2018年06月26日

2018年6月24日礼拝メッセージ「失望に終わらない希望」ローマ5章3-5節 音声で聴く。

ローマ5:3−5         「失望に終わらない希望」        18/6.24

【序】多くの方々の人生と関わっての実感は、どんなに試練が大きくても、心に希望があるなら乗り越えていける。しかしどんなに健康やお金があっても心に希望がないと挫折してしまう。希望があるかないかは大きな差である。唯この世の希望は三日もすれば失望に変わり易いのに、聖書には「失望には終わらない希望」がある!その希望をどうすれば体験できるか語りたい。

T.神を信じる事

今週の御言葉(Tペテロ1:21)「希望は神にかかっている」とあるように、失望に終わらない希望は、変わりやすい情報にではなく変わる事のない神に土台がある。神という時、それは人間が作った神ではない。人間を造られた神である。「が」と「を」の一字違いだが天と地の差がある。聖書の神はあなたの創造者である生きた神である。この神を信じる事は失望からの福音だ。

【証】作家の曾野綾子さんはその著作『人は最期の日でさえやり直せる』の中で:

「おもしろい事に信仰を持つようになると、失敗した人生というものはなくなるのである。それは何をしても失敗しないという事ではない。ある人間の生き方が、常に神の存在と結ばれていれば、かりに些かの、或いはかなり大きい挫折はあっても、どのような人生にも意味を見いだす事ができる。…これはいかなる政治家、心理学者、劇作家にもなしえない逆転劇であり、解放である」→神を信じる人生はこのような恵みをもたらす。

U.艱難が希望の出発点であるのを知る事

「患難」とは失う試練の事。(健康、所有、愛する者、仕事…)この「喪失」は辛いことであるが、聖書によればこの喪失は「失望に終わらない希望」に導く出発点である(3)。

 【証】米国で最も尊敬されている大統領リンカーンの人生は心が折れそうなくらいの悲劇の連続…8歳で母を失い。16歳の時父がインディアンに殺され、青年時代婚約者は溺死、うつ病になる。事業は倒産、選挙に出たが5回もの落選。そんな中で唯一生きて来れたのは母親から教えられていた聖書が大きな希望、慰めだった。そしてついに奇跡的に大統領になる。

※あなたに患難が起こるのはあなたが悪い人間だからとか運が悪いという理由ではない。今ま

で自分の知恵と力で何とか生きてきたが、それだけでは今回の地震のように通用しない世界

があり、新たな力で生きていく事に導く神による新しい生き方への招きなのだ。


V.神の愛を知る事

5節に神の愛が注がれているとあるが、人は愛されて生きる。でも現実はそうではない。

「シルバー川柳「徘徊と噂されて散歩辞め」「ペットロス主人の時より号泣し」「遺言書全ては妻にと妻の文字」「温かく迎えてくれるは便座のみ」川柳なら笑っておれるが現実は深刻。しかし神が私たちを愛しているとはいかなる意味か?聖書の言う愛はアガペという言葉で、日本語の日常的に訳し代えると→「大切にする」が最も相応しい定義だろう。「あの人に愛されている」というのは「あの人に大切にされている」であり、「神はあなたを愛している」は「神はあなたを大切にされている」という事だ。この「大切にされる」という愛は実に大事で、私達はよく「元気が出る、出ない」と表現するが、あなたがたその環境で大切にされている時、あなたに元気が出てくるのであり、あなたがその環境で大切にされていない時、元気が出てこなくなるのである。故に「大切にして下さる」存在を発見するというのは極めて幸せな事だ。その愛を発見した

【証】賀川豊彦は旧姓中学生の時、母から「お前は父さんが外で女に生ませた妾の子だよ」と衝撃の言葉を聞き、自分は望まれぬ子だという絶望に陥る。海岸で自殺を思う日々の中、呉服屋に勤める見知らぬ青年から教会に行く事を勧められる。教会で生まれて初めて神が私の創造者、更にキリストが身代わりに十字架にかかり救いを成し遂げられた愛を知り、彼のトラウマが癒され救われる。生きる希望が湧き神戸新開地での伝道が展開されていく

posted by kbcc at 19:43| 礼拝

2018年06月19日

2018年6月17日礼拝メッセージ「あなたの若い日に」伝道者の書12章1節 音声で聴く。

伝道者の書12:1              「あなたの若い日に」                   18/6.17


【序】今日は父の日。父とは、母よりも忘れられやすい存在かもしれない…。私たちは互いに忘れたり、忘れられたりすることもあるが、忘れてほしくない、否、忘れてはならない方のことについて話したい。


T. 「創造者を覚えよ」とは?


「創造者を覚えよ」とは、「神を神としなさい。あなたを造られた方を認め、恐れなさい」の意。こういう話をすると「神がいるなら証明してみよ」という人がいる。しかし、目には見えなくても信じることはできる。

【例】無神論の学生とクリスチャンの学者の会話。重力は五感で感じられなくても、確かに存在する。神も同様。

【証】赤ちゃんは教えなくても、胎内から外へ出る方法を知っている。→人間を超える方の存在を示唆している。

【適用】私たちが認めても認めなくても、神の存在は否定できない事実だ。あなたの創造者を認め、恐れよう。


U.神を信じる必要はあるのか?


Q1「神を信じるのは窮屈だ。信じない方が自由で楽しいのではないか?」→これは本当だろうか?

