2016年08月28日

2016年8月28日主日礼拝「幸せを求めるよりも安心を求めよ」ヨハネ14:27

音声で聴く。

ヨハネ14:27 「幸せを求めるよりも安心を求めよ」  



【序】映画『寅さん』シリーズの山田洋次監督が「昔は幸せという言葉がなかった。それに代わる言葉があるなら、それは「安心」であった。幸せという言葉が生まれてから、或いは幸福のイメージが出来上がって以来、現代人は不幸になった」と意味深な事を言われた。それはどういう事なのか?今日は幸福を求めるより安心を求めませんか、というメッセージしたい。



 



T.現代の幸福追求がもたらした不安



山田洋次監督は続けて言う「一般的に言って幸福とはお金があって、仕事がバリバリでき、自分のしたい事をやっているというイメージがあるが、アメリカのパーティに行くと、そんな典型的な人にお目にかかる。自信に溢れているというのが伝わってくるのだが、安心の方はさっぱり伝わってこない。満ち足りている筈なのに少しも心の安らぎが得られない。移ろい易い幸福を得るために戦々恐々としているので、どこまで行っても安心を得られないのだ。更にこの種の幸福を追い求めている限り、幸福に届かないと、不安、嫉妬、焦りで心が一杯になるのだ」 まさに現実をよく言い表わしているコメントではないか。だからこそ、幸福追求に振り回されないで安心を得る方が良いのだ。



 



U.平安を得る事こそ究極の幸せ



キリストは最後の晩餐で弟子達がこれから様々な人生の嵐を経験する中で与えられる「平安」について言及し、平安を与えると約束された。

「わたしあなたがたに平安を残します…わたしの平安を与えます」(14:27)

   この平安こそ人生における究極の幸せなのだ。

【例】あなたが飛行機に乗っていて機長からアナウンスが入る。「エンジントラブルが発生しました。できるだけ努力します」そんな風に言われるとパニックになる。誰かが「1億円上げます」「最高のディナーを用意します」「社長の座を上げます」と、この世の幸福と思われることを悉く与えると言われて嬉しいだろうか。何の力にならない。死を前にして何が人生で究極的に大切なものか分かる。【故石原良子姉の証】「あんたはようしてくれる、あんたと同じところ(天国)に行きたいんや!」→キリストへの信仰こそが人生のさなかにも死の時にも魂の平安をもたらす。



 



V.どのようにして安心を得ることができるか



「神を信じなさい」(14:1)―(万事を益に変える)神を信じる平安!

【証】モーセという人がいた。紀元前1500年頃、彼はユダヤ人でありながら不思議な運命の下に40才までエジプト王子として生活する。同国人が過酷な奴隷で苦役を強制されているのを見て、哀れに思い民の解放を実行するが、無惨にも失敗。人殺しまでして逃亡。その後は荒野で羊飼いとして埋もれた生活40年。もうここまでかと思った時、神は権力も富も雄弁も失ったモーセを再び民の解放者として用いられた。その年80才。この事から次の事が言える。@今が失意の時であっても、今があなたの人生の全てではない。A神はあなたのために素晴らしい人生計画を持っておられる。B埋もれていた荒野の40年間もまた後に意味をもたらす(エジプトから約束の地カナンに導くのに40年の荒野の生活をするが、もしモーセが以前の荒野の生活を熟知していなければ都会の民を導けなかった筈。そうすると不毛と思えた荒野の生活に光が射し込む。万事を益に変える神を信じなさい!


