2016年06月26日

2016年6月26日主日礼拝「耐えられない試練はない」Iコリント10:13


コリント10:13  「耐えられない試練はない」 

【序】こういう題をつけると、自分の人生はほとんど思い通りにいかず、挫折する事が多かった。やっぱり負けてしまう試練もあるのでは?しかしそうではない。それを保証する御言葉がここにある。応援歌のメッセージ伝えたい!


T.誰にもある試練現代人の四つの不安)

@健康の不安(健康診断で引っかかって…→死の不安に直結)

A人間関係の不安(近い関係の人と上手くやっていけない)

B自己達成の不安(自分の人生失敗するのではという不安)

C罪責の不安(過去の自分の中に隠している罪の不安)

※こういう不安や試練の為に死ぬ人も多くいる。しかし越え得る道がある→努力とか運勢に頼るのではなく世界で最も深い影響を与えた聖書の言葉→Tコリ10:13


U.Tコリント10:13

「神は真実な方である。あなた方を耐えることができないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に逃れる道も備えて下さる」→ここから分かる真理は:

  1. 私達を造られた愛の神は、耐えられないような試練に会わせない。もし神が耐えられないと判断されたなら、別の人又は別の機会に与えられる。故に直面する試練が大きいとしても神があなたなら耐えられると見込んだ上の試練だ。

  2. だから同じ一回限りの人生を歩むのなら、そう信じて進むことだ。その時「逃れの道」も備えられる。


V.上記聖句の体験者

 盲目のテノール歌手新垣勉さん証…生後まもなく助産婦の過ちで家畜を洗う劇薬を点眼されて失明。彼が1歳の時、ラテン系アメリカ人である米軍兵の父と日本人母が離婚。父帰国、母再婚、母方の祖母に引き取られる。「将来両親を殺し自分も死ぬ」と決意。その祖母も彼が14才の時死亡。天涯孤独、絶望し、井戸に飛び込み自殺を図るが友人に助けられる、絶望の日々、ラジオから聞こえてきたのが讃美歌、引かれて教会、牧師から聖書のメッセージを聞き、信仰によって勇気と希望をもち、西南学院神学部入学。たまたまボイストレーナーのバランドーニ師に出会う。「キミは日本人離れしたラテン的な明るい声だ。人に勇気を与える。その声はラテン系のお父さんがくれた宝物。感謝すべきだよ」と言われた。憎しみで一杯であった心が不思議な感謝さえ生まれた瞬間だった。この世に「生まれてきた意味がある」と感じられ、その後は活躍に至る。

このような人生があることを知るとき、次のことが言える。

1.試練は長いスパンで見るべきである

2.人生の悲劇も又祝福への伏線である(創世記50:20)

3.その幸福のためには自分を価値づけてくれる愛が必要である

ヨラム王(「愛される事なく世を去った」(U歴21:20)とは余りに寂しい!)

口先だけの愛ではなくあるがままのあなたを真に価値づけてくれる愛が必要。

日本公共広告機構「命は大切だ、命を大切に。そんなこと何千回何万回言われるよりも、誰かが本気であなたが大切だと言ってくれたらそれだけで生きていける)→十字架に示されたキリストの愛!


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2016年06月19日

2016年6月19日主日礼拝「希望の虹」創世記9章1-17節を

創世記9:1-17  「希望の虹」           

【序】直木賞作家で、なかにし礼という人がいる。苗字が同じだけに他人事に思えないが、歌謡界にもヒット曲を幾つも書いた人。波乱万丈の人生で、極道の兄に大金を奪われる事もしばしばだった。更に二度の食道がんの手術。正にどん底を経験してきたが、彼の作詞曲に「わが人生に悔いなし」がある。「たった一つの星を頼りに、はるばる遠くへ来たもんだ。長かろうと短かろうと、我が人生に悔いはない」 私達も人生短かろうと花が無かろうと自分の人生を生き切り「わが人生に悔いはない」と言えるなら幸い。その為には苦しみも悲しみも弱さも罪も万事を益に変える神を信じて希望を持つ事が大切。神は洪水後、虹を示された。希望の虹である。どのような希望か?


T.人生再出発の希望

箱舟から出て生活を始めるノアに語られる「生めよ。増えよ。地に満ちよ」(1)

この言葉はエデンの園でアダムとエバに語られた言葉と同じである。更に「焼き肉?焼き鳥?」(3)付き」のプレゼントまで添えて。違うのはアダムとエバはまだ罪を犯す前で、今回は罪を犯した後なのに変わらぬ祝福とは!

【例】プロ野球選手は毎年一回給料の査定を球団と行う。アップもダウンも昨年の成績次第…。

それと同じく、洪水前の人間の罪の重さを査定対象にすれば、祝福がダウンしても文句は言えない。しかし恵みは変わらない!否、更に上!神は罪の後も祝福再生の恵みを下さる!→あなたは人生の再出発など不可能だと勘違いしてないか?


