2019年08月12日

2019年8月11日礼拝メッセージ「天国はあるのか」 ヨハネ3:1−5音声で聴く。



【序】私はクリスチャンになるまで地上の人生が全てで死んだら終わりと思っていた。それで他人に迷惑をかけなければやりたい事をして生きればよいかと思っていたが、交通事故で吹っ飛ばされ意識が戻ってから「待てよ、死んで本当に終わりなのか、それとも何かあるのか?」と不安にもなった。今日出てくるニコデモは聖書学者で人々からの信頼も厚い指導者であったが、同じ質問を持っていた。私達も誰もが死ぬ。しかも死後の世界は未知の事だけに不安である。地上の人生を確かに歩むためにも、この質問に関する確信を得ておきたい。三つの確信について:


T.天国はあるという確信

誰も死後の世界を経験した人はいない。それだけに人が言えるのはせいぜい天

国はあるかもしれないという漠然とした考えや、あってほしいという願望でし

かない。しかし死後の世界について最も語られたのはキリストである、しかも

キリストの語る言葉は確信そのものである。ヨハネ伝から二つ引用したい。

@ヨハネ6:39,40

キリストの使命は父から委ねられた御子を信じる者を死後に甦らせて神の国に入れる並々ならぬ決意

 Aヨハネ14:1−3

最後の晩餐での言葉―翌日は壮絶な苦しみをもたらす十字架刑を承知の中、弟子たちのことを心配し、天国に場所を備えに行くことを語られた。


U.天国に入る条件に関する確信

日本では多くの人達が「真面目であれば、正しければ」行けるという儚い考えを持っている。しかし「正しければ」という基準は、何をもって「正しい」と言いうるか。「正しい」は都合で変わる。

【例】嘘をつくことに良心の呵責を感じる人もいれば、自分の都合で構わないという鈍感な良心もある。時折「私は良心に恥じることはしてこなかった」という方がいるが、はっきりさせないといけないのは、本当に良心に恥じることをしてこなかったのでそう言えるのか、それとも良心が鈍感で罪意識を感じなかっただけなのか、である。

元々人間には入国資格がないのだ。それで神は入国条件を示された。それは「新しく生まれる」(3)ということ。具体的には5節「水と御霊によってしか神の国を見る(入る)ことはできない」。「水」=洗礼の事。「御霊」=聖霊の働きである罪を認め、キリストを救い主と信じる信仰の事→Tコリント12:3


V.ニコデモの救いの確信

 ここでは答が出ず、長い間人々を憚って確信を持てなかったニコデモであった

が、後に立派な信仰告白をして救いの確信を得た→ヨハネ19:38,39 

【適用】求道者よ、時間がかかっても良い結論を出してほしい。M兄の求道年数(30)

     信仰者よ、ここ一番の時がある。その時信仰を恥じることなく言い表そう。

posted by kbcc at 09:31 | TrackBack(0) | 礼拝