【例】ソロモン王を見よ。地位、富、名誉を全て手に入れた彼がたどり着いた結論は?「空の空」(8)

【例】私(後藤)の姉。都会に出て、自由を謳歌したが、姉が出した結論も同様だ。「全てが空しい。」

→ソロモンが伝道者の書を残したのは、後世の私たちに彼の過ちを繰り返させないためだと知ろう。


Q2「神を信じるなら死ぬ前でいいのでは?」→そう言う方は、自分が死ぬ日を知っているのだろうか?【例】私の妹は10歳の時、事故で召天した。予期した人はいない。→若くても長生きする保証はない。

【例】日本人は保険好きで知られる。90%が加入している。→死の備えの方がもっと大事ではないか?

ソロモンは言う。「災いの日が来ないうちに(神を信じなさい)。」聖書は、死後に裁きがあると明言する。神を信じなくても生きることはできよう。しかし、裁きがあることを忘れてはならない。(11:9,12:14参照)


V.神を信じる祝福


神を信じて与えられる恵みは計り知れず、数えることもできない。ここでは、2つだけ挙げておきたい。

@      心が満たされる:神を信じるなら、生きる意味は明確になる。神によって、空しい心は満たされる。

【証】英国の数学者J.グッドソン。無神論の家庭に育つも、真の神を信じて、生きる目的を与えられた。

Tヨハ4:10「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、…御子を遣わされました。ここに愛がある…。」

【適用】神の愛が本気で分かった時、意識は変わる。生きる目的は明確になり、空しさから解放される。

A      永遠への備えができる:死と裁きを考えると、恐ろしい。しかし、神を信じる者は恐れることがない。

ヨハネ5:24「…(神)を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きに会うことがなく、死から命に移っている…。」

【適用】今日ほど若い日はない。あなたの若い日に、あなたの創造者を信じ、受け入れて頂きたい。

posted by kbcc at 13:45| 礼拝

2018年06月11日

2018年6月10日礼拝メッセージ「祟りはあるのか」ルカ13章1-5節 音声で聴く。


ルカ13:1−5         「祟りはあるのか」          18/6.10

【序】日本は非常に祟りを恐れる国である。縁起を担ぐのも冠婚葬祭の日取りを選ぶのも病院で4号室、9号室を作らないのも根には祟りを恐れる思想がある。又弱みに付け込んでお金を求める悪徳宗教もある。ある人が不幸が重なり霊能者に「悪い霊が憑りついている。お祓いをしてあげるから○○万円持ってきなさい」と言われたそうだ。これは一種の脅しだ。この様に悪い事があった場合、何かの祟り、因果応報とか、或いはクリスチャンでも自分は罪深いからこんな事が起こったのではないか、と悩む方もおられる。いったい祟りはあるのか?聖書のメッセージを聞いて頂きたいと思う。


T.祟り思想の実態

総督ピラトがガリラヤ人を殺して、その血を祭壇の生贄に混ぜた事件で、殺された人々は他の人より罪深かったのではないか()、また塔が倒れて亡くなった人たちは他の人より罪深かったのではないか()、と当時の人々は考えた。こういう思想は昔も今もイスラエルにも日本にも根強く残っている。     

         【例】1.三浦綾子さんはカリエスで療養中ある宗教の伝道師に「肺結核と癩病は天刑病で神が与えた

              罰、即ちハイと素直に返事しなかったから。顔にある痣は前世で夫の顔を踏みつけたから」

と言われ非常に心を傷つけられた。

    2.横田めぐみさんが拉致された時、母早紀江さんに宗教の勧誘「子供は親の鏡。子は親の全てを表す。新聞を騒がす事件が起きるのは、先祖の因果応報」と責められ涙す…

U.主イエスの答え

「そうではない」()「そうではない」()と二度も強く否定し、祟り思想、因果応報思想を一蹴された。聖書が祟りを否定する二つの理由:

1.   十字架で主イエス御自身が人類の罪の呪いを一切を引き受けて下さった

確かに罪は裁かれねばならない。しかし何度も罪を犯し続ける弱さを持つ人間のためにキリスト御自身がその裁きと呪いを私たちに代わって受けてくださった。十字架はそのためである→ガラテヤ3:13 だから呪い祟りは終わったのだ!

 2.神が災いを祝福に変えてくださる

ヨハネ9:1-3「神の業が現れる為」=神を信じて生きる素晴らしさがその人に現れる、との意味。主イエスは、自分には何の責任もない生来の盲目の人に、因果応報の思想を完全否定されただけではなく、かえって、そのハンディを通して神の業が現れる道を示された。∴【証】新垣勉さん…生まれて間もなく助産婦の間違いで家畜に使う点眼薬を投与され失明、更に1歳の時、ラテン系アメリカ人の父と日本人の母離婚。母は彼を祖母に預けて再婚。大きくなったら両親を殺して自分も死ぬと決意する。唯一の慰めは歌うこと。14歳の時ラジオから流れてくる讃美歌に惹かれも教会に行き牧師に思いのたけを語る。やがて信仰を持ち、新しく生き始め盲学校、西南大学に学ぶ。そこで世界的ボイストレーナーのバランドーニ師に「あなたは日本人離れした天性の明るい声をもっている、きっとお父さんのおかげだね、感謝すべきだよ」憎しみが消え去った瞬間だった。

V.だから悔い改めよ(3,5)

「悔い改め」で誤解があるのは「悪い行い」を改めると理解されている事で、それは聖書では「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」であり、「悔い改め」とは思いを変えること

【適用】→神無しの考えから神がおられる考えに。キリストは単なる宗教家という考えから神の御子救い主という考えに。自分には罪はないという考えから自分も救われねばならない罪人であるという考えに。禍は祟りだという考えから神の御業に変えられるという考えに変えられていく事である。


posted by kbcc at 14:31| 礼拝