2016年12月11日

2016年12月11日主日礼拝「なぜベツレヘムの馬小屋で」ルカ2:1-7






T.アウグスト帝の勅令が出たから
「全世界の住民登録をせよという勅令が皇帝アウグスト(ローマ初代皇帝)から出た」(1)
この勅令は9ヶ月の身重になっていたマリヤには命の危機をはらんでいた→300qのでこぼこ道をロバにゆられての危険な長旅。しかし皇帝命令で従わざるを得ない。このような中で人類の救い主イエス・キリストはお生まれになったが、大切なのは、その救い主の誕生はキリストがお生まれになる六百年前の預言者ミカを通して「ベツレヘムで生まれる」ことが神によって預言されていたのだ。すると迷惑な皇帝に動かされてベツレヘムまで来たと思っていたが、そうではなく神が皇帝をも動かして見事にそして彼らには無事に預言を実現された。ここに励ましがある。
【適用】あなたの人生にもあなたの意志を無視してあなたを動かすような「アウグスト」なるものがいるかもしれない(病、試練、人…)。でもあなたを真に動かすのは誰か?「アウグスト」ではない。アウグストは神の道具でしかない。真に動かすのは神なのだ。そして「アウグスト」さえ神の恵みの体験へと導かれる
U.馬小屋のように汚れと闇の中にいる私達を救うためである
「飼い葉桶に寝かせた」(7a) 
馬小屋は暗くて不潔。出産には誠に適していないが、キリストはそこにお生まれになった。しかし私達の世界や心は時に馬小屋以上に汚れ暗いのではないか?キリストが馬小屋を宿としたのはその様な暗くて汚れた世界を清め救うためであった。キリストは人間の闇と汚れを担って十字架にかかり、救いの道を開いて下さったのだ。【適用】私たちの手の罪のためにキリストの手は釘打たれ、私たちが行ってはならない足の罪のためにキリストの足は釘打たれ、私たちが発してならない言葉の罪のためにキリストの頬は殴られ唾をかけられ、私たちが抱いてはならない悪い考えのためにキリストの頭に棘のある茨の冠がかぶせられ、私たちが心に潜ませてはならない憎しみ妬み、心の罪のためにキリストの心臓に槍が突き刺されたのだ。

V.神の御子なのに正当な扱いを受けられなかったから
「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(7b)
 もしマリヤの胎におられるのが神の御子と皆が認めていたら馬小屋をあてがわれるのではなく、もっと手厚い扱いを受けられただろう。しかしヨセフもマリヤも貧しい大工の夫婦、またマリヤの胎の子も神の御子とは受け止められなかったのだ。
【証】神学生時、ある教会の青年会に説教を頼まれた。クリスマス劇があり、意地悪な宿屋の主人の演技が面白くて皆の笑いを誘っていた。そして最後の宿屋の主人の酷い扱いに肩を落として立ち去るヨセフとマリヤに、男の子が泣きながら叫んだ「ヨセフさん、マリヤさん、ボクの家に来て泊まって下さい!」知的障害の子だった。彼には主への愛があった!→私達はキリストを人生の王座にお迎えしているだろうか?


posted by kbcc at 00:00| 礼拝