2016年07月31日

2016年7月31日主日礼拝「いつものように」ダニエル6章10


ダニエル10いつものように  2016年7月31日



【序】ある親子の海岸での会話…。時に、私たちは人から妬まれ、不快な思いをることがある。ダニエルも人々から憎まれ、ライオンの穴に放り込まれた。彼はその時、何をし、どうなったろう?人間関係にまされ、予期せぬ試練に落胆することの多い現代だが、ダニエルから共に学ぼう。



T心を神に向ける



ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。」(10a文書の署名とは、王以外のものを拝む者は、ライオンの餌食にするという法令のことだ。王は利用されてしまった。「彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。」(10b)故郷を懐かしんでいたか?当時、エルサレムには神殿があった。神が聖別されただ。彼の心が神に向いていたの意。



【適用】恐れや不安に包まれた時、あなたは心をどこに向ける?ダニエルは周囲の人々に怒り、塞ぎ込んで嘆くようなことはしなかった。窓を開き、心を神に向けた。私たちもそうでありたい。



エリック・バーン(カナダの精神科医)「他人と過去は変えられないが、自分と将来は変えられる。」人の心や現実の問題を変えることは不可能。しかし、自分がそれにどう対処するか(自分の心)は自分で決定できる。また、自分の対応次第で将来は大きく変わり得る。心を神に向けよう!



Uいつものように祈る



「彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」(10c)信仰のチャレンジを受けたダニエルだったが、彼はいつものように祈り、ライフスタイルを変えなかった。なぜ、そうできた?強靭な精神の持ち主だったから?祈り自粛した方が安全ではないのか



こんな時だからこそ彼は祈った。日々神に助けられ、信仰を強められたからこそ、いつものように振る舞うことができた。こんな時にも、神に感謝した!神との交わりは、彼にとって生命線だった!「いつものように」という言葉から、彼が以下の真理を信じていたことが見えてくる。神が全知・全能であること(人々の計画やライオンさえ支配しておられること)。最善の答えを下さるということ。



適用普段から神と交わることがいかに大切だろう。信仰が試練の只中で確信と平安を与えてくれるからだ。しかし、彼のような信仰は短期間では身につけられない。どんな時にも狼狽えず彼のように「いつものように」振る舞おう心を注ぎ出して祈り、感謝をささげよう!



【証】私は実家、神学校、当教会で早天祈祷会に出席し、長年かけて神との交わりを習慣化した。



V神に信頼する者は守られる



穴に投げ込まれたダニエルだったが、彼は何と無傷で助かる。(19-23)なぜ、無事でいられた?「彼が神に信頼していたからである。」(23c)神が彼の信仰を喜ばれ、祈りに応えて下さったのだ。



 【適用神を信じていても不幸に会うことはある。ダニエルもそうであった。しかし、神はご自分に信頼する者を放置されることはない。必ず、御手を伸べて助けて下さる。あなたにもそうされる!時間を確保して、神の前に静まろう。神と共に歩む人は、大きな祝福を受ける。


【証】小林富次郎はクリスチャンになった後、事業を立ち上げる。しかし、準備が整った時、洪水が起こり、事業も財産も全てを失う。自殺を決意し、身投げしようとした時、ヘブル12:11が心に響く。彼は思い留まり、再び勇気を与えられ、新たな事業に取り組む。現在の会社に至る基礎を築く。


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2016年07月24日

2016年7月24日主日礼拝「心元気に生きる」使徒の働き3章1−10節


使徒3:1−10  「心元気に生きる」        

【序】顔の構造を見ると目や口や鼻や耳という感覚センサーは全部前に向かってついている。つまり人間は前方に向かって生きるように設計されている。しかしなぜか心の思いは時に後ろ向きになる事が多いのではないか。顔の構造のように心も前向きになって生きることができれば幸いである。今日の聖書から、「心元気に生きる

生き方について学びたい。


T.無いものを悔やむのではなく、有るものを感謝する生き方

「金銀は私にはない。しかし私にあるものを上げよう」(6)

どんな人にも与えられている良きものと、与えられていない不足のものがある。与えられている良きものは神と人のために使うため。与えられていない不足のものは神を求めるためであるが、とかく不足のものに不満を言い易い。しかし、世には全く「不足」の中で挫折感を持たない人がいる。

【証】レーナマリアー長野オリンピックに善光寺でアメージンググレイスを賛美…

久米宏「ボクなんかしょっちゅう死にたいなんて考えるのに、どうして体が不自由なレーナさんはそんなに明るいのですか」「一つはキリスト教信仰のお陰」「それに私、このハンディが好きなんです!」

無い物を数えて不満を生きるのではなく、与えられているものに感謝しては如何か。

 なぜならあなたはゼロから胎を出たのだから。

U.受ける生き方ではなく、与える生き方

「金銀は私にはない。しかし私にあるものを上げよう

この男、「運ばれてきた」「置いてもらって」とある。体が不自由な事は気の毒だが、心までもが「もらう事」しかない→「施しを求めた」(3)。どんな人も受けるためにだけ生まれてきたのではない。生まれてきたという事自体、与える事の出来るものをもって生まれてきたのだ。

