2018年01月09日

2018年1月7日礼拝メッセージ「破れ口に立て」エゼキエル22章30節音声で聴く。


エゼキエル22:30        「破れ口に立て」         18.1.7

【序】どんな人もパーフェクトな人はいない。何らかの「破れ口」をもっている。家庭の破れ口、仕事上の破れ口etc私たちは神の愛を知った者として、その破れ口に立って祈りや御言葉や愛の働きを通して「修理する事」を神に求められているのであるが、時にその務めに尻込みし破れ口に立つことを怠る事があるのではないか?エゼキエルもそうだった。破れ口を知らないのではない、知っているのだが「破れ口」に立とうとしなかった。なぜ?それはこれから語るところの間違った考えに捉えられてしまっていたからであった。その考えは、私達が何かに取り組もうとする場合にも同じような理由で尻込みする場合と共通している。新年に当たり心したいものである。


1.不幸の責任転嫁(18:1-4)

○人々の言い分

「父が酸い葡萄を食べたので子供の歯が浮く」(18:2)            

バビロンでの惨めな捕虜生活は父の罪の所為!だからどうしようもないと居直る。

○神の言葉

「父の命も子の命も私のもの。罪を犯した者はその者が死ぬ」(4)

 この意味は自分の負ったものを他人の所為にせず自己責任で生きよとの意味。神が人に命を与えられるとき、強さだけではなく弱さをも併せて造られた。ハンディや劣悪環境もあるかもしれないが、それは神の愛と慰めや新しい力を求めるためであり、その弱ささえも祝福の材料とされる。だから言い訳や責任転嫁して終わらないようにしよう。しっかり受け止めようではないか!


2.苦々しい心(3:14,15)

 エゼキエルは神から御言葉を語る使命を託された時「苦々しい思い」(14)で7日間呆然と留まっていた。それは務めに喜びがうせ不満一杯だったからである。

 仕事ができても喜びや感謝が欠如すると、継続的な喜びある仕事や奉仕ができない。 

 【証】開拓6年で自立したものの相変わらず建物は粗末なまま、あれほど経済を顧みられて感謝だった塾のバイトも未だにフルタイムで働けない不満、あれほど金剛に導かれて感謝だったのに金剛という字が嫌い。金に剛なんて…しかし詩篇16:6で苦い心が全く変えられた。「喜びをもって主に仕えよ」7(詩篇100:2)


3.未来は祝福されるという信仰の欠如(37:1-5

 ○エゼキエルー干からびた骨しか見えない

 ○神―その骨々が生きた大群衆となるのをご覧になる

 神はエゼキエルに「これらの骨は生き返ることができるか」と答えをご存じなのに問われた。これは彼に未来に希望があるという信仰をもたせるためであった。人間というものは本当は未来に希望を持ちたいのに、「凶」の預言に捕らえられ易い。

多くの方が未来の「凶」を恐れるのだが、根本から言うと信仰者にとって最大の「凶」はキリストが十字架で身代わりになって「呪われた者となって」(ガラテヤ3:13)下さった故に凶は終わったのだ→未来の祝福を信じていいのだ! 

posted by kbcc at 14:15| 礼拝