2019年06月25日

2019年6月23日礼拝メッセージ 「生きる価値はどこ?」イザヤ43章4節音声で聴く。

イザヤ43:4         「生きる価値はどこに?」         19/6.23 

【序】キリスト教福音放送局に青年からの質問があった「僕は生まれてほとんど寝たきりの生活です。でも生きる意味を知りたくて、教会に尋ねてみましたが、話をうやむやにされてしまいました。僕の様な者にも生きる価値はありますか?自分が生かされている理由がわからず、とても苦しいです」この青年の切なる問にその教会は十分答えられなかったのは残念だ。今日はその質問に答えつつ聖書が示す全ての人間の生きる価値はどこにあるのか伝えたい。


T.生きる価値はどこにあるのか

1.この世の考え

 分かり易く言えば、この世は生きる価値を「成績」においている。

 例:学生時代は良い成績 社会に出れば職場での成績、その成果や能力や資格…

  それによって生きる価値が決められる。しかしその青年の様に寝たきりの人生

を生きてきた人にとって成績自体得られない。すると、どこに生きる価値を見

出せるというのか!悪く言えば生きる価値がないとなってしまう。この世が考

える価値では失望しかない結果が生まれてしまうのだ。これではダメだ!

2.聖書の教え

イザヤ43:4「わたしの目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」

成績でなくあなたという存在そのものに価値があるのだ。あなたの能力、成績、資格があるからという理由ではなく、ただあなたという存在そのものが神の目に尊いのだ。あなたという存在自体に価値があるのだ。

【適用】昔は個人が国の駒だとか会社の駒だとか言われ、その反省から現在になってようやく基本的人権とか人間の尊厳とか言われ出しているが、聖書は何千年の前から人間の価値を「成績」ではなく「存在」自体にある事を語っているのだ。これが聖書の変わらない素晴らしい主張!


U.神の愛を見出す場所はどこか

 神はその愛と価値の根拠を十字架に示された。あなたの代わりに神の御子が十字架にかかって死んで裁きを受けて下さる程、あなたに価値を置いておられるのだ。

 「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:)


V.人間の生きる目的は何か

 この世の考えーそれは社会に出て仕事を果たすため。しかしその仕事自体できない

人には生きる目的がないという事になるではないか!それでは目的は何か?

マタイ22:36−40 神と人を愛する事、これが生きる目的なのだ。仕事をす

る事も、学びをする事も、家事をする事も、全部手段なのだ。仕事も勉強も家事も

しながら神と人への愛に生きる事だ。

【証】神学生時代に見たクリスマス劇…泊まる場を拒否されたヨセフとマリヤに知的障害のある子が涙流し「ヨセフさんマリヤさん、僕の家に来て泊まって下さい」優しい彼は「愛」という最

高の目的を生きている。何ができなくても愛に生きる事は最高の目的!

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2019年06月18日

2019年6月16日礼拝メッセージ 「もう一人の父」マタイ7章7-11節音声で聴く。

マタイ7:711                「もう一人の父」                19/6.16

【序】父の日はアメリカの婦人から始まり、世界中へ広がった。父に感謝する日だ。ところで、私たちには2人の“父”がいる。一人は肉親の父。もう一人は天の父だ。主は、後者の父を明らかにされた。どんな方だろうか。

T.キリストは神を“父”と呼ばれた

7節は有名だが、神=願い事を叶える存在では、神社と大差ない。一方、キリストは、神を“父”と明確に定義された(11)。聖書の神は、願い事を叶えるだけの遠い存在ではない。私たちに関心を持ち、関係を求めている。ヨハネ1:12参照。天の父は、全ての人をご自分の子にしようと招いている。私たちがキリストを信じるなら、神の子どもとなる特権を与えられ、神は父となられ、神の家族として、あらゆる祝福を頂けるようになる。

U.天の父はどのようなお方か

父”に良い印象を持たない方もいる。しかし、肉親の父とは全く異なり、天の父は以下のような方である。

@あなたの存在そのものを喜ばれる方

子どもは親を喜ばせるために、何かする必要はない。そこにいるだけで、親は満足できる。愛しているからだ。天の父もあなたをそのように見ている。あなたは神の子ども。我が子を喜ぶのに理由は要らない。あなたは正にその対象なのだ。

A良いものを惜しまない方

キリストは神と私たちを親子関係に例えられた(9-11)。罪深い、不完全な父親でも、お腹を空かせた我が子には親切だ。石や蛇を与える親はいない。まして、聖なる、完全な天の父は、あなたがたにどんなに良くして下さるだろうと言われた。【適用】しかし、求めても与えられない場合、どう理解すればいいのか。それは「与えない」というのが、父の答えなのだ。伝7:14「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」とある。与えられないならば、父にはよほどの考えがあるのだ。∴待ち、信頼せよ。父は父が考える最善を下さる。

