2017年02月20日

2017年2月19日礼拝メッセージ「新しく生きる」音声で聴く。

使徒9:1−  「新しく生きる」     

【序】あっという間に2月も後半。今年も7分の1が過ぎようとしている。「昨年は色々あったが、今年は良い年にしたい。新しくやり直したい」と願う人は多いのではないか。今日の箇所は、サウロ(パウロ)が生まれ変わる様子を記している。人は皆、自力で自分を変えることはできないが、聖書は私たちがキリストを通して新しく変わることができると語っている。では、「キリストを通して」というキーワードで、3つのことを伝えたい。

Tキリストを通して、見えない自分が見えるようになる

元来、パウロは熱心なユダヤ教徒キリスト教を異端と見なし、クリスチャンを迫害した。彼は熱心なあまり、遠い町にも出かけて行き、クリスチャンを捕えるほどだった。ところが突然、天の光に打たれる(35)。この時、彼はそれが直感的に神だとわかった。しかし、その方から「なぜわたしを迫害するのか」と言われ、ショックを受ける。「私は正しい事をしている」と思っていたのに、その逆だったのだ。その様子はまるで「目は開いていても何も見えなかった」とある通りだ8

私たちも聖書に出会い、キリストの光に照らされる時、本当の自分を知る。自分が何によって突き動かされているのか。キリストとはどんな方であり、自分がどんな人間かを知らされる。新しく生きるには、まずキリストを知ることが必要だ。キリストを通して、人は心の目の覆いが取りのけられ、心の視力を取り戻すのだ。

Uキリストを通して、どんな人でも新しくなれる

パウロはクリスチャンを捕えただけでなく、投獄や死刑に加担した過激な人だ。キリストはペテン師であり、復活などデタラメだと信じていた。ではなぜ、キリストは彼の前に現れたのだろう?もっと温厚な人が他にいたのではないか彼は晩年こう語っている。そのような私が憐れみを受けたのは、イエス・キリストが今後彼を信じて永遠の命を得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示して下さったからです。」(Tテモテ1:16

つまり、こういうことだ。「神は、私のような罪深者をあえて選ばれた。こんな反抗的で頑固な私さえ変えられたのだから、どんな人でも変わることができる神はそれほど恵み深い方だ。あなたもキリストを通して新しくなれる!」

【証】作家ジョシュ・マクドウェル若い頃、「キリスト教など、弱い人間が信じるものだ」と軽蔑していたしかしある日、「キリストが神の子かどうか、自分で調べなさい」とチャレンジを受け、「じゃあ、学問的に否定してやろう」と研究に没頭する。ところが、研究を進めるうちにキリストの愛に捕えられ、クリスチャンとなる。以来、彼の人生は新しく変えられた。@心と思いが自己中心から他者中心になったA短気でなくなったB父への憎しみが消え、父を赦すことができた

聖書を退けるのは簡単だが、キリストには人を造り変える力がある。どんな人も新しくするこの力を受け取ってほしい。

Vキリストを通して、新しい使命が与えられる

パウロの体験を知ると「彼は特別な人だったのだろう」と思うかもしれない。さすが「選びの器」と言われているだけあり、「やはり有能な人だったから、福音を伝える使命が与えられたのだ」と思うのかもしれない。しかし、そんなことはない。Tペテロ2:9は、私たちクリスチャンが「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です」と語る。私たちは11人が選びの器であり、福音を宣べ伝える(主のみわざを分かち合う)尊い使命が与えられているのだ。

私たちは自分の存在や生き様を通して、キリストを指し示すことができる。身近な家族や友人に愛をもって接するなら、彼らはあなたの中に何かを感じるだろう。機会が与えられたなら、自分がどのようにして変えられたかを話すことができる。神から与えられた使命に感謝し、置かれた場所でキリストを紹介していこう!

posted by kbcc at 01:16| 礼拝