2017年01月15日

2017年1月15日 あなたの「故郷」はどこですか


創世記23:1−4     「あなたの“故郷”はどこですか」    17.1.15

【序】戦国時代、キリシタン数は伝道50年で日本人口の3(人口3千万の内90万人)。驚異の増加の最大の理由は葬儀にあった(『日本の神学』古屋安雄)。当時葬儀は武士や富める町人だけに行われた。貧農は「野捨て」。しかし宣教師達は誰にも等しく丁重に行った。キリシタン大名高山右近は農民の棺を自ら担いで作業を行った…。古代社会は男性社会であったが、聖書は最初の埋葬記事として女性サラの埋葬を記す。いつか必ず来る死の意義を考えたい。


T.生死の儚さ

「サラが生きた年数は127年であった。サラは…ヘブロンで死んだ」(1,2)」

・自分より10才若い妻サラの死。

・「アブラハムは来て」(2)とあり、仕事中で妻の死に目に会えなかったと思われる。

・「やっと生まれた息子の結婚も見ず」

【適用】人は年の順番で死ぬとは限らないし、死に目に会えるとも限らない。また事の実現を見て死ねるとも限らない。自分の死の時、未完成に終わることが多い。現代は「終活」といって自分の人生の終わりのために色々と整理し備えるのだが、それでも自分の死の体の後始末はできない。どうしてもやり残す事ができてしまうのが死だ。やはり死は未完成の事がらなのだ。しかしここに慰めがある。

「主は私に関わる全ての事を成し遂げて下さいます」(詩篇138:8)

人生を完成して下るのはあなたではなく神なのだ!


U.死の悲しみからの立ち上がり方

 「アブラハムは…サラのために嘆き、泣いた…それから立ち上がり」(2,3)

 信仰者は悲しみを押し隠したり、直ぐに信仰の力で立ち上がろうともがく必要はない。それは後で屈折した問題が出る。むしろ自然のままに哀しみ泣いてよいのだ。それが真に立ち上がるための希望と新しい力に導かれる。

【信仰詩】悲しみを知らなければ捧げえない祈りがある 悲しみを知らなければ信じ得ない奇跡がある 悲しみを知らなければ聞きえない御言葉がある 悲しみを知らなければ近づきえない聖所がある 悲しみを知らなければ仰ぎえない御顔がある おお悲しみを知らなければ人間でさえもありえない」


V.死が伝えるべきメッセージはlmn何か

「私はあなたがたの中に寄留している異国人ですが…」(4)

アブラハムは妻サラの葬りのために墓地を購入する。そしてその際「私はあなた方の処に寄留している異国人ですが」(4)と言う→つまり葬儀は自分の魂の故郷がどこにあるのかを示す儀式である→ヘブル11:13-16

【適用】Y兄「あんたはいいなあ、行くところが分かっていて」

I姉「あんたと同じところに行きたいんや」

S姉「先生長らくお世話になりました。先に行ってきます先生も来て下さいよ」

  教会墓石御言葉は「我が国籍は天に在り」である。あなたの故郷はどこにありますか?

posted by kbcc at 20:55| 礼拝