2017年01月29日

2017年1月29日礼拝メッセージ「挫折に勝たせるもの」 IIコリント12:7-10

Uコリント12:7−10「挫折に勝たせるもの  

【序】人生は順風満帆とは限らない。時に躓きや挫折がある人間関係、健康面、家庭問題、仕事など…。挫折にどうやって打ち勝って生きるか、それは現代の大きな課題である。聖書のメッセージを伝えたい


T.(意外であるが)「挫折の効用」を語る人々

 ○安藤忠雄氏(建築士、万博日本館、最終学歴工業高校卒だが東大名誉教授

「僕は大学の専門教育を受けないまま建築の設計に飛び込んだ。設計しながら常に専門教育を受けていないハンディキャップがあったが、一方そういう苦労がない人というのは粘りがない。スーッとストレートで一流大学や一流企業に入っていくと、ストレートにはいかない人生の逆境に弱いのではないかと思う」

渡邊和子(ノートルダム清心女子大学名誉学長)

「第一志望が叶えばおめでたい事。しかし挫折も人生で非常に大切。その時はそれなりにしっかり苦しめばよい。只それに打ちのめされずに、それだけが唯一の自分を生かす道でないのを知るゆとりがほしい」


U.パウロの挫折

「肉体のトゲ」(7)14年前からの病気で具体的には不明だが、表現から身体に痛みを伴う病それで癒しを求めたが癒されなかった病に打たれた事も挫折であるが、癒されない事は更なる挫折であった。しかしパウロはここから人生の奥義である神の御心を知る。それは癒されない病や挫折経験をもつへの励ましである


V.挫折に勝たせるもの

1.否定的な数えないで恵みを数えよう

挫折すると否定的な思いに捉われ易い「あれがなければ良かったのにパウロも「病をサタンの使い」(日本的には祟り)と呟いていた。しかし悔やんでもどうにもならない自分を蔑む思いが増幅するだけで良いものも生まれない。しかしどんな病の中にもに留めるべき恵みがあるなのだ。→神様は「わたしの恵みはあなたに十分である」(9)と語り、挫折の中にも恵みを注いで下さることを示される

【証】12年夏悪性リンパ種で召天された故柴田敏子姉を生前訪問した時の会話…

「私はずっと健康に気を付けてきたのに、何故こんな病になったのか、ずっと考えてたんです」「それは考えても分からないし、当たらないでしょう。それよりイエス様はヨハネ9章で言われた様に「誰の所為でもない、ただ神の業が現れる為である…だから原因なんか考えないで恵みを考えませんか。どんなに長生きする人に勝る永遠の命をもう戴いているし、子供さんたちはケアを良くされるし、悩まされたご主人も救われたし、良かった探しをしましょ」「(顔色が変わって嬉々として)わかりました

2.挫折は新たな力を与えられる時だとりなさい

 神は病を癒す力も持たれるが、病をも超える力も与えられる(9,10)

【証】元体育教師の星野富弘さんも頚椎損傷で首から下が麻痺。挫折を経験しかも9年の闘病生活にも拘わらず癒されず。しかしマタイ11:28のキリストの言葉に出会いキリスト信仰を持つ→口に筆を加えて絵を描き詩を添える。多くの人に感動を与える人生→新たな力を与えられた。

posted by kbcc at 20:10| 礼拝

2017年01月23日

2017年1月22日礼拝メッセージ 「心の安らぎ」 ヨハネ14:27

音声で聴く。

ヨハネ14:27  心の安ぎ」 17.1.15

【序】今日はウエルカムサンデー礼拝でもあり先ず求道者にも家族や友人に救いを願っている方々にも「なかなかキリスト教の信仰に踏み切れない」という疑問に答えておきたい。


T.信仰に踏み切れない理由

1.キリスト教は外国宗教と偏見「日本には仏教という宗教があるから外国の宗教は要らないと日本古来を強調するが着ている服は日本古来の和服でなく洋服!?それに仏教もまた輸入宗教である(6C半ば)。そんな理由にならない事で永遠の命を失うのは大きな損失。

家族の関係で宗旨替えできないー宗旨替えを考えるよりも、先ず心にキリストを信じる事。それに死んで全てを知った先祖は家族の救いを願っているだろう(ルカ16:28参照)

良い話だけで信じて救われる必要はないしかし神はあなたの創造者である我が子が成績優秀、品行方正でも親と口を利かないなら最大の不幸。あなたの創造者である神と関係を持つのは根本的な必要ではないか


U信仰に至る幸いは何か

最大の恵みは勿論死後の裁きから解放され永遠のを得る事であるが、キリストは最後の晩餐で、これから生きていく上で無くてはならないとても大切なものを与えると言われた―それが「心の安らぎ」(27)である。この「心の安らぎ」はスポーツの世界であれ、職場、家庭、人生あらゆる分野で必要なものである。高田明和氏(浜松医科大教授、日本血液学会評議員)によれば「心の安らぎは血圧を下げるよりも寿命をも伸ばす」と語っている。(『病は気からの科学』)

