2018年08月26日

2018年8月26日礼拝メッセージ 「あなたを救う素晴らしい福音」Tコリント15章1-2節 中西正夫音声で聴く。

Tコリント15:1,2  「あなたを救う素晴らしい福音」  18.8.26

【序】今日の箇所に「この福音によって救われる」と聖書自身が語っているが、この福音はキリストが2千年前に成しとげられたのであるが、驚かされるのは2千年前の出来事なのに現代の人々の悩みに答える内容をもっている事である

  

T.あるがままのあなたを愛する福音

人間って本当はあるがままで愛され受け入れてほしいのだ。それが可能な時代は赤ちゃんの時代。文句なくあるがままで愛される存在である。お金があるからでもなく、将来活躍するからというのでもない。ただこの家に生まれてくれたという存在そのものの喜びである。しかし子供が学校に上がるようになるとそうは行かない。やれ成績だ、能力だ、ルックスだとプラスαで愛や価値が決まってしまう。それがないと落ちこぼれというレッテルも貼られる。社会人になると今度は給料や地位に関わる成績で一喜一憂、勝ち組、負け組で戦々恐々の世界である。だから現代多くの人が人間関係でノイローゼにな。しかしここにこの現代に救いをもたらす福音がある。「わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43;4)あるがままのあなたを愛する神の、十字架の愛!


U.真に生きる目的をもたらす福音

    人は自分のしていることに意味や目的がなければ生きていけない。幼い時は意味や目的

が無くても楽しければそれでいいが、大人はそうは行かない。

【例】私が○○さんに声をかけ「昔遊んだ滑り台でもしますか」と誘う。「いいなあ声が上ずっている順番を決め。おもむろに滑る。感激というがするすると○○さん突然スーパーマンの格好で前すべり…こんなことを一日中していたら、きっと疑われるに違いない。子供にはできても大人にはできない、何の為にと考えるとできなくなるのだ。

人は正しい意義のある目的のために生きたいのだ。ではそれは何か?仕事をするため?

そうなら元々仕事ができない人には生きる目的がないといいう事になる。有るのは目先

の目的ではないか?聖書によれば人間の生きる目的は「神と人を愛する事」(マタイ22:37-40

福音はこの目的を指し示すのだ!


V.将来の不安を取り除く福音

 自分の将来に不安を感じている人は多いある集会「神があなたの未来を見せてあげようとしたら見たいか?」ほとんどは見たくない、と答えた。もし大変な問題があるなら不安で対処できないからだが、どうだろう?もしその問題が身に降りかかっても決して自分を破壊しないという世界が分かれば大丈夫!そんな世界があるのか?あるここに素晴らしい聖書の福音の希望がある。ローマ8:28万事を益とする神がおられるのだ


W.最大の不安である死に打ち勝つ福音

健康の不安は強烈。その先に敗北しかない死があると思うからだ。

【例】「ついに行く道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思はざりけり」(在原業平)

「今よりは何にか頼まん方もなし教えて給へ後の世のこと」(良寛)

しかし人類最大の不安に勝利する道が与えられた→キリストの復活である(3,4)それは妄想でもなく、上手く考えた作り話でもない。キリストは文字通り死に打ち勝ち復活されたのだ。弟子達の殉教と、2千年の信者の証言から裏打ちされた永遠の希望なのである。キリストこそ死に打ち勝ち永遠の命を与えて下さるお方 福音を受け入れませんか?


posted by kbcc at 15:12| 礼拝

2018年08月19日

2018年8月19日人気礼拝メッセージ 「今日の小事は明日の大事」ルカ16章1-12節 中西正夫音声で聴く。

ルカ16:1−12 「今日の小事は明日の大事 18/8.19

【序】以前今日の箇所について尋ねられた。「この譬え話の意味が分からない。主人の財産を使い込み、見つかって職を失う危機を知ると、今度は債務書を勝手に安く書き直し債務者に恩を売って助かろうとする。実にずるい管理人なのに、なぜ主人は「ほめた」のか?更に不正の富で自分のために友を作っておけば富がなくなった時、永遠の住まいに迎えてくれる?」そんな事で天国に行ける筈がない」と。その通りで真に不可解な譬え話だ。そこで@先ずこの疑問に答えたい。Aこの中心メッセージは何か B中心メッセージに生きる力はどこにあるか?を伝えたい。


T.疑問に答えて

 @疑問その1―主人の財産を乱費し(2)、しかも職を失う危機を知ると債務書を勝手に粉飾したずる賢い管理人のやり方を、なぜ主人は「ほめた」(8)のか?

:「ほめる」は賞賛ではないだろう。抜け目なさに呆れた感心であっただろう。喩えていえば、刑事がずる賢い犯罪者の手口に感心するのと同じ。

 A疑問その2―「不正の富で自分のために友をつくりなさい。そうしておけば富がなくなったとき、永遠の住まいに迎えてくれる」(9)?そんなお金で造った友達が天国で迎えてくれる筈はないだろう!