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2016年08月21日

2016年8月21日主日礼拝「恐れるな」創世記15:1

音声で聴く。

創世記15:1  「恐れるな」  



【序】今、オリンピックで日本人の活躍が素晴らしいが、女子レスリング界の絶対女王と言われていた吉田沙保里選手は銀メダルに終わった。インタビュに答えて「恐怖心に負けた」と。「恐れ」はスポーツ界のみならず、様々な分野で本来の力を奪ってしまうものである。アブラハムもその「恐れ」に捉えられた。神はどう対処して下さるか。



 



T.アブラハムの恐れ



神はアブラハムに「恐れるな」(1)と語られた。つまり彼が恐れていたから、そう語られたのだ。では何を恐れていたのか?→「これらの出来事の後」(1a)とある。即ち14章の出来事と深い関連がある。強欲で恩知らずのロトはソドムの町に移り住んだが、戦争に巻き込まれ、家族、財産を奪われてしまう。そのニュースを知ったアブラハムは、僕318人を連れてロト救出のため追跡し助け出す。その結果、敵ができ、彼らからの逆襲を恐れたわけである。いわば、良いことをした結果、敵ができてその逆襲を恐れるという問題が生じたのである。

【適用】恐れは悪や不信仰で生じるとは限らない。良い事をした結果生じる事もある。あなたも正しい事をして周りから反発を食い恐れを感じた事があるだろうか。そういうあなたに神は語られる→「恐れるな」(1)と。



 



創世記15:1  「恐れるな」  



【序】今、オリンピックで日本人の活躍が素晴らしいが、女子レスリング界の絶対女王と言われていた吉田沙保里選手は銀メダルに終わった。インタビュに答えて「恐怖心に負けた」と。「恐れ」はスポーツ界のみならず、様々な分野で本来の力を奪ってしまうものである。アブラハムもその「恐れ」に捉えられた。神はどう対処して下さるか。



 



T.アブラハムの恐れ



神はアブラハムに「恐れるな」(1)と語られた。つまり彼が恐れていたから、そう語られたのだ。では何を恐れていたのか?→「これらの出来事の後」(1a)とある。即ち14章の出来事と深い関連がある。強欲で恩知らずのロトはソドムの町に移り住んだが、戦争に巻き込まれ、家族、財産を奪われてしまう。そのニュースを知ったアブラハムは、僕318人を連れてロト救出のため追跡し助け出す。その結果、敵ができ、彼らからの逆襲を恐れたわけである。いわば、良いことをした結果、敵ができてその逆襲を恐れるという問題が生じたのである。

【適用】恐れは悪や不信仰で生じるとは限らない。良い事をした結果生じる事もある。あなたも正しい事をして周りから反発を食い恐れを感じた事があるだろうか。そういうあなたに神は語られる→「恐れるな」(1)と。



 



U.恐れから守るもの



どんな恐れでもその恐れを辿っていくと、恐れの根元にぶつかる。それは「守ってくれるのは、頼りにならない自分しか無いという一人ぼっちの心細さ」である。

自分で何とかやって行けると思える時は恐れがないが、ひとたび自分で守りきれない事がやってくると、堪らない恐れが生じる。そんな時、力と愛に満ちた神は名を呼んでこう仰せられる!→「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である」(15:1b)と。「盾」=敵の攻撃から守る強き盾!

【証】エリシャの時代、敵国に囲まれ、僕たちは恐怖でパニック。エリシャは「恐れるな。私たちと共にいる者は彼らよりも多いのだから」と語り、神に「僕の目を開いて下さい」と祈ると、何と神の軍隊が盾となって守ってくれていることが分かった。恐れとは目に見えることに支配されて、目に見えないところで守ってくださる神が見えない故に生じる心詩篇5:12「大盾で囲むように愛で囲まれる」!



 



V.「恐れるな」と語られる神の意図



神が「恐れるな」と人に語られる時、単に恐れを取り除くだけではない。この言葉は常に恐れに囲まれている人間に今まで経験しなかった新しい祝福された人生のステージへの招きの言葉なのだ。例@エジプト軍に紅海まで追いつめられたイスラエルの民に神は「恐れるな」と語り→紅海を二つに分ける奇跡を示された。 A最初のクリスマスの夜、御使いを見た羊飼いに「恐れるな」と語り→救い主の誕生を示された。

【結び】聖書に「恐れるな」という言葉が350程ある。神はほぼ毎日「恐れるな」と人に語られていることになる。恐れに囲まれた時、今までの人間的なあがきを止めよう。神の御言葉を通して新しい祝福のステージを信頼して進もうではないか!