1.この世の安らぎ

するとある人は、安らぎは神様から言われなくても私たちにもあるという方が

いるルカ12:19,20「これから先何年分も一杯ものが貯められた。さあ安心して…楽しめ」

世が提供する「安らぎ」は物事がうまく行くという条件のもとでしか得られないものなので不安定であり、特に死に対しては木端微塵になってしまうものである。故にこの世の安らぎだけで生きているのは実に心細いことなのである。それキリストは、「世が与えるのとは違う」安らぎを与えると言われたのだ。

2.神が下さる安らぎ

弟子達はキリスト「心騒がしてはなりません」(14:1)と言われた程「不安」に押しつぶされていた。そのとき言われたのが14:27のわたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。それは世が与えるのとは違います」という神にある安らぎである。つまり心騒ぐ時、様々問題や病や人間関係の中でこそ体験する特別性の安らぎである。

【西尾姉の証-5/29、78才召天】余命1か月という胆管癌でこう尋ねた「神様に従ってこられ重い病を体験され辛いでしょう」西尾姉「今まで私は神様の尊い救いを戴き永遠のまで頂きました。これ以上の恵はありません。神から頂いたものは良きものでも重い病でも与えられたらそれを私が負う十字架と思って受け止めています。又本当に感謝しています」と平安なお顔で語られた。

【結び】あなたもキリストを受け入れその安らぎを得る人生を始められませんか?

posted by kbcc at 10:03| 礼拝

2017年01月15日

2017年1月15日 あなたの「故郷」はどこですか


創世記23:1−4     「あなたの“故郷”はどこですか」    17.1.15

【序】戦国時代、キリシタン数は伝道50年で日本人口の3(人口3千万の内90万人)。驚異の増加の最大の理由は葬儀にあった(『日本の神学』古屋安雄)。当時葬儀は武士や富める町人だけに行われた。貧農は「野捨て」。しかし宣教師達は誰にも等しく丁重に行った。キリシタン大名高山右近は農民の棺を自ら担いで作業を行った…。古代社会は男性社会であったが、聖書は最初の埋葬記事として女性サラの埋葬を記す。いつか必ず来る死の意義を考えたい。


T.生死の儚さ

「サラが生きた年数は127年であった。サラは…ヘブロンで死んだ」(1,2)」

・自分より10才若い妻サラの死。

・「アブラハムは来て」(2)とあり、仕事中で妻の死に目に会えなかったと思われる。

・「やっと生まれた息子の結婚も見ず」

【適用】人は年の順番で死ぬとは限らないし、死に目に会えるとも限らない。また事の実現を見て死ねるとも限らない。自分の死の時、未完成に終わることが多い。現代は「終活」といって自分の人生の終わりのために色々と整理し備えるのだが、それでも自分の死の体の後始末はできない。どうしてもやり残す事ができてしまうのが死だ。やはり死は未完成の事がらなのだ。しかしここに慰めがある。

「主は私に関わる全ての事を成し遂げて下さいます」(詩篇138:8)

人生を完成して下るのはあなたではなく神なのだ!


U.死の悲しみからの立ち上がり方

 「アブラハムは…サラのために嘆き、泣いた…それから立ち上がり」(2,3)

 信仰者は悲しみを押し隠したり、直ぐに信仰の力で立ち上がろうともがく必要はない。それは後で屈折した問題が出る。むしろ自然のままに哀しみ泣いてよいのだ。それが真に立ち上がるための希望と新しい力に導かれる。

【信仰詩】悲しみを知らなければ捧げえない祈りがある 悲しみを知らなければ信じ得ない奇跡がある 悲しみを知らなければ聞きえない御言葉がある 悲しみを知らなければ近づきえない聖所がある 悲しみを知らなければ仰ぎえない御顔がある おお悲しみを知らなければ人間でさえもありえない」


V.死が伝えるべきメッセージはlmn何か

「私はあなたがたの中に寄留している異国人ですが…」(4)

アブラハムは妻サラの葬りのために墓地を購入する。そしてその際「私はあなた方の処に寄留している異国人ですが」(4)と言う→つまり葬儀は自分の魂の故郷がどこにあるのかを示す儀式である→ヘブル11:13-16

【適用】Y兄「あんたはいいなあ、行くところが分かっていて」

I姉「あんたと同じところに行きたいんや」

S姉「先生長らくお世話になりました。先に行ってきます先生も来て下さいよ」

  教会墓石御言葉は「我が国籍は天に在り」である。あなたの故郷はどこにありますか?

posted by kbcc at 20:55| 礼拝