これは文字通りに解すると聖書の真理に反する。∵永遠の住まいに入れる権威のあるのは神だけで人間に資格も権威もないからだ。この意味は「皮肉的用法」=「せいぜい不正を働くがよい。そうすればあなたがお金で作った友達が永遠の住まいに迎えてくれるだろうよ…」 そんなことはないことの裏返し的用法。


U.中心メッセージは何か

(だから)「小事に忠なる者は大事にも忠なるべし」(10)

与えられた務めが小事でも、それに忠実でなければ、人生の次のステージに大事はまかせられない。大事ができるかどうかは、小事に対する忠実さで量られる(10)との意味である。私達は小事を適当にしがちだが、神は私達がその小事をチャンとするかどうかで大事を任せる人物かどうか判断される。唯、その小事を行う環境は好ましくない環境の場合が多い。しかし神は人を豊かな信仰と人生に導く場合、そのような環境に置かれるのだ。その最たる例がヨセフである。私達はその環境に振り回されがちだが、大切なことは最終的にあなたをそこに置かれたのは神であって不運ではない!そこをちゃんと見れるかどうかだ!→創世記45:3−5!


V.忠実さに生きる力はどこから来るのか

忠実さに欠けると嘆く人よ→実は神様は人間にこの忠実さが状況や気分で無くなったりすることを御存知で、人間の生来の力ではなく御霊の実の一つとして与えることを約束された(新改訳聖書では「誠実」だが口語訳聖書では「忠実」)

つまりキリストに結びつくことによる神のもたらす「実」である。私達の務めは実を結ぶ努力ではなく神に繋がりつづける事!


【証】飽きっぽい私の性格なのに「続いていること」…

posted by kbcc at 22:23| 礼拝

2018年08月12日

2018年 8月12日礼拝メッセージ「頑張る人の盲点」ルカ15章25-32節音声で聴く。中西正夫牧師

ルカ15:25−32頑張る人の盲点」        18/8.12

【序】務めに頑張る人は頑張らない人より遥かに良いのだが、一生懸命頑張る人に見えていない盲点がある。それが今日出てく放蕩息子の兄の姿に見られる。日本人は勤勉で頑張り屋が多いと言われるので聞いておきたいところだ


T盲点1−喜びのない頑張り

「長年あなたに仕え、戒めを破った事は一度もありません。しかし楽しめといって…」(29a)

大変に頑張ってる!しかし不満ありあり。家出した弟の分まで働く立派な兄を支えているのは責任感。これ自体は良い事。しかし頑張ってるが残念ながら喜びがない。良いをしているのに喜びや感謝がなく責任感だけで働いているのは独りよがりの頑張りに陥り易い

【例江戸時代の話…岡崎城水野忠善という殿様に天野半九郎という忠義者がいた。彼は6時起床というところを5時には起きて殿様の洗面のために桶に湯を入れ又馬を引いて待ち構える。何事も先へ先へと回り、一生懸命奉公したが殿様からお役ご免になる。納得がいかない天野は殿様に「私は殿様の御為に専ら歩んで参りました。何故のお役ご免でござりまするか!」と直談判。すると殿様曰く「お前の奉公はお前一人の奉公。他の者を凌いで、お前一人だけ奉公すればよいという奉公じゃ。余は肩が張ってかなわん。もうよいわ」と。独りよがりのガンバリズムは意外に自分が思うほど相手は喜んでない。→「喜びをもって主に仕えよ」(詩篇100:2)


U盲点2−愛がない頑張り

「遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰ってきたあなたの息子」(30)

「弟」なのに「あなたの息子」と言う。関係を切ってしまっている。冷たい心!

どんなに仕事ができても、正義でも愛がないというのは問題を解決しない。誰かのために頑張るのは立派だが「私は正しい」と頑張るのは相手が間違っていると発信しており、それは無限に人を傷つけている。それに気がついていない。聖書的に言えば、自分のまじめさや正しさで神の前に立てる人は一人もいない。太陽さえまともに見れない人間が太陽を作られた清い神の前に立てる人などいない。人間皆罪人。一寸できると思ったらすぐ鼻が高くなるその傲慢が一番大きな罪!愛のない中途半端な正義は問題!→Tコリント13:2「愛がなければ何の値打ちもない」


V盲点3−いに気がつかない頑張り

兄は「一匹ももらっていない」(29)と言うが「父は身代を二人に分けてやった」(12)から残りは自分のものの筈(12)。ほしければ食べればいいのに!報われていないと誤解して不満一杯。勘違いで生きている。 では「報い」とは何か? 

正しいことができるということ自体で充分報われている。良い事ができる、正しく生きられる、それ故信頼もされるということ自体、ちゃんと報いを受けている。

【適用】教会には概して兄タイプの人が集まる。兄の優秀さを更に磨きをかけて更に良い人間になろうとする。自分でやれるのであれば、やったらよい。しかしやればやる程やれない自分に気づく、そこからキリストを信じる必要が分かってくる!

posted by kbcc at 23:53| 礼拝