2019年04月28日

2019年4月28日礼拝メッセージ 「信仰は過去を変える事ができる」創世記50章15-21節音声で聴く。

創世記50:15−21「信仰は過去を変える事ができる」 

【序】人生の成功者と言われる方の本を読むと「決心はなたの未来を変える」ある。でもどんなに決心しても上手く行かない事が多いのではないか?その理由は、過去が解決されていないから。過去が未解決だとそれを引きずりながら生きるので明るい未来が描けないのだ。だから問題は過去が解決する事であるが、ある人は言う「過ぎ去った出来事を変えるなんて不可能ではないか?」と。しかし聖書の福音はそれを可能にし、未来に希望をもって生きるように導く。それをヨセフの体験から伝えたい。


T.過去の苦い意識が変えられヨセフの言葉

父ヤコブが死んだ後、兄息子達には心配が出て来た。それはかつて自分達が虐待した弟ヨセフが今やエジプトの偉い大臣になっており、復讐されるのではないか、という不安であった(15。それでヨセフに父の遺言(17)を語り赦しを願ったが、その返事は、全く過去の被害意識が消え驚くべき愛に満ちた内容だった。

「あなた方は私に悪を図りましたが、神はそれを良い事の為の計らいとされました…ですからもう恐れる事はありません。私はあなた方やあなた方の子供達を養いましょう。」(20,21)


U.どうして過去の苦い意識が変えられたのか 

兄たちが謝ったからだ(17と思う人がいるかもしれないが、そうではない!

ヨセフは兄たちが謝る以前にすでに赦してしまっていた。

「私をここに売った事で心を痛めしてはなりません。神は命を救う為にあなた方より先に私を遣わして下さったのです」(45:5)「私をここに遣わしたのは、あなた方ではなく実に神なのです」(45:8)  

エジプトに来たのは売り飛ばされたからではなく神が先に遣わして下さったと語る。

過去の解釈が変わっている!

確かにヨセフは兄達の虐待を受けて奴隷として売り飛ばされたのでエジプトに来たのは事実であるが13年後牢獄でエジプト王の夢を解きあかしたことで出世大臣になり、そこから素晴らしい政策を施して家族を救う。そこまでの神の導きを理解した時、過去の解釈が変えられ「虐待」ではなく「派遣」だとなる訳だ苦い過去の経験神の視点に立ってみる時、過去の出来事意味がすっかり変わるのだ。それ故「信仰は過去を変える事ができる」言い得るのだ

【証】高3生時の父の事業の倒産や交通事故は不運と僻みで一杯の過去の出来事であったが、それを通して私は「死後に世界があるのか」を求め遂にキリストの救いに預かった。すると交通事故は私を救いに導く恵みの経験だったと感じる。父も事業倒産を通して、お金にまさる確かな人生の土台を知り救いに預かった。意味が変わったのだ


V.過去が変わるために必要なこと

1.重たく暗い過去を変える人生の逆転には、真の愛の神を見出す事が必要である。

神がいるという考え方ではなく、実際に神を受け入れ、神との交わりを持つことで

ある。そうでなければ実際に変化は起こらない。神を受け入れてこそ体験できる事だ。

生の悲劇・苦難・病を今見える事だけで判断しないこと。なぜなら今あなたが感じているのとは全く違う事を神があなたの将来に祝福計画しておられるからだ。

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2019年04月21日

2019年4月21日 礼拝メッセージ 中西正夫牧師 ヨハネ20章24から29 疑い深いトマスとキリストの復活音声で聴く。

ヨハネ20:24−29「疑い深いトマスとキリストの復活」

―受洗に際し、幸福な人は@打ち込む仕事A心分かちあう友B人生の支え、を得る人―Bを得たー

【序】私が教会に通い始めた頃、何が信じられないと言ってキリストが死人の中から復活された話程信じられない話はなかった。私だけでなく主の弟子のトマスもキリストの復活を信じられなかった人物である。その彼が変えられていくのだが、このトマスを通して聖書が語るメッセージを伝えたい。


T.神の恵みは遅れるように見える時がある

 キリストは他の弟子には現れて下さったというのに、なぜ私には現れて下さらなかったのか(24)一自分だけ恵みから外されたような思いがトマスにあった筈。

 【適用】私達もトマスのようになってしまう事がある。友達が次々とのあたる場所に出ていき、社会の評価を得ていくのに、自分だけが損な役回りで取り残されてしまったと感じる時。自分は病気で寝込んでいるのに、周りの人はみな元気で幸せそうな生活をしている時。そんな時、私達は自分だけが神の恵みから外された思いになる。しかし覚えるべき事神はあなたのを知っておられ、最もふさわしい時に恵みを下さるという。事実キリストは八日後にトマスに個人的に現れ深い確信に導かれた。そんな時のアドバイスは、じたばたせずそこに留まって待ち望む事だ。


U.復活は否定できない事実である

キリストが復活したということを聞いてもトマスには受け入れられない。今までの

経験や知識で受容できないからだ→「私は…見なければ決して信じない」(25)

