2018年12月10日

2018年12月9日礼拝メッセージ 「恐れることはない」ルカ2章8-12節音声で聴く。

ルカ2:8−12        「恐れることはない」         12/12.9

【序】今日の主題は「恐れることはない」だが、人の一生で「恐れ」を知らない時代は赤ちゃん時代位なもので、一人歩きし始めるようになると途端に怖いものに出会い、それ以後の人生は「恐れ」の連続!いじめ、人の顔色、仕事、生活の心配、家族の事、病気、そして死…最後まで恐れに囲まれる。∴ぜひ聖書の言葉を聞いて頂きたい。

T.恐れとは何か

10節で主の御使いが羊飼いたちに「恐れる事はありません」と語った。それは超常現象に遭遇したから恐れたと考えるなら、それは些か浅い見方である。恐れとは、もっと人間の根源的問題を含んでいる。

「恐れとは、その問題が実際の問題以上に大きく見え、それに圧倒されて自分が飲み込まれそうな状態である」(チャールズ・スインドル)

  例:病の恐れ→その病で死の不安が出て圧倒され自分が呑み込まれそうになる

仕事上の恐れ→トラブルで失敗倒産するかも…自分がトラブルに呑まれる

家庭の恐れ→家族関係に亀裂が生じ崩壊するかも…自分が呑み込まれる

経済的恐れ→経済的行きづまりで家族が路頭に迷うかも…不安に飲まれる

クリスマスは人間の根源的恐れからの解放者キリストの誕生の喜びを伝えるものだ。


U.どのようにして神はその恐れを取り除こうとされるのかー三つの知るべき事

1.恐れる私たちに見えない神の見守りがある事を知る

  イスラエルがアラム軍に取り囲まれ、エリシャの僕達は恐怖におののいたが、神は目を開いて神の軍が守っていることを示された。(U列王6:15-17

【適用】私達が様々な問題に恐れる理由は、見える世界だけに捉えられて見えないところで守っておられるお方がいることがわからない故なのだ。神はあなたの周りに垣を巡らして守ってくださっている。

2.神が万事を益に変える視点を持つ

 創世記のヨセフは17才の時兄達から虐待されエジプトに奴隷として売り飛ばされた。その時点だけで言えば彼の未来は不安と恐れしかなかっただろう。しかしその13年後彼はエジプトで大臣になっていた。その時点で17才を振り返れば恐れも益に変えられるのを知る。私達は未来が見えないから現在の恐れに慄くが、恐れの時、「全てを益に変える神」がおられる。その視点に立つことが必要なのだ。

3.「恐れるな」は神による祝福計画への招きの言葉

神が「恐れるな」と人に語られる時、単に恐れを取り除くだけではない。この言葉は常に恐れに囲まれている人間に今まで経験しなかった様な新しい神の祝福計画を示す時なのだ。:会堂司の12歳の娘が病気で死んだ時、キリスとは悲しみ嘆く父に「恐れないでただ信じていなさい」と言われた。この「恐れないで」はこれから後に示す死人を甦らせる見た事もない奇跡の前ぶれの言葉。「恐れないで」は新しい希望の人生へのステップの言葉だ。クリスマスはその救い主の誕生!

恐れからの解放を伝えるクリスマスメッセージに感謝しようではないか!

posted by kbcc at 15:29| 礼拝

2018年12月03日

2018年12月2日礼拝メッセージ 「不安時代の確かな人生ガイドマタイ2章1-11節音声で聴く。

」マタイ2:1−11    「不安時代の確かな人生ガイド」      18/12.02

【序】ある心理学者が言った「努力は報われると一般では言われるが、必ずしもそうではない。報われない事が多い。しかしその努力がグンと報われる確率が高くなるケースがある。それは、確かな何かを信じて努力するなら、報われる確率が高くなる」…2千年前の「東方の博士達」もどっちを向いても砂ばかりの砂漠の旅の中で彼らを導いた三つの確かな導きががあった。今日にも適用される確かなものである。伝えたい。


T.確かな人生に導く「星」がある

 東方の博士達は救い主に会う為に2千qの旅をしてきたが、どっちを向いても砂漠の砂ばかり。どうして方向が分かるだろう?→2節に「星」で導かれたとある。

今も神は私たちに確かな人生を歩めるように様々な「星」で導かれるのだ。

 【適用】あなたが教会に来たのはたまたまと思っているかもしれないが、聖書には「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。(ヨハネ15:16とあり、神は今も様々な「星」をもって私達を導かれる。ある人には家族や友人を通し、又様々な集会を通し、そして時には苦難や病や問題を通してでもあるのだ。だから苦難で必要以上に落ち込まない事だ。それはあなたを神の愛と救いに導くための「星」なのだから!


U.確かな人生に導く「聖書」がある

  東方の博士達はエルサレムまでは星に導かれて来たが、救い主誕生の場所がベツレヘムである事は「聖書」(5,6)から聞かねば分からなかった。人生の答えと救いを得るには「聖書の言葉に聞く事」が大切なのだ。

【適用】求道者の疑問―「聖書が心の糧になると思って読んでいるのですが、信じられないような話が出て来るでしょう。復活とか奇跡とか…あれって本当に起こったのではなく何かの象徴ではないのですか?」私も求道者の時代そう思っていたのだが、ある時Tコリント8:2「人がもし何かを知っていると思ったらその人はまだ知らなければならないほどの事も知ってはいないのです」に心探られた。「私は自分流に聖書を解釈しているが、私はそれができるほど聖書より賢いのか?」と。やがて態度を悔い改めそのまま受け入れて読み始めた、すると聖書の言葉がスーッと心に入ってきて聖書がよくわかるようになり、更に人生を祝福し始めた。なので聖書をそのまま読んでもらいたい。


V.確かな人生に導くものは「理想環境ではなく正しい目標」である

東方の博士達は人類の救い主がお生まれになる環境が幼児さえ虐殺するヘロデ王の世という悪い環境とは思わなかっただろう。しかし彼らはその悪環境を超えて救い主に会い礼拝し宝物を捧げるという目的を果たした。紙も彼らを導かれた。ここに励ましとチャレンジがある。

【適用】私達は理想環境を求め易い。しかし求めるべき答えは理想の環境でなくてよいのだ。大切な事は、理想の環境を求めることではなく、目的を果たすことなのだ。たとえ劣悪環境の中でも、東方の博士達のように目的を果たすことだ。そうすると「この上ない喜び」が博士たちにも臨んだようにあなたにも臨むであろう。

posted by kbcc at 15:03| 礼拝