2018年07月10日

2018年7月8日礼拝メッセージ「束縛からの解放」ルカ13章10-17節 音声で聴く。


ルカ13:10−17           「束縛からの解放」         18.7.8

【序】星野富弘さんの詩「動ける人が動かないでいるのには忍耐が必要だ。動けない人が動かないでいるのに忍耐など必要だろうか?そう気づいた時、ぐるぐるに体を巻き付けている棘の生えた縄がフッと解けた気がした」今日の聖書には18年も腰が曲がっていた婦人がキリストによって癒された出来事が記されている。それを「束縛からの解放」(16)と主が言われた。私たちも様々な事(健康、人間関係…)に束縛を感じているが、ここに束縛を解く三つのメッセージがある。


T.長い試練にも終わりの時がある

この婦人は18年間「腰が曲がった」状態(11)だった。年の所為ではなく「病の霊につかれて」(10)腰が曲がっていたのだ(10)18年は長く辛い。しかしキリストはこの婦人に目を留めキリストの方から婦人に声をかけ癒して下さった。どれだけ嬉しかったか!→「神をあがめた」とある位だ。試練が長いのは辛いが、聖書に「試練と共に脱出の道も備えられている」(Tコリント10:13)とある。どんな試練も終わる時があるのだ!人間には明日が分からないので不安になるが、聖書は必ず脱出の道がある事を私たちに教え励ましている。


U.病を癒す神がおられる

この婦人の病をキリストは癒された。この現代に神が癒すなんて「そんな奇跡があるのか?」と疑問に思う方もいるだろう。現代は医学が癒すという人もいる。しかしどんな名医でも病人の中に治癒力がなかったら癒されない。その治癒力を増し加えて癒すのは人間を造られた神なのだ。そして聖書には病に関して二種類の癒しの奇跡が記されている。一つは病そのものの癒し。もう一つは病に負けない心という癒しである。

【例】ヘレンケラーはサリバン先生を通して信仰を持ったが、三重苦が治ってはいない。しかし三重苦に負けない明るさと希望が信仰によって与えられ、それが世界中の人々に光と希望を与えた。

今日この様な心こそ大きな癒し解放ではないか!病と魂の救いの解放の為に祈ろう!


V.貶められた価値を回復されるキリストがおられる

心無い会堂管理者の態度(14)に比べて、キリストの愛の態度の素晴らしさが際立っている言葉!→「アブラハムの娘なのです」(16)ユダヤ人にとって信仰の父アブラハムの娘であると言われるのは最高の賛辞!彼女は社会で役立たずと言われたかもしれないが彼女を深く憐れむキリストは「アブラハムの娘なのです」(14)と最高の価値を示して下さった!

【証】リーダーズダイジェストの記事「重度障害児からピアニストへ」

優れた保母だったメイ・レキムに小児科医から電話があった「生まれつき目が見えず、脳性小児麻の6カ月の男の子の里親になってもらえないか」と。友人は、視覚もないし聴覚も触覚も反応がない子の世話なんて時間の無駄だと言うが、神の目にはどんな子も等しく価値があると信じる彼女は受諾し「この子の人生に意味があるように一つの才能を与えて下さい」と愛と祈りをもって育て続けた。そして彼が16歳になった時、奇跡が起こった。なんとそれまで音楽を聞かせてもピアノを与えても何の反応も示さなかったその子がある晩突然「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番」を弾いた。更に19歳の時美声のバリトンで歌い始めた。そして26歳の時言葉を話し始めた。精神科医の専門家はこの出来事を説明できなかったが、彼はこう言った「僕を愛してくれる母のような人と神への祈りが奇跡を生んだのです」と。

posted by kbcc at 19:29| 礼拝

2018年07月03日

2018年7月1日礼拝メッセージ「迷いが出た時の処方箋」ルカ13章6-9節 音声で聴く。


ルカ13:6−9       「迷いが出た時の処方箋」         18/7.1

【序】職場、学校、家庭で今している事やしようとしている事に確信が持てなくて、迷いが出るという時がある?そういう迷いが出たときの聖書による処方箋。


T.合う、合わないではなく置かれている所が神の御心と信じなさい

普通、葡萄園には葡萄が植えられている筈だが、ここでは「葡萄園」に「無花果の木が」植えられている()。これはイスラエルでも相応しいわけではない。何かの不都合で、又はやむにやまれずこういう形がとられた様だ。しかし覚えたい事は、その無花果を置いたのは「主人」。同じ様に主人である神があなたをそこに置かれた。【適用】故に合う、合わないではなく、置かれたところが神の御心と信じなさい。確かに仕事、家庭、環境、など、そう大して使命感を持って選んだのではないのではないかもしれないし、「成り行き上こうなった、やむにやまれずそうなった、それしかないのでこうなった…等々」。今も果たしてこの職場や環境が合っているのかどうかわからない…しかし会う、会わないで判断せず、今は導かれている所を神の御心と信じなさい。


U.結論を早まるな

でも、今の自分に不安を持つ時がある。それは→「実が結ばない」(6,7)

無花果は植えて3年で実がつく木。ここで「3年もの間…」とあるのは、実がつく筈の3年目から数えて3年間辛抱したが実がつかなかった。つまり6年間実無し!

この様に実りがないと、自分がここに置かれている事自体に不安を持ち易い。そして結論を出しやすい。どのような結論?→「切り倒せ」(7b)

しかし、ここに別の考えを持つ人がいた!→番人(8)

この「番人」(文語訳「園丁」(庭師)つまり、無花果の事を一番よく知っている庭師。「もう一年チャンスを!」(8)=もう一年やってみましょう、との提案

この「庭師」=キリストご自身 この「庭師」には木を切り倒すことなどはなから頭にないのだ!(「もう一年」とは結論を先延ばしにした表現)


V.他に方法がないか工夫してやってみなさい

番人は言う→「木の周りを掘って肥しをやってみますから」(8)実は結ばないと諦めているが、他の方法があるかもしれない。「実を結ぶ工夫」をして取り組んでみる事が大切である。伝道者の書11:6「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたはあれかこれかどこで成功するのか知らないからだ。二つとも同じ様に上手く行くかもわからない」

あなたの不確かな可能性を信じるのではなく、あなたに関して実りある生涯を保証してくださるキリストの可能性を信じなさい。

【適用】ペテロ徹夜の漁で一匹の魚もなし。「もう一度網を打ってみなさい」→大漁!

posted by kbcc at 20:48| 礼拝