【証】体育教師だった星野富弘さんの与える人生

元体育教師だった星野さんが授業中大怪我で頚椎損傷。9年の闘病虚しく首から下完全麻痺。ここで人によっては不運を恨み僻みと悔やみの人生もありえたかもしれないが、星野さんは違った。ある日、花を見て「自分でも書けるかもしれない」と思いつき口に筆を加えて花を描き始めた。ミミズがのたくったような字でも絵でもないところから始まったが、今では見事な絵、さらに9年間の虚しいと思えた闘病生活で感じた言葉が人の心を打つ。励まそうなんて考えなかっただろうが見事に与える人生を生きている。どんな中にも与える人生はあり得るのだ。

V.尽きる有限の力ではなく、尽きない無限の力を見いだす生き方

 「金銀は私にはない、しかし私にあるものを上げよう…キリストによって立ち上がりなさい」確かにお金があれば色々な物を買える。しかしお金は世界旅行の切符は買えるが自由は買えない。お金は家を買えるが幸福な家庭は買えない。いや幸福も希望も安らぎも永遠の命も買えない。限界があるのだ。キリストこそ無限の力!

 【証】教会員の城田陽平君の証…

高校入学時「制服が怖い」と不登校、友人とバンドを組むが仲間から薬物を勧められ手を染め、不安や幻聴に悩まされる、その前後教会に通い信仰を持つが幻聴の結果家の二階から飛び降り、脳挫傷、片目失明、顔面80箇所骨。1か月間意識回復する事なし。医師「回復しても植物人間を覚悟」しかしお母さんから受洗を提案され、1週間熟慮した結果洗礼実行→8日後意識回復、次々と奇跡が起こり回復し現在の奉仕生活に至る。

 【証】教会員の城田陽平君の証…


高校入学時「制服が怖い」と不登校、友人とバンドを組むが仲間から薬物を勧められ手を染め、不安や幻聴に悩まされる、その前後教会に通い信仰を持つが幻聴の結果家の二階から飛び降り、脳挫傷、片目失明、顔面80箇所骨。1か月間意識回復する事なし。医師「回復しても植物人間を覚悟」しかしお母さんから受洗を提案され、1週間熟慮した結果洗礼実行→8日後意識回復、次々と奇跡が起こり回復し現在の奉仕生活に至る。

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2016年07月17日

2016年7月17日主日礼拝「恐れで動揺した人」創世記12章10−20節



創世記12:10−20    「恐れで動揺した人


   


【序】アブラハムは信仰の父と言われるが、その彼が試練の時にとんでもない道を外す生き方をしてしまう。それは立派な人を見て劣等感を抱く私たちへの慰めでもあるし、そんな人でさえ道を外すことがあるという警告でもある。






T.試練は何であったか



「さてこの地に激しい飢饉があった」(10a)



食べ物がないだけでも試練であったが、更に深刻な問題があった。それは「この地に



飢饉。つまり神に従ってきた場所で飢饉とは!これが一層苦悩を感じさせた。こういう時、神に文句を言いたくなる→「神を信じて従ってきたのに損した!」



しかし聖書はこう語る「主は愛する者を訓練される」(へブル12:5)






【証】ある人が献身して米国に留学したが、言葉と経済のストレスで胃潰瘍になり入院。その夜、夢の中で神に文句を言うと、ある声が聞こえた「ごめん、ごめん、君が洗礼の時どんな事でも従いますと言ったものだから、ちょっと試練を与えたんだが…ごめん、ごめん」考えさせられる話ではないか?



モヤシだと一日で大きくなるが、堅くて強い樫の木は何十年を要する。それだけに風雪に耐え得る。人も豊かな成長の為に風雪を経る。試練に関し神の意図を知る必要がある。






U.試練でどう行動したか



「エジプトにしばらく滞在するために下っていった」(10b



エジプトは神よりもこの世の力に頼る象徴の国(イザヤ31:1アブラハムはそこに「しばらく」頼ろうとしたのだ。そこで何があったのか?→11-13節。身を守るために嘘をつき、妻の命を危険にさらし、自分だけ助かろうとする身勝手なアブラハム。家族は最も愛すべき存在だが、最も傷つけやすい存在でもある。まるで今までのアブラハムとは異なる姿を露呈する。なぜ?この醜態の根本原因は何か?言えることは場所を変える度に祭壇を築き祈ってきた姿がここにはない!(12:7,8)。神に聞く「祈りの生活」が失われている!



【適用】信仰を成長させるのも阻むのも「恐れ」である。時に恐れはその問題を実際以上に大きく見せて信仰を失わせる。その為に御言葉に聞き祈りの生活を忘れないでおこう。






V.神は彼らをどう守られたか



17節の「サライのことでパロに災害を与える」神に合点がいかないかもしれない。



悪いのはアブラハムではないか!確かにそうであるがアブラハムに禍を下せば、エジプト王はサラを犯すであろう。そうなると家庭は破壊され、後の約束の救い主誕生も反故にされる。それゆえ神は王の行動をストップさせて、一番の弱者であり犠牲者のサライを守って下さったのである。→詩篇12:5



【適用】あなたの環境でこういう横暴さの故に理不尽な行動を要求されている方よ。あなたがNO!と言ってもダメな場合があるだろう。そんな時、横暴な人の支配を越えて神の守りがあるのを信じて受けいれようではないか。その横暴さを知って下さるのは最大の理不尽を受けられたキリストである。慰めがあるように!





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