2019年02月10日

2019年2月10 日礼拝メッセージ 「こんな恵みに変わるとは」 ルカ23の26 音声で聴く。

ルカ23:26「こんな恵みに変わるとは!」    

【序】昨夜TVでフィギュアスケート世界大会の放送があったが実は数時間前に結果が分かっていた。嬉しい事前もってわかってしまうと感激が無くなるが重たを負わされる事では、後で素晴らしい恵みに変わる事が前もって分かっていたらそう落ちこまない人は明日がわからないが聖書は前もってわからせてくれる神の言葉だ。

今日の人物は突然十字架を負わされたシモンの話し。当初それは恥ずかしく嫌で仕方がない事であったが、後に栄誉と恵みに変わった。この短い1節が語るメッセージは何か、励ましになれば幸い

T.人生に偶然はない

クレネ人シモンの事を考えると人生に偶然はない事を感じる。キリスト十字架を負わされゴルゴタまでの道の途上、たまたま田舎から商売で出て来ていたシモンの目の前で、徹夜の裁判で疲労困憊の中、バッタリと倒れられた。そこでローマ兵士に「代わりに十字架を負えと命じられてしまう。に聖書が語るようにシモンはこの事が基で救いを経験するそれを思えば、この出会い不思議さを感じる。前日でもダメ翌日でもダメ。その日のうちのこの時間でないとダメ。しかも刑場までの800メートルもあるドロローサ(悲しみの道)と呼ばれる道でキリストが倒れた場所になぜかシモンは立っていた!これは偶然では説明つかない出会いである!

【適用】「雀一羽でも…父のお許しなしには地に落ちる事はありません」(マタイ10:29)

あなたの人生に起こることに偶然はないのだ。神の摂理がある!


U.負わされた重い十字架も後で意味が分かる

しかし負わされた重い十字架も当初恥ずかしく嫌だっただろう。しかしシモンが経験したことが大きな意味を持つのはマルコ15:21を読めば解る「アレキサンデルとルポスのと父でシモンというクレネ人つまりシモンは後に信仰を持ち子供達も信仰を持った事が分かる。救われた後で救い主の十字架を負うことの栄誉がわかった。神の選び!

【適用】人生の途上で降って湧いたような負わされた出来事の意味が分からない事があるものだが、直ぐに解ろうとする必要はないのだ。分かる→ヨハネ13:7


V.十字架を負うとは何を意味するか

ところで「十字架を負う」とはいかなる意味か?十字架を負うとは、生来負っている苦しみの様に理解されるが、それは「重荷」であり、重荷はキリストに負って頂けるものである。十字架を負うとは、本来負わなくてもよいが、敢えて信仰と使命の故に負っていくである。キリストの十字架もそ。キリストは罪人ではないのに私達罪から救うために敢えて十字架を負って下さったこの十字架を負う生き方ほど神からの栄誉は他にないのである。

【適用】あなたにもこの「十字架」があるのではないか?本来負わなくても物かもしれないが、敢えて信仰と使命の故に負っていく十字架!誰か世話という十字架。重い責任いう十字架。病気を負う十字架。文句の一つも言いたいかもしれないが、考えるべきは、負わしたのは誰か?ローマ兵士ではなく神ではないか神はこの人と思う人に最高の十字架を負う使命を授けられる!

感謝をもって十字架を担って行こうではないか!

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posted by kbcc at 22:59 | TrackBack(0) | 礼拝