B罪を犯しても変わらず愛して下さる方

聖書の中で“放蕩息子”の物語ほど、神のご性質を明らかにした話はない。息子が立ち返った時、父は何をしただろう?プレゼント(服、指輪、靴)を与えた。これらの3つは、どれもサイズがぴったりだった。→我が子を知り尽くしていたからだ。【適用】「罪を憎んで人を憎まず。」これが天の父だ。罪ゆえに関係が冷え込んでも、あなたが子であることに変わりない。

V.父は求める者に報いて下さる

7節の動詞はそれぞれ「○○し続けなさい」という命令法である。良い意味で、しつこく、あつかましく求める必要がある。また、祈るだけでなく、行動を起こすことも大切だ。捜し求め、自分にできる可能性を試す。そこに答えが与えられる。

証】私と妻は、市から発行される妊婦受診の割引券を紛失した。祈り、捜し回ったが、全然見つからず、大変失望した。しかし天の父は、別の方法で私たちの祈りに答えて下さった。

【証】疑い深い手品師J・モンロー「神よ。あなたが本当にいるのだとしたら、到底無視できないほどの確かな証拠をもって私に示して下さい」と祈った。その後、珍しい病気にかかり、骨髄移植が必要になったが、奇跡的に生還を果たすことができた。今、彼は自らの経験を人々に語り、ドナーバンクの啓蒙活動も行っている。

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2019年06月10日

2019年6月9日礼拝メッセージ 「私たちは力を必要としている」ルカ24章45-49節音声で聴く。

ルカ24:45−49      「私たちは力を必要としている」     19/6.9 

【序】2年前の7月、金剛団地に百年に一度花センチュリーフラワーが咲いた。ラジオやマスコミでも取り上げられ、あちこちから見に来て写真を撮っていた。こういう話はその花を見た人は友人知人に伝えたいという気持ちになる。それを思えば、もっと凄いビッグニュース、キリストの復活は弟子達も放っていても伝えたくなる話だが、キリストはそれを止め、待てと言われた。いったいなぜ?その理由は私達も人生を生きる上でこれから行動という時に備えるべき三つの要素でもある。


T.聖書による確信を得る

 キリストがご自分の復活の姿を見た弟子達に驚きのニュースを伝える行動にストップをかけられた理由は、衝動や情熱では困難が起こると挫折し易いからだ。

【例】情熱の限界―結婚した時は恋愛という情熱があれば大丈夫と感じ易い。「君といると幸せで僕は息が止まりそうだよ」十年後そうは行かない「君といると息が詰まるんだよ」と。情熱は長く続かない。

では何が必要なのか?聖書による確信である(45)→そうでないと単なる勢いや情熱では信仰生活もとん挫すし惰性になる。それ故復活信仰も聖書による確信が必要なのだ!【証】私の生きる上で得た聖書の確信…開拓伝道も会堂建設の時も…


U.使命感を得る

  「主の証人」(48)―自分の使命は何かという自覚

人にはそれぞれ生かされた使命がある。マザーテレサ「人生はやりたいことをするためにあるのではなく、成すべき事を果たすためにある」自分の使命を見いだすと人生で大きなエネルギーをもたらす。

※苦しい事ばかりが多くて自分の使命が分からないという方に:聖書によれば、その苦難さえ使命と変える経験である。キリストがその事を示しておられ励まして下さる。→ルカ22:31,32

【例】サリバン女史…母に死に別れ父に捨てられ孤児院に預けられ否定的になっていた彼女がキリストを救い主と信じた時、自分の孤独と苦難をも主に用いられる使命に生きる事が出来、大きな働きをする事が出来た。苦難を負った彼女でなければヘレンケラーを導けなかったであろう。


V.神の力を得る

  どんなものでも動くのには力がいる、車でも飛行機でも。人間もそうだ。当面食料が無ければ動けないが、如何に素晴らしい食料があっても困難に立ち向かう事は出来ない。別の力が必要なのだ。というのも人には致命的な弱さがある。「孤独と困難」に弱いのだ。それ故神は一人でも困難でもやりぬくを約束された49

【証】神の力の体験…飽き性の私が45年も駅前伝道を無理なく導かれている事。しかも喜びをもって!これは神の力が与えられてなければできないことだ。私の飽き性という性格から分かる。これは私だから特別というのではない。聖書には皆それぞれの必要から力が与えられている、モーセには「奇跡」の力。ダビデには「困難な中の平安」あなたにもそれ相応の力を賜る!

posted by kbcc at 10:34 | TrackBack(0) | 礼拝