2018年09月02日

2018年9月2日礼拝メッセージ 中西正夫牧師 「死後の世界はあるのか?」ルカ16章19-31節 音声で聴く。

「死後の世界はあるのか?」ルカ16章19-31節

ルカ16:137死後の世界はあるのか」18/9.2

【序】私は高3の夏休みに交通事故に遭い、飛ばされて意識を失った、黒山の人だかりの中、意識が戻った時に出た思いは「死ななかった!」だった。こういう経験をしたので、その後私は「いったい死後に世界はあるのか?」という疑問の答えをどうしても知りたくなった。もしないなら地上ののみに集中して好きなように生きよう。しかしもしあるならちゃんと備えをしなければならない、と考えた訳である。死は誰もが最後に迎える。あなたも考えるべき課題ではないか?今日はその事に真正面から答えられたキリストの言葉に耳を傾けよう


T死後の世界ある

キリストの話の中に二人の人物が登場する。強欲で神よりもお金が大事考える金持ちと、貧しく病もあるが神を敬うラザロという人物。この二人が共に死ぬ。金持ちは死んで葬られ、ラザロは葬儀もない死に方で人生が終わる。しかしである。死んで終わりではなかった。ラザロはアブラハムのふところ、つまり天国に行き(23)、他方、金持ちは地獄で苦しんでいる(24)。死後の世界はあるのだ。又二つしかない。そこで何が行われるか?この世の矛盾が正されるのだ(25)

【適用】ある人は死後の世界なんて作り話だと言うが、地上だけが全てなら、何とこの世は矛盾だろう。悪人が甘い汁を吸い裁かれる事なく終わる?…善人が報われずに誤解されたまま死ぬ?納得できだろうか?!神はそれを赦されないのだ。この世の矛盾不公平、罪の裁きがしく行われる世界が死後にあるのだ。(26)

U.天国と地獄に行き来はできない

「そればかりではなく、私達とおまえ達との間には大きな淵がある。ここからそちらへ渡れないし、そこからこちらに越えてくることもできない」(26)

言葉を代えて言えば死んでから誰かがお祈りをすれば死んだ魂は天国に行けるというのは儚い期待である。「死後の二つの世界は超えて行けない」だ。

【適用】死者のために祈る祈りは無効である。葬儀の時に祈るべき祈りは遺族の平安と救いの為であって死者のための祈りは無意味なのである

V.死後の世界を決めるのは聖書に対する態度で決まる


死後の世界を決定づけるのは、地上に生きている時の聖書に対する態度である。(31)聖書のメッセージを聞いて、創造者に対する真を尽くしてキリストを救い主と信じて悔い改めるか、それとも創造者を受け入れずに自己中心に生きるのか、という態度が自分を決める【証】先週金曜日、かねてより入院されていた吉宗博さん(真喜子姉の父上、里菜姉の御祖父様)が信仰告白されてそれに伴い病床洗礼式が行われた。長くキリストを拒み続けておられた。出会いは3年前家族の納骨式を依頼され車で2時間話した、関学の出身者でチャペルにで出られたが全くの無神論者。しかし2年前肺癌。自覚は無かった。一か月症状が悪化し入院。真喜子姉に「お見舞いに行きたいがお父さんに打診してもらえますか」無神論者であったが返事は「来てもらいたい」そして先週水曜日に行くことになっていたがが出て不可。祈りつつ金曜日駅前伝道に出かけているとき電話が入り「危篤」急遽出かけたが反応なし。しかし午後になって孫の里菜姉が到着して、反応回復。イエス様信じる?に手を二度まで上げて応答。私も婦人集会が終わり病院行き「イエス様を信じますか問いに頷きで応えられた。1時間後病床洗礼に導かれた。そしてその晩召天された。正に最後の成すべき務めを終えたかのごとくの召天だった。

posted by kbcc at 14:20| 礼拝