2019年08月05日

2019年8月4日礼拝メッセージ「質的人生の転換」ヨハネ2:1−11 中西正夫牧師音声で聴く。

ヨハネ2:1−11 「質的人生の転換」   

序】かつて教会で開いていた英会話教室で、ある生徒さんが「今度パーティを開きたいがワイン持ってきていいですか?キリストが水をワインに変えられた奇跡もあるので…」「アハハハ。よく知ってますね。でも教会ではお酒のパーティはしないんですよ。お家で皆さんと楽しんで下さい」といって丁重にお断りした事があった。この奇跡は教会推奨のお酒があるという話ではない。この奇跡は大切な二つの質的転換を私達に示すメッセージが含まれている。お伝えしたい。


T.清めの道に関する質的転換

我が国日本ではどうしたら金儲けができ、成功し、幸せになるかが関心だが、ユダヤではそうではなかった。如何にして神の前に清いものであるか、だった。

なぜなら大金持ちになった翌日死んでしまえば金儲けは無意味。ましてや死後の裁きで神に義とされず滅びを宣告されるならなお無意味!だからユダヤ人は

普段から穢れから清められることに非常に気を使っていた。結婚式も汚れない為の「水」が置かれ参加者に水を注いで結婚式に臨むしきたりがあった(6)。

しかし水は外側を清めても内側を清めない。心の内の醜い思いや恥ずかしい汚  

れをどうして清めうるか。心の内を全て知られる神の前には不完全→真に清めるのは「水」ではなく、私たちの罪のために身代わりに神の裁きを受けて下さった十字架の血。→それを象徴するのが初代教会で聖餐式の時に使われるぶどう酒であった。キリストは葡萄酒をとって言われた「この杯から飲みなさい。これは…罪を赦すために流されるものです」(マタイ26:28)。つまり清めの道は水ではなくキリストの血であった→今日聖餐式で飲む葡萄汁がその恵みを記憶させてくれる。水を葡萄酒に変えられた奇跡は、真の清めが水ではなくキリストの血による事を示しているのである→十字架上のキリストの血は私の罪の為であったと信じる者に罪の赦しが与えられる(へブル8:12)!


U.親子関係の質的転換

葡萄酒が無くなった時、母マリヤがイエスに求めた時の主の言葉に驚かされる「女の方。あなたはわたしと何の関係がありますか」(4)なんと冷たい態度?

誤解しないでほしいが、主は決して冷たいお方ではない。十字架の苦しみの中でも母マリヤの老後を思いヨハネにその事を託しているほど心配される愛の御方である。では何か?これは「神を親子の間に置く縦の関係」で会話されたという事だ。今まで母マリヤは我が子イエスの逞しい成長に喜びを感じてきた。誇りにさえ思ってきただろう。そしてこの葡萄酒欠乏の時こそ母の出番と思い我が子に求めた。あくまで母としての要求。それに対して「お母さん」ではなく「女の方」(4)その言葉を聞いてマリヤもハッと気づき「あの方が言われることは何でもして下さい」(5)と気づいてゆだねていく。

【適用】私達も人生のどこかで親子のあり方の質的転換が起こるべきである。「我が子、我が子」と思っていると依存と支配関係しか起こらなくなる。我が子が我が者になり易い関係から神様に委ねていくことである。親子間に縦の関係を置く重要性。【証】盲目になった子の母への思い…「白いステッキ」(次ページ参照)

白いステッキ

母さん、ボク白いステッキをもって歩くことにするよ。

母さんは「そんなかっこわるいことしなくていい、母さんがあんたの足になってあげる、目になってあげる」って言うけど、それじゃあ、一生、ボクは母さんの世話にならないと生きていけないことになるよ。

目の見えないボクが白いステッキを持って歩くのは当たり前なんだよ。恥ずかしいことじゃないんだ。

母さんが恥ずかしいと思ってるだけなんじゃないの?

ボクが白いステッキを持って歩くのは、ちゃんとひとりで生きていこうとする気持ちの表れなんだ。そう思ってほしい。

最初はこけたり躓いたりするかもしれないけれど、イエス様が

ついてくれているから大丈夫だよ!

僕は白いステッキを持って神様とちゃんと歩いていきたいんだ

だから心配しないで。

posted by kbcc at 11:16 | TrackBack(0) | 礼拝