったら平手打ち」酷い妻寝てる間にファブリース」(サラ川) 川柳なら笑えるが現実は厳しく寂しい!
【適用】孤独というのは内気とか友達付き合いが下手だからという理由で孤独なのではない。人は最後まで頼りになる友を持っていないという理由で全ての人が孤独なのだ。両親も友人もお金も地位も最後まで頼りにならない。ザアカイは堪らない孤独を感じた。

B罪を自覚し始めた
「私がだまし取ったものは…」(8) これは素晴らしい自覚なのだ。罪を犯したことは悪だが、その自覚があるかないかが大切だ。
【例】教会学校教師が生徒に尋ねた「キミは死んだら天国に行けるかな?地獄かな?」生徒「良い事をした人は天国に行け、悪い事をした人は地獄と思います。僕は良い事も悪い事も両方したので中国に行きます!」(座布団上げたい位)
しかし良い行いの人が天国に行き、悪い行いの人は地獄に行くのではない。聖書によれば「全ての人は罪を犯した」(ローマ3:23)とある。∴全ての人はそのままでは天国に行けない。ただ罪を素直に認める事が救いの始まり!ザアカイにこの自覚が生まれた。


.世の光なるキリストと生きる時人生の夕も朝となる

上記の三つの心の暗さを払拭する方に出会った→キリストである!キリストという方は ザアカイに会う以前に彼の名前と心と罪の姿も知っていた(5)しかし愛をもって彼の 名を呼び、彼の家に入り、ザアカイをあるがままで受け入れられた。救いを与えられた! ザアカイは真に自分の価値を見出し安らぎを得たのだ。あなたも主を迎え入れませんか?

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2016年01月17日

2016年1月17日主日礼拝

「天地創造」創世記1章2−5節を聴く。

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創世記1:2−5       「天地創造」

【序】先週から始まった創世記のメッセージで、聖書では宇宙が偶然によるのではなくではなく神の創造の作であることをお話しした。で、今日はその創造の第一番目は何だったのか?科学者ならずとも興味深い。この箇所はそれだけではなく、私たちの人生にも深く語りかけてくる内容をもっている。


.神の創造の第一日の業は何か

宇宙の成り立ちの記述は極めて科学的に理に叶っている。「日本初のノーベル物理学賞受賞者、湯川秀樹博士が素粒子論研究に行き詰まり聖書のここ「神の霊が・・・動いていた」(2)を読み感嘆して言ったそうだ。「これです。これなのです!宇宙の成り立ちの始まりには「神の霊の胎動」が必要なのだ」と。この「動いていた」とは「振動する」と言う意味。鷲が羽ばたいてウオーミングアップをするように、また自動車のエンジンが発車前に振動するように神の霊は水蒸気の上で振動していた。その中で第一日の業が始まった→「光があれ」(3)この「光」とは何か?この「光」は「太陽」とは異なる(なぜなら「太陽」の創造は第4日に行われる(14))。この「光」とは物質的な光ではなく「いのちの光」を意味する。つまり「生命体が活動するエネルギー」である。


.人間はいのちの光を必要とする

生命体である私たち人間もまた「いのちの光」を必要としている。体はある、息もしている。しかし人間には食べ物を口に入れるだけでなく命溢れる力が必要なのだ。
【証】高3の社会の先生が授業で「聖書に『人はパンのみにて生きるに有らず』」とあるだろう」と言われ、その時は「そうだ、ご飯も味噌汁も必要だな」とふざけて思っていたが、聖書にその後半の句があることを知ったのは、半年後教会に通ってからだった。
「人はパンのみにて生きるに非ず。神の一つ一つの言葉によって生きる」と。あなたも生き生きと喜びをもって生きる、人生の終わりである死も永遠の希望をもって終えるために「いのちの光」を必要とするのではないか?!


.世の光なるキリストと生きる時人生の夕も朝となる

「夕となり朝となった」(1:5)なぜ時間を逆にして語るのか?
イスラエルでも日本でも、一日は太陽が昇る朝で始まり夕で終わるが、聖書が示す「命の光」の世界では夕で始まり朝で終わる。この意味は→聖書の世界では、人生に「闇」があっても、神を信じる人生には「太陽が輝く朝」に至ることが示されている。キリストは「わたしは世の光です、私に従う者は決して闇の中を歩むことがなくいのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)と言われた通りである。
【証】岡井久子さん(脳性麻痺、てんかん、筋ジス)幼いとき母に先立たれ、父に捨てられ、唯一の友だった「亀」にも死なれ天涯孤独。施設のベッドで恨む日々。そんな日々ラジオを通して「人の子は失われた人を捜しだして救うために来たのです」(ルカ19:10)と語るキリストの愛と救いを見いだした。そして恨みに代えて歌を、無為に過ごす代わりにとりなしの祈りの生活に変えられた。その著『ヨブの涙』は療養者文学賞を得られた。
世の光であるキリストに出会うと人生の夕も朝となるのだ!

posted by kbcc at 13:22| 礼拝