2018年09月23日

2018年9月23日礼拝メッセージ 「苦難の奥義」申命記8章2、3、16節 中西正夫音声で聴く。

申命記8:2、3、16「苦難の奥義」     

【序】多くの方から「まじめに生きているのになぜ苦しみがあるのか?」「悪い事をしていないのになぜ災害を被るのか」と聞いてきた。これは古今東西多くの人が直面してきた苦難の問題である。「苦難の奥義」と題してメッセージしたい


T.誰が苦しめるのか

「主はあなたを苦しめて」(3)と語る。この意味は神がいじわるで人を苦しめるというのではない。神は愛である。これは人間の苦しみの全責任を取る神の強い意志の言葉。苦難にある人が人や環境しか見ないなら、不運を嘆き恨みしか出てこない。大切なのは悪でさえ益に変えられる愛の神に目を注ぎなさいという事だ。その時苦難の奥義が三つ語られる。


U.苦難の奥義

 1.「あなたの心の内を知るため」(2)

人は順調な時、自分の知識や経験に頼り、お金や健康にも気を遣いあれもこれもあると思って安心を得ようとするが、苦難の時、それが大した力にならない事を知らされる。【例】狐と猫の会話(イソップ)…狐「お前は幾つ逃れ場を持っている?」猫「たった一つだよ。木の上!」「そんなことでどうする、俺はここにもあそこにも幾つも持っている」そのとき猟銃が聞こえた。猫は一目散に木の上にかけ上った。ホッとして木の上から見下ろすと、狐が猟犬にやられていた。「あれ程逃れ場があるのに、どうして

狐はどの逃れ場にするか迷ったのだ。幾つも逃れ場があるのはどれにも確信が持てないからではないか。あなたは

2.「神の言葉によって生きるため」(3)

苦難には目的がある→神の言葉によって生きる事。神に造られた人間が神の言葉によ

って生きることそれが人が苦難に会う最大の目的なのだ。真に支えを得るためだ

【証】健康には自信があり仕事もバリバリできたビジネスマンがいた。しかし仕事中に意識

 不明で倒れた、心筋梗塞だった。10年間風邪ひとつひかないと健康に自信があったが…何とか一命は取り留めたが前のようにバリバリ働けない。やがて社長から退職を迫られた。悶々とする日々病院でラジオのキリスト教番組を聞き、通信講座も始めた。私と会いた時は聖書の半分くらいまで読んでおられた。そして言われた「仕事も健康も当てになりませんね。病気になったは辛いでしたが健康な時には得られなかった人生の支えと安らぎを聖書に見出して私は本当に嬉しく思っています」

3.「ついにはあなたを幸せにするため」(16)

【証】高3の私の心は虚しさで一杯だった。夏休みに交通事故に遭い二学期も少し休み、父の事業が倒産。

母親はクリーニング店の取次の仕事。やくざの取り立てに恐怖の中にあったしかし私は父の悲しみ悔し

さに同情するよりも、自分がこの受験期に歯止めがかかる不運を嘆く身勝手さに気もつかないエゴイス

トだった。確かに自分の家という小さな環境ではあったが苦難に打ちのめされていたが、その苦難を通

して父も信仰を持ち母と主の祈りをもって一日を始めるに至り、私は天職と思える牧師への道が開かれ

た事を思えば、「ついには幸せにする」は本当だった。

【証もっと名のある人物の事を証するなら、あのリンカーン大統領は、幼い時母と死に別れ、少年期に父がインディアンに殺され、青年期に婚約者が溺死し、成人してから選挙に打って出たが6も落選したかし最後に打って出た大統領選挙で奇跡的に当選、奴隷解放で世界的に有名な指導者になった。ついには幸せにする」は真実だった!彼は言う「聖書こそ神が人類に与えて下さった最も素晴らしい贈り物であると信じています。世界の救い主キリストを通して与えられるすべての良い物は聖書を通して私たちに明らかにされています」


posted by kbcc at 12:53| 礼拝

2018年09月17日

2018年9月16日礼拝メッセージ ルカ17:11−19 「感謝が事態を変える」 中西正夫音声で聴く。

 「感謝が事態を変える  ルカ17:11−19

【序】以前電車に乗ったらドアの入口に4,5人の高校生達が突っ立っていた乗り降りに迷惑けではなく大声の立ち。教師や友人の不満、悪口が出るわ出るわ降りるまでこちらも不愉快だった感謝する事と、不平不満を言う事とは人生を全く違った色で塗り潰してしまう対照的な魂の態度だ。感謝する魂は人生を喜びと祝福で満たすが、不平不満を呟く魂は全ての中に問題と欠点を見つけ出し、人生を暗く寂しいものにしてしまう今日は「感謝が事態を変える」と題してメッセージしたい。


T.感謝する事が祝福されることである

「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」(16)

この話の強調点はライ病の癒し以上に、癒されたことの感謝にある。主イエスは癒しの後に感謝を表すために戻ってき外国人を賞賛された。神の御心は、与えられた恵に対して感謝を捧げる事。してもらったことを当然と思って頭を下げない人がいるが、これはいけない事である。人間は全て「裸で胎を出て裸でかしこに帰る」存在。元々持っているものは何もない筈。それを弁える時、してもらったに当然はないのだ→故に「感謝の心を持つ人になりなさい」(コロサイ3:15)


