2017年04月03日

2017年4月2日礼拝メッセージ「自我が砕かれる幸い」創世記32:22-33 音声で聴く。


創世記32:22−33:4     「自我が砕かれる幸い」       17.4.2

【序】ビジネス本に、ある会社の採用試験で社長が最後の採用条件を上げていた。「おはようございます」と「ありがとうございます」と「すみません」という言葉がはっきり言えるか、だという。最後の「すみません」と謝る言葉が一番言い難い。面子を気にするからだ。今日登場するヤコブは初めは言えなかったが後にできた!又その結果の祝福も経験した。何がそうさせたのか?


T.ヤコブの恐れとその対策

20年ぶりに故郷に帰るヤコブ。出てきた時は何もなかったが、今や子供12人。事業も成功。故郷に錦を飾る筈だが、近ずくにつれ不安が襲う。兄エサウが400人を引き連れてくると聞いたからだ(6)。かつてヤコブが兄に成りすまして遺産相続権を父から奪った事で兄エサウはその恨みを晴らすために来るという不安と恐れ。

ヤコブの三つの対策:

1.最小限の損害作戦32:7,8)―しかし安心できない。更に失うのでは!

2.神に助けを求める32:9-12)―11節の祈りは真剣そのものだが、この祈りには大切な事が欠ける。父と兄への謝罪がない。つまりは悔い改めができていない。自分の身の守りを願っただけ。※悔い改めのない祈りでは事は解決しない。

 3.贈り物によるなだめ作戦(32:13)―エサウへの贈り物で宥めようとする。三つに分けて(19)の作戦。でも安心できない。そして彼だけ後に残って悶々とする。(32:21)

※人間的方法では事は解決しない


U.神による解決

「ある人」(32:24)=「神の御使い」がヤコブと相撲を取り、彼の腿のつがいを打たれた(32:25)。腿のつがいは自我の象徴→自我砕く。つまり神無しで人を操るずる賢さ、人間的処世術だけで生きるというヤコブの自我を砕かれたのだ。人間的処世術だけでは、計算ばかりに走り、メンツを気にし人間として謝る事もしない。その態度が変えられていく必要がある。【例証】京大卒の会社員が3か月の出勤拒否。理由は課長が皆の前で「キミは京大卒なのにこんな事も知らないのか。勉強不足だ」と。→「そうなんですよ。京大卒でもこんな程度です。勉強し直します」と言えばいいものを…。

自我が砕かれると学歴や地位ではなく人間としての在り方に目覚める。

ヤコブはそれができた。「ペヌエルの経験」(30節)と呼んでいる。私達も必要!


V.自我が砕かれた時の変化

@自分が先頭に立つ(33:3)以前の策とは異なる。 

Aエサウに会うのに7回もお辞儀する(33:3)弁明無しの平謝り!の意味。

Bエサウが変えられていた!(33:4,9

   他人を変えようとするが変わらない。まず自分が変わるとき相手も変わる。

相手が変わらなくても自分が変われば少なくとも束縛から解放される!

【結び】メンツを捨ててへりくだろうではないか! 後は神が何とかしてくださる!

posted by kbcc at 22:27| 礼拝