2017年11月27日

2017年11月26日礼拝メッセージ「それでも人生は変えられる」Uコリント5章7節音声で聴く。

Uコリント5:17     「それでも人生は変えられる」       17/11.26

【序】今まで多くの方々の生き様、死に様を拝見してきたが、つくづく感じた事は「人は生きてきたように死ぬ」という事だ。普段から感謝をよくする方は、死ぬ時も周りに感謝して死んでいかれ、普段から人に当たり散らしている方は死ぬ時も家族や病院に当たり散らして死んでいかれる。普段からお金の事ばかり心配している方は、死ぬ時も預金通帳を心配して死んでいかれる…。「死ぬ時だけはカッコよく決めたい」というのは残念ながら不可能に近い。それを思えば、後々のために今を豊かな恵みを感じ生きていく姿勢が大事だ。しかし今を豊かに生きるのも至難の業である。しかしそんな私たちの今を変えて下さるお方がいる。それを伝えたい。

T.素晴らしい活躍をした人たちにも浮かばれる日々があった証

・「31才になって私に望ましいのは死だけです」(看護士の鏡ナイチンゲール)

・「誰が惨めだと言って自分ほど惨めな人はいない」(黒人奴隷解放で有名なリンカーン)

・「私ほど怒りっぽく僻み屋でひねくれた者はいない」(教育貢献&欝新渡戸稲造)

この3人は歴史上素晴らしい貢献をした方々だったが、初めからそうではなかった。彼らも暗い性格や環境に悩み自信喪失の日々があったのだ。しかし変えられた!

それは彼らの暗い人生を輝く人生に変えるお方の情報を聞いて従ったからだ!

U.二種類の情報

1.「外から内に入る情報」

この情報の中で最も悪影響をもたらすのは劣等感に支配される事だ。劣等感とは何か?劣等感とは、他人より劣っているという事ではない。劣っていることを恐れる心である。聖書の例で言えばダビデに対するサウル王の態度である。サウルは王でありダビデは部下。サウルには兵が何万とあるのに、ダビデはたった五百。だのにダビデを一匹の蚤を追い続けるように追ってやがて身を滅ぼす。なぜ?それは女たちが「サウルは千、ダビデは万」と歌うのを聞いたからだ。「外からの情報」に支配されて妬みと恐れで身を滅ぼしたのだ。

2.「上から内に入る情報」

大切なことは「外から内に入る情報」に耳を傾ける事をやめ、「上からの情報」つまり創造者である神のメッセージを聞き、従う生き方を始めることだ。なぜなら神はあなたをあるがままで愛し価値づけ、あなたを思う存分用いてくださる情報を耳と心に入れてくださるからだ。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43;4

V.何が「人生を変える」のか?

Uコリント5:17によれば、「だれでもキリストの内にあるならその人は新しく造られた者です」と記している。誰でも、いかなる状況でも、である。

【証】1126日付のクリスチャン新聞の記事…拉致被害者の横田めぐみさんの父滋さんが114日洗礼を受けた。妻の早紀江さんによれば「めぐみがいなくなった時、主人は『神も仏もあるものか』と言いながら海辺や街をさ迷い歩き続けた。その時からあらゆる宗教を拒み。キリストのキの字も言おうものならもの凄く大きな声で怒っていた。そんな主人が洗礼を受けさせて戴いた。国分先生が「神様を受け入れますか」というと「はい」と答えていた。何が起こっているのか分からないといった感じで、こんなことがあるんだ、不思議なことが一つ一つ怒っているんだなあと本当に感謝で一杯です」と。

人生何が起こるかわからない。。→Uコリント5:17は本当なのだ。

posted by kbcc at 15:47| 礼拝

2017年11月20日

2017年11月19日礼拝メッセージ「キリスト による三つの回復」ルカ6章20節音声で聴く。

ルカ6:20            「幸福な人」            17/11.19

【序】今日の聖書は私が初めて高校生の時に読んだところ。全く意味が分からなかった。マタイ5:3にも同じような御言葉があり読んでみると「心の貧しい者は幸いです」と。なぜ心が貧しい人が幸せなのか?むしろ物質的に豊かな人とか、心の豊かな人が幸いと言われたらわかるが、その逆!やがてこの意味が分かるようになった時、この御言葉はキリスト教の中心であり、また幸せにもなれることがわかった。それをお伝えしたい。


T.世の幸福の特徴

一般的に幸福というと→地位、富、能力、ルックスが良い事を考える。でもこれらの幸福は長続きせず、もっと凄い人が現れると、急に自分の幸福が萎んでしまう。

 【証】星野富弘の証…「周囲の人が不幸になったとき、自分は幸福だと思い、他の人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。自分は少しも変わらないのに、幸福になったり、不幸になったりしてしまう、そんなフラフラした自分の心に気づいた」(テストの点、昇進、家建築、金…)

※だからこの種の幸福だけ求めているなら死ぬまでフラフラして生きねばならない。


U.「貧しい者は幸いである」の意味

 @「自分が心の貧しい者だという事を知っている人は幸いです」(「現代人の聖書」訳)