現代でも復活と聞くとせせら笑う方がいるが、それはあなただけでなく当時の弟子たち全員そうだった。弟子達は裏切り、逃げ出し、自分たちのいるところの戸をみな閉めて捕まる事を恐れていたのである。意気地なしであった。しかしそんな彼らが数日後全く別人のようになってキリストの復活を宣べ伝えて殉教までするに至る。なぜそうまでして強くなったのか?それは聖書が記している通りキリストの復活というよりほかにないのだ。→27,28圧倒的な否定できない事実なのだ。

 【証】無神論者ウオーレス将軍の回心「べン・ハー」の作者


V.見ずに信じる者になりなさい

 「見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(29)

「見ずに信じる」とは証拠を見ずとも聖書を信じ神に従う生き方をしなさいとの意

【例証】「カラスは喋る」と聞いても信じられない人がいるだろうが私は駅前伝道で知ったこれは見れば信じる信じ方。それに対して愛とか信仰の世界は、証拠を見ずとも信じる世界。友人が「家に来てくれないか」と頼む。「なぜ行かねばならないのか?!」とあなたはしつこく尋ねて納得できれば行くのと「わかった、君が言うのはきっと大事なことがあるからだろう、理由を聞かずに行くよ」どちらがより深い友情か

【適用】人間は明日が分からない。何に頼るか?人脈、金脈、知恵や経験それでも不安。明日がどうなるか分からないからだ。しかしここに明日を明確に知っておられる神がおられる神は明日の事で不安になる私たちに聖書を与え確か生きる道を示された。故に明日は見ることができないが見ずとも聖書を信じて生きる」ことができる。それ故のキリストの言葉である。感謝して進もうではないか

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2019年04月14日

2019年4月14日礼拝メッセージ 中西正夫牧師 ローマ5の5 「失望はあっても絶望はない。」音声で聴く。

ローマ5:5「失望はあっても絶望はない」 19/4.14メモリアル

【序】今日の説教題は「…」だが、これは聖書を読む人生を生きて55年、牧師になって45年の実感である。今日はこの事の体験の証と共に、それから見える聖書的真理を二つお話ししたい。


T.駅前伝道の証

私は開拓伝道の頃から続けている働きで金剛駅での路傍伝道がある。プラットホームに立つ方々を前にして椅子の上に立ちマイクをもって聖書のショートメッセージで語りかける。ある日話を終え帰ろうとした時、一人の男性が近づき私に「私は直ぐ裏のタクシー会社の車の中で何回もお話しを聞いていました。それで教会に行きたいと思うのですが」。その方はタクシーの運転手kさんだった。私は駅に立つ人々に語っていたがkさんは裏の車の中で聞いておられたのだ。「勿論です。どうぞ教会においで下さい」というで、次の日曜日から教会の礼拝に出席を始められ求道心も強く2年出席され聖書入門講座でも学び、神様の存在も十字架の意味もよく分かったが、中々信仰の決心に至らなかった。それは700年も続いたお家の跡取り息子で仏壇があり、その事で、どうしても洗礼の決意までには至らなかった訳だ。その問題が解決できないという事でやがて教会から遠のいて行かれた。

もう求道もここまでかと思っていた12年後のある日、札幌から電話が入った。それはその男性のクリスチャンの妹さんからで、妹さんの話によると、「今夏、脳内出血で一ヶ月半入院しましたが、意識朦朧となって倒れているとき十字架の幻を見た。その時中西先生のことが思いだされた。会いたい!悪いけれど連絡してくれないか」とのお話でした。私は「行きましょう」とお答えし、翌日出かけることになった。妹さんも札幌からわざわざ出て来るという。訪問してみると左足が少し不自由になったものの、言葉には不自由がなく、12年の経過も忘れて昨日のごとく、脳内出血で倒れた事や家庭の時間ほど話し続けられた。じっと聞いていたが、話が終わって私は言った。「kさん、神様から離れて生活してこられたけれど…もう充分でしょう。今回神様はkさんの命を守り、十字架を心の眼に見せてくださいました。どうですか?あなたのために十字架に黙ってかかり、罪の裁きを身代わりに受けて下さったイエス様を罪からの救い主と信じ従って行かれませんか?」「わかりました。お従いします」その後は短い涙の祈りだった。妹さんも「北海道から出てきた甲斐がありました」と喜びの涙。そしてやがて病床洗礼へと導かれた。


U.この経験を通して、分かる聖書的真理

1.人生、諦めてはいけない

「善を行うのに飽いてはいけない。失望せずにいれば時期が来て刈り取る事になる」(ガラテヤ6:9)善を行っている方よ。諦めてはいけない。

2.病と弱さ神の恵みに変わる

kさんは元気なとき、最後の信仰告白の決断が出来なかった。でも病を得て心が変えられ恵みを得た我が国では重い病や障害、不幸を経験すると先祖の祟り、因果応報だとか、心がけが悪いとか、とんでもない事を言われる、しかしキリストは全く違う素晴らしい事を言われた→ヨハネ9:1-3!病も障害も不幸も神の恵みの素晴らしさが現れる機会となる。【ハンセン病者玉木愛子…目を捧げ手足を捧げクリスマス

神の恵みは考えも生き方も変えるのだ。あなたにも知っていただきたい。

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