U.命の価値回復の希望

カインがアベルを殺すという悲劇の後、神は殺人禁止を語られるが(5,6)、大切なのはその際の理由である→6節「神は人を神のかたちお造りになった」

【適用】少年犯罪が起こると校長先生は生徒達を集めてお話をする。人の命は如何に大切かという命の尊厳について…。しかし一向に犯罪は後を絶たない。問題は、何をもって命が大切かという事を示せないことだ。人の価値を何に根拠をおくか?成績、能力、ルックス?だからこそ自分の価値に不安を覚えるのだ。しかし人の価値の根元は「神が人を神のかたちに従って造られた」つまり人が人を殺してはならない理由は、神がその一人子をお与えになる程に人を愛して下さるという神のかたちがある所に人の価値と尊厳がある。こういう話になると宗教の話という事で処理されるが、人の価値を定めるのに人間存在の根源を語る事なくして有りえない。ここに回復の道がある!あなたは自分の価値を見失って心傷ついていないか?聖書はあなたに神からの絶対的な価値がある事を伝えている!【例】ジャイアンに人間存在を否定される「のび太」にも神の言葉を聞かせたかった!


V.救いの希望

「わたしは雲の中にわたしの虹をたてる…全ての肉なるものを滅ぼす大洪水は決してならない」((15,16)

神は滅びからの解放の印として虹を示された。神はその印を歴史上に明確に示された。それが神の御子イエスキリストの十字架と復活である。十字架の主イエスを救い主と信じ受け入れる者に「滅び」からの解放と「永遠の命」のプレゼントを!

【証】小3生のさっちゃんが参観日に出席した母親に「もう来ないで!」母の顔には大火傷の痣があり、級友が嘲ったからだった…しかしその火傷は1歳のさっちゃんをかばっての傷だったのだ…

【証】小3生のさっちゃんが参観日に出席した母親に「もう来ないで!」母の顔には大火傷の痣があり、級友が嘲ったからだった…しかしその火傷は1歳のさっちゃんをかばっての傷だったのだ…

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2016年06月12日

2016年6月12日主日礼拝最も確かな生き方」創世記8章1-11節を


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創世記8:11-22        「最も確かな生き方」         16.6.12

【序】曾野綾子さんはその著『人は最期の日でさえやり直せる』の中で「おもしろい事に、信仰を持つようになると、失敗した人生というものはなくなるのである。それは何をしても失敗しないという事ではない。ある人間の生き方が、常に神の存在と結ばれていれば、かりにいささかの、或いはかなり大きい挫折はあっても、どのような人生にも意味を見いだすことができる。…これはいかなる政治家、心理学者、劇作家にもなしえない逆転劇であり、解放である」と語っている。

今日出てくるノアの生き方は正に神に結び付いている故に最も確かな人生を歩んだ。ノアに学びたい。


T.衝動に走らない生き方

150日間、水かさが増し続けた洪水も、水が引き始め、「水が地から引いた」(8:11)と分かってもノアは箱舟から出ない。又「地の表は乾いた」(13)とわかってもまだ箱舟から出ない。出たのはいつか?→神が「箱舟から出なさい」(16)と言われたからである。

【適用】事態が好転しない時には不安があり、逃れたい一心で衝動に走って間違った行動をし易い。しかし最も確かな歩みは、神の言葉に従って行動する事である。

「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りに頼るな」(箴言3:5


U.生活の最初に礼拝をささげる生き方

「箱舟から出てきた。ノアは主のために祭壇を築き…」(820)

今まで箱舟を造れと言われ「はい」。動物を集めよと言われて「はい」。箱舟に入れと言われて「はい」。何でも神に聞き従ってきたノアだが、礼拝は自発的だった!

しかも何よりも船から出て最初にしたことだった。

【適用】あなたがこうして週の初めに自発的に礼拝を捧げる生き方は最も確かな生き方をしているのだ。生活が心配で礼拝などしておれないという方がいるがそうではない。礼拝で「主の祈り」を唱えるが、この祈りの順序では、先ず御名を崇める事が最初、生活の必要は四つ目。なぜか?最初に生活の願いを祈ると益々心配が増幅する。静まって先ず神の御名を崇め感謝することを一番にすると心落ち着き平安が増し加わる。生活の事もそう心配しなくなる。礼拝と生活の優先順位を教えてくれるノアの生き方である。


V.神の恵みに生きる生き方

「この地を呪うことはすまい。人の心の思い計ることが初めから悪であるからだ 」(21)人の悪ゆえに裁きを下すというのが理屈だが、神は、その理屈を越えて「だから呪うことはすまい」と言われる!嬉しい恵みの矛盾がここにある。

しかし間違ってはならない。神は人間が受ける罪の呪いを十字架において下し、救い主がその人類が受けるべき呪いを身代わりに受けて下さったのだ。「呪うことはすまい」と福音を示しておられるのだ。これは十字架の故の嬉しい恵みの矛盾!


→Tヨハネ4:10

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