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2016年08月14日

2016年8月14日主日礼拝「損得のどんでん返し」創世記13:5-18

音声で聴く。

創世記13:5-18 「損得のどんでん返し」  



【序】損得というのは私達日常で気にするところだ。例えば果物屋で見るからに美味しそうなマスカットを「一房千円のところ今日は特別セールで二房二千円」と言われて買う人はいないが、「一つ千円のところ三つ千円!」と言われると、そんなに必要でなくても、これは得な買い物と思い買ってしまい後で古びてしまう事も…。世の中には得しそうで損をし、損をしそうで得をする事がある。又人生で損な役回りを強いられる事もある。どうすれば?



 



あらすじ:得をしたつもりが損をしたロトと損をしたようで得をしたアブラハム



 ロトは叔父アブラハムから教えられた牧畜にも成功し、アブラハムは彼に独立させる。その際土地選択の優先権をロトに与える。ロトは潤った牧草地を躊躇無く選んだ。アブラハムには痩せた土地が残った。しかし20年後、ロトは火山爆発で家財と土地を手放さなければならなくなる。一方損をしたように見えたアブラハムは後にロトが選んだ豊かな牧草地も含めて得るようになる。正に損得のどんでん返し!ここから学ぶ事は:



 



T.恩知らずはいけない



アブラハムは弟が死んだ時からその息子ロトの面倒を見、生活は勿論のこと牧畜業を教え、ロトに今日の成功(5)をもたらした恩人である。なのにアブラハムの申し出(8,9)をよい事に、自分から先に良い土地を選んでしまう。本来はこう言うべき→「叔父さんは僕の親が亡くなってから僕を引き取り生活を支えてくれた命の恩人です。僕が今日あるのは叔父さんのお陰です。僕の方から選ぶなんてできません。叔父さんこそ先に選んで下さい」



ロトは恩知らずなのである。信仰は神に対する態度であるが、恩知らずは真の祝福をもたらさない。(Tテモテ5:4)川柳「渋柿や丸八年の恩知らず」柿でさえなのである。



 



U.目先の利に走るな



ロトが選んだソドムの地は「潤っていた」(10)が、住民は「よこしまで非常な罪人であった(13)つまり、ロトにとってはそこに住む人々が家族に悪い影響をもたらす事よりも、金持ちになることの方に価値があったのだ。そういえばアブラハムには「祭壇」があったが、ロトには「天幕」を張る事しか関心がなかった。



【適用】究極の選択「儲けは期待できるが教会が無い町か、儲けはそこそこしか期待できないが、良い教会と交わりがあり、霊的に豊かな人生を送れる町とどちらを選ぶか?」



 



V.真の愛には報いがある



アブラハムには先に土地を選ぶ権利はあったが優先権をロトに与えた。ロトに不義理に出られたのに文句の一つも言わず平和に分かれるアブラハム。見上げた人物!太っ腹!それができたのは、後にロトの住むソドムの町の災難を心配し神にロト一家の救いのためにとりなしの祈りを捧げるアブラハムに真の愛があったからである。そして後に土地も与えられる事を思えば真の愛には報いがある。



【適用】第二次世界大戦時、ハワイ真珠湾攻撃の総指揮官淵田美津雄中佐と、その真珠湾攻撃を知った米陸軍指揮官ディシェイザーは名古屋爆撃敢行。後に二人とも回心!その回心をもたらしたのは大きな愛!…



(明日8月15日NHKスペシャル番組「二人の贖罪―日本とアメリカ憎しみを越えて」で放送)


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