2018年10月16日

2018年10月14日礼拝メッセージ「大いなる出会い」ルカ18:35−43音声で聴く。   

【序】あなたはどんな人と出会いたいか?もしその出会いが生涯忘れられない救いを与える出会いならどんな嬉しいことだろう。今日出てくる人物は低いセルフイメージで生かされてきた人であるが、そんな人がキリストに出会い大きく人生が変えられていく。「大いなる救い」と題してメッセージしたい


Tバルテマイの環境 

エリコの町の門前に生まれつき盲人が物乞いをしていた。ルカ伝では名前が書かれてないがマルコ10:46では「バルテマイ」とあるしかしこの名前は変な名前だ意味は「テマイの息子(バル)」。つまり親は子が盲目だからと言う理由で名前を付けず、親の名前を使って「テマイの息子」と呼んでいた。自分の名前を付けてもらえないのだ。障害も大きな悩みだが、それ以上に自分の存在に価値を見いだせないことほど生きる力を失わせるものはない。価値を与えられない環境は生きる意味を失わせるのだ。ここに彼の深い苦悩と絶望がある

【例】最も残酷な漫画が日米にある

チャーリーブラウンが友人ライナスに呟く「出版社から原稿不採用だ」「どんな作家もそれを経験してるよ」

「そうじゃないんだ、原稿送る前に不採用通知が来るんだ、君では力不足だ」と。

  ○「ドラえもん」 ジャイアンのセリフ「のび太のくせに生意気だぞ!」

【適用】現代の傾向として親は子供を「甘やかしすぎ」か「ガミガミ叱る」のどちらかになり易い。親の務めは三つ@善悪の基準を教えるA存在自体に価値を与えるB神と人を愛するという目標に生かす事


U.バルテマイの出会い

しかしそんな彼の置かれた道をあるお方通られるという。彼は尋ねた「一体何事ですか?」(36)「ナザレのイエスが通られる」(37)それは彼に期待を抱かせた→盲人に光を、死人は甦り、嵐を静め、闇の中にある者に生きる力を与えるイエスという方。彼の前をイエスが通る。心は弾んだ。変われるかもしれない

【適用】どんな人も人生のどこかで素晴らしい出会いを経験するチャンスがある。現在他人から強いられた人生に見える時かもしれないが、あなたの苦悩を知られるキリストはあなたを祝福しようと出会われる。あなたも今教会に導かれたということ自体神との出会いに導かれている!


V.バルテマイの救いー救いと願い実現の道

@願いの対象を明確にする事―キリストへの信仰「ダビデの子よ」(39)救い主

  【適用】求道者の方よ、要はキリストがあなたにとってどういう方かが分かる事だ。

A明確に言葉で言い表す「私に何をしてほしいのか」主は御存知だが敢えて尋ねられる

「主よ。見えるようになる事です」(41言葉で明確に表した時心と体の闇が開眼した。

【適用】ある人は救いを願っていても、その思いをイエスに表さないで、心の中にしまったままではないか?願っているだけでは何も起こらない。主はあなたが自分の思いを直接表現して求めてくる事を願っておられる。

posted by kbcc at 01:50| 礼拝

2018年10月08日

2018年10月7日礼拝メッセージ中西正夫牧師「失望はしないと心を定めよ」ルカ18章1-8節音声で聴く。

 

ルカ18:1−8 「失望ないと心定めよ」中西正夫

【序】私たちは様々な出会い失望してしまう事が多いが、キリストは1節で「失望してはならない」と言われた。失望は出来ればしないようにというのではなく、「失望はしてはならない」のである。だから人間の側で言えば「失望はしないと心定める」事なのだ。そんな不可能のに思える事だがそうできる理由がある


T.失望からは悪しか出てこない

・一般的意味:「失望=望みを失うこと」

・聖書的意味:「エン・カコス」(原語) エン=〜の中 、カコス=悪

即ち、失望とは、「悪の中に陥ってしまうこと」である。

失望というのは、望みを失う事に留まらない。様々な「悪」がまたぞろ出てくる。

→ぶつぶつ文句、人に当たる、自信喪失で内にこもる、死にたい…

だから聖書は、失望してはならないと語るのだ


U.希望生きる力をもたらす

希望を持つとクリスチャンもノンクリスチャンも生きる力をもたらす

【立証】大平光代さんを御存知か?中学生の時親友からいじめに遭いそれを苦にし割腹自殺を図る。その後非行に走り16歳で極道の妻にな背中に入れ墨を入れる。しかし6年後、養父の大平浩三郎氏と出会立ち直る。中学の学歴を乗り越え宅建の資格を得、更に29歳で司法試験に一発で合格。著「だからあなたも生き抜いて」は260万部のベストセラー。大阪市助役まで務めた人である。多くの人が「希望を持てない」と感じているが希望を持つと大きな報いが伴うのだ

そのターニングポイント@真剣に向き合う愛 A恨みを超えた資格取得の希望

(『だからあなたも生きぬいて』より)


V真の希望をもたらす存在を

大平さんが新しい人生を始められたのには単なる精神力とか、根性や努力だけではなかった。暖かい励ましを与える養父という存在があればこその話である。しかしそれは誰にも有る存在ではない。しかしここに誰にも励ましる力をもたらす御方がいる→「ましてや神は夜昼選民のために裁きを付けないでいつまでもその事を放っておくことがあるだろうか」(7節)あなたの創造者である神なのだ。その神はひとり子であるキリストは十字架にかかり命を捨てるほどあなたを愛して下さった。この方の言葉に耳を傾けて従う時、現実の失望を超えて希望が出てくるのだ。神はあなたの願いと叫びを知っておられ、御心の時と方法で決着を付けて下さる!だから神の御言葉を信じる事だ(8節で信仰が有るや無しやが問われている)


【結び】問題は事を実現するための能力があるかないかではない。事を実現する前に諦めてしまうことである、神を信じて祈り続けることを放棄してしまうことである→ 「民よ、どんなときにも、神信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ

神は我らの避け所である」(詩篇62:8) 

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