2018年02月11日

2018年2月11日「恵みに手遅れはない」ルカ8章40-42,49-56節音声で聴く。

ルカ8:40-42,49-56 「恵に手遅れはない 18.2.11

【序】私達は何事にも遅れをとるのが嫌で先に先にやっておきたいと思う。でも現実には後れを取る事も多く、時を逸して万事休すと思ってしまう訳だが、人生にはその遅れがなければ素晴らしい恵が体験できない事がある。知ってほしい事は、人生には遅れがあるかもしれないが、恵には遅れがないのだ。今日の聖書は正にそれを教えてくれる


T.会堂管理者が経験した二つの手遅れ

会堂管理者ヤイロに12才の一人娘がいた。「蝶よ花よ」と可愛がられた事だろう。しかし悲劇が襲う。「病で死にかけていた(42)のだ。そこで彼はキリストに来てもらうように助けを求めた。しかし事が上手く運ばず二つの「遅れ」を経験した

1.キリストに来てもらう途中で長血を患う婦人がキリストに癒しを求め、それで時間を使ったため、会堂管理者の家に行くのが遅くなってしまったのだ。

2.キリストが神の御子で全てをご存じなら、娘がどんな病気なのかご存じの筈。それなのに死んでしまってから到着とは!これこそ最大の手遅れ!

想定外の遅れや、神の助けの遅れが私達の人生を襲い、信仰も試される。



U.手遅れを経験した時の問題

 それは、手遅れのために絶望して神に求めることを止めてしまう事→「もう先生を煩わせることはありません」(49)自分の小さな判断や経験で早まった結論を出し早めに切り上げてしまうのだ。多くの人が陥る問題は、自分で考えた計算だけで判断し、神を計算に入れないという事だ。それで神に期待するのを諦めてしまう。しかし神には不可能はないのだ。あなたももう手遅れと諦めていることはないか?!


V.手遅れを超える恵

人生に手遅れの事態は起こるが恵みが手遅れになる事はないのだ。ヤイロの娘が死んで彼は絶望にあった。絶望というのは自分の未来に希望が無くなる恐れである。だからキリストは言われた「恐れないで、ただ信じなさい」(50)励まし「子供よ。起きなさい」(54)と語りかけ子供を生き返らせてくださった。キリストには死でさえ手遅れではなく絶望でもないのだ。多くの人は「死が絶望だ」と思うが、むしろ反対で「絶望こそが死」なのだ。キリストは絶望を変えて希望をお与えになる権威と力をお持ちなのである。人は年を取れば取るほど永遠の命の希望が近づくのである。配偶者に先立たれようと、一人侘びしく死のうと、病で死のうと寝たきりで死のうと、天国の希望は大きくなるのだ。人は病気に負けて死ぬのではない。神の時が来て神の国でその人が必要だから召されるのだ。

 【結び】人生は後れを取ったが、恵に手遅れはなかったピアニストのフジ子・ヘミングの証…

(次頁参照)

ジ子へミングというピアニストの証…彼女は若い頃から天才的ピアニストと言われながら、実際にデビューしたのは1998年で60歳を過ぎてからだった。ドイツに留学し有名な指揮者バーンシュタインに認められ華々しいデビューの機会が与えられたが、風邪をこじらせ全く耳が聞こえなり演奏会は中止。次第に音楽界からは忘れられていった。95年母の死で日本に戻り、96年聖路加病院のロビーでボランティアとして患者さんのためにピアノを弾くだけになっており、もう自分の人生はこれで終わりと思っていたが、事実は違った。彼女がボランティアで聖路加病院のロビーでピアノ演奏をしているのをNHKのディレクターがそこを通りインタビュを試み、この人の番組を作ろうと思い立った。そして「フジ子・あるピアニストの軌跡」という番組を制作し、その中でリストの難曲と言われる「ラ・カンパネラ」を弾いた。すると全国からNHKに電話が殺到した「あの演奏家は誰ですか。今まで見た事も聞いたこともない!」と。れで彼女のCDが作られ、クラシック界では記録を塗り替える54万枚が売られた。その後国際的な舞台で活躍し今日に至っている。彼女は「どうしてもっと早くこの時が来なかったのか、と思ったことがありますが、今がその時だと思います。それまでの不遇の生活を支えたのは聖書の言葉でした」

もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3

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posted by kbcc at 22:16| 礼拝