U.不平とその原因

感謝は教えられねば身について行かないが、不平は放っておいても身に付く。

【例】子供にありがとうという事を教えたい母親が子供と電車に乗った。隣のおばさんが「お利口ね。ハイこれあげよ」とミカンをくれた。黙って受け取る息子に、母親が「こんな時何て言うの!」と言うと、その息子「おばちゃん、皮むいて

お礼は幼い時から教えられねば言わないものだ。しかしそれに対して不平は教育不要。元々人間は何かうまく行かないと不平を言うようにできている。聖書にイスラエルの民がエジプト脱出後どんなに不平を言ったか記されている。紅海を奇跡的にわたった三日後に不平(食べ物…水、パン、肉)→挙げ句の果てはあれ程嫌だったエジプトの方が良かった…文句に際限がない!出エ16:2,3

不平原因は過去と今の現在しか見神の愛の未来計画を見ない事にある


V.感謝が事態を変える

「あなたの信仰があなたを直した」(19)

癒し自体はキリストによって成されたが、今後の人生には感謝する信仰が癒し問題解決の原動力になる事を教えられた感謝する信仰は事態を変え原動力なのだ

【証】ウエブで「感謝の7つの効用」@心身の健康(ストレスが少なくなるから) A幸せになる(前向きな生き方だから)Bよく眠れる(寝る前に感謝ノートを15分つける)Cセルフイメージが上がる(自分は大丈夫と肯定的になる)D人に好かれる E仕事で成功する率が上がる(人間関係が良くなるから)F余計な買い物をしなくなる(物がないと幸せになれないとは考なくなる)

posted by kbcc at 00:54| 礼拝

2018年09月10日

2018年9月9日礼拝メッセージ「山が動く」ルカ17章5,6節 音声で聴く。

「山が動く」ルカ17章5,6節

【序】人生で直面する問題の「山」が動いてほしいと思うことないだろうか。昔の弟子達もそんな「山」が動いてほしいと思い、キリストに尋ねた。今日はどうしたら動かぬ山」が動くのか、又「山」が動くとはどんなことなのか、メッセージしたい。


T.問題の「山」が動かないのは信仰が弱いからではない

弟子達はキリストに言った「信仰を増してください」(5)

マタイ17章に同じ記事が詳しく書かれ説教題もそこからの方が日本人にぴったりかと思い取ったが、弟子達が主に尋ねたいきさつが書いてある。我が子の病気で悩む父親に弟子達は何の助けも与えられなかったが、キリストが癒されるのを見て、弟子達が後で、その癒しの原動力は信仰の強化にあると考え「信仰を増してください」と求めた今日なら聖書をもっと読み、もっと祈り、もっと熱心であればが山が動くのではないかと考えるのと同じしかしキリストの答えは意外だった→「からし種ほどの信仰があれば…」(6)からし種は粒のような種量ではないのだ、質なのだ。ではからし種の信仰とは?


U.難題の「山」を動かすからし種ほどの信仰とは何か

「からし種ほどの信仰があったら…」(6)

からし種の信仰とは視点を変える事「山」から目を移し、「神」に目を移すこと。

私たちは「問題の山」が目の前に迫ると、「山」を見て圧倒され、恐れてしまう。しかし山が如何に大きくても、あなたを支配するのは山ではない。あなたを支配するのはあなた造られ山さえ動かす全能の愛の神なのだ。信仰とは山ではなく神に目を移す事である。僅かでもいい、向きを変えることだ。能面でも少しでも向きを変えると表情が全く違うように状況が変わってくる。

 【証】8月31日病床洗礼を受けられた吉宗博兄はキリスト教を拒絶してこられたが私の訪問を受け入れるとの返事。肺がんで危篤状態との連絡を受け病院に着いた時は全く返事も反応もない。1時間呼びかけ続けても変化はない。この「動かぬ山」に支配されそうになったが、視点を変えて神に目を注ぐ、その繰り返しであったが、僅かな信仰でも神はそのからし種の信仰を顧み、信仰告白と洗礼に導かれた。


V.「山」が動くとはどんな事か

1.「山」自体が動く文字通り問題の山が動いて解決が起こる。

【証】ナイロビの婦人…夫が死に生活にも困り始めた。山を相続したが畑をしようにも土の下は岩盤で農作に適しさない「山」を売るにも畑に適しない山は売れない。そんな時、教会で今日の山が動く話を聞いた。そこで毎日山の前で畑地になるよう祈ったが何も起こらない。そんな時政府役人が来てこの近くに高速道路を作りたいが、あなたのの下にアスファルトがあるのが分かった。4百万ドルで、売ってほしい」山が掘削されアスファルトが取り出され、土だけになったところで固い山地が畑になった。「山」が文字通り動いたのである。

2.「心の山」が動く支配されている様に思える「山」が平地に見える

【証】ニューヨークリハビリセンターの壁にある詩…次頁参照

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、

慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。
        

(訳者不明)

posted by kbcc at 02:22| 礼拝