  【例】夫「僕のような我が儘な者の為によく支えてくれたね。ありがとう」

        妻「私も素直でない者なのによく忍耐してくれました。ありがとう」→幸福

   しかし夫「僕のような真面目で良い夫はいないぞ。教会でも一、二だ」

         妻「私が頑張ってるから我家はもってるのよ。あなたと結婚した事が不幸」→不幸

  ※自分の心の貧しさを知る事は、人間関係をも豊かにし、幸せを得る。

 Aしかしこの御言葉は、人に対してだけでなく、神の前に貧しさを知る事だと言う。

  つまり神の前に貧しい者、罪人だと知ることが幸福だ、との意味。するとある人は「私はキリストの救いを必要とするほど心が貧しくない、罪人ではない」と思う方もいるのではないか?  しかし、果たしてそうか?

 【例】良心のテスト…封筒の82円切手に消印がなかった、あなたはそれを使うか?

陰口はどうか?「私は人を傷つけた覚えはない」は本当か?あなたも他人の言葉に傷ついてもその人に何も言わないとしたら、相手もあなたに言わないだけなのだ。

罪と感じなかったのも、罪を一度も犯した事がなかったから感じなかったのか、それとも良心のレベルが低かったから罪と感じなかったのか!?ましてや神の前にはどれほど無自覚の罪があるだろうか!言葉一つで殺しうるものを持っている罪深い自分に気づけば、キリストが私達の為に死後にある罪の裁きを身代りに黙って引き受けてくださったその愛がどれほど有難い事か、わかるだろう。


V.心の貧しい者は幸いである。天国は彼らの者である

神と人の前に自らが貧しい者、罪人だという理解をする者は地上だけでなく、死後の永遠の命さえ約束されている。これは究極的幸せ!なぜなら地上で富や地位をどんなに高く持っても死んで滅びてしまい天国に行けないなら不幸せではないか?!

posted by kbcc at 19:46| 礼拝

2017年11月16日

2017年11月12日礼拝メッセージ「キリスト による三つの回復」ルカ6章6−11節音声で聴く。

ルカ6:6−11      「キリストによる三つの回復」      17/11.12

【序】長野県の温泉湯治場の庭石に「失ったものを数えるな。有るものを数えよ」とある。一つの励ましではあるが、聖書を見ると、もっと素晴らしい励ましがある。回復という神の恵みを教えてくれる。キリストこそその主である。


T.キリストは心を回復してくださる

礼拝に一人の男がいた「右手のなえた」(6)とあるが、この話はマタイ12:10もマルコ3:1にも書かれてある。そのどちらも「片手のなえた人」とあるがルカだけはその片手が「右手」であったと記している。つまりキリストがその男の右手が萎えている事を深い意味でご覧になり、それを医者ルカがキリストのお心を理解して書いたのである。というのはこの男について伝承があって次のように記している。

「私は石工で、この手で生計を立ててきました。イエス様、お願いです。恥さらしにも物乞いをすることがないように、どうか私の健康を取り戻して下さい」

この男にとって利き腕の右手が使えなくなってしまった事は彼の生き甲斐や生活そのものに関わる致命的な事であった。その不安や苦悩をキリストが右手の萎えた手に見られたのであった。キリストは心の深いところを察して下さる癒し主である。

【適用】今日礼拝に私達は集まっている。それぞれパーフェクトの体、心をもってはいない。何らかの不足や必要があろう。そして人には見えないが、礼拝に来るあなたの不足や必要のその背後にある焦り、悲しさ、寂しさ、必要を知って憐れみ、解決へ導く力ある主イエスがおられる!


U.キリストは体を回復してくださる

「手を伸ばしなさい…その通りにすると彼の手は元通りになった」(10)

聖書は精神的なことだけを語っている書物ではない。人間は三重構造(霊、魂、体)の存在で、体の病についても神は深く取り扱ってくださり癒してくださるのだ。「あなたがたが魂に幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるよ うに祈ります」(Vヨハネ2

故に憚ることなく体の癒しを神に祈っていただきたい。ただ神の癒しには二種類ある事を覚えよう。@体そのものの癒しA病を超える心の解放という癒し


V.キリストは仕事を回復してくださる

 この男の右手を癒されたことは彼がまた仕事を回復させていただいたことを意味する。神は今も変わらずあなたの社会生活に深く関心を持ち、経済の必要や仕事上の助けを下さるのである。それ故に経済を含めて具体的な生活に必要な助けを求めて祈ることは御心の中にある。しかし仕事とは何か?二種類ある。シュバイツアー博士は訪れてくる日本人達にこう言った「この世の仕事以外にもう一つの仕事を持ちなさい」。@この世の仕事―生計を成り立たせる仕事 

A神から与えられた仕事―その人に与えられた賜物が生かされ神と人に仕える無報酬の奉仕―祈りの奉仕、喜びと感謝の生活、愛の業

【証】神学生の最終学年時に導いたN(大阪府大8年生)のノイローゼと救い、卒業、就職、結婚…

posted by kbcc at 10:04| 礼拝