2017年04月11日

2017年4月9日礼拝メッセージ「わが神わが神、どうしてわたをお見捨てになったのですか」マタイ27:46 音声で聴く。

マタイ27:46 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 17.4.9

【序】ある国立大学教授が教室で「世には自分を神だと言う様な偽宗教家がいるが最後には自滅する。キリストがいい例だ、『わが神わが神、何故自分を見捨てたのか!』と絶叫したではないかと批判した。その教室に教会員がいて、そんな批判に腹立たしく思って、どう弁明するか私に尋ねてきた。確かにこの46節の言葉は不可解!しかしこの意味を正しく理解するならここにキリスト教の中心のメッセージがある。受難週にこの一節の意味を伝えたい


T.キリストこそ聖書が預言している人類の救い主である

キリストを人間としか理解しない人は、この叫びの言葉を「神に裏切られた絶叫」と感じるが聖書を知らない無知な発言だ。実はこの言葉は詩篇22:1の言葉通りだ。人は苦しみの絶頂時に一言一句間違わずに祈れる冷静さはない。この時キリストは詩篇22篇に預言されている事柄が御自分の身に悉く成就しているのをご覧になり、御自分が旧約聖書に預言されたメシヤであることを示されたのである。

※詩篇22:7,8「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救いださせよ。彼のお気に入りなのだから」→十字架の場面で通り過ぎる人々の罵りそのもの。

※同22:16-18「犬ども(外国人―ローマ兵士)が私を取り囲み、私の手足を引き裂きました(十字架刑の釘)。彼らはわたしの着物を互いに分け合い。私の一つの着物をくじ引きにします」(ローマ兵の着物のくじ引き)


U.キリストこそ私たちに代わって罪の裁きを受けてくださった救い主である

全ての人は神から与えられた命をどう使ったか、死後に裁きを受ける。その基準はいかに愛と清さを生きたかであるが、人は言葉に於て、行いに於て、心の思いに於いて罪を免れえない。それゆえ神の裁きに耐ええず永遠の滅びを刈り取る。しかしここに愛がある。我々人間に代わって神の御子キリストが身代わりに神の裁きを受けて下さったのである。この46節の叫びは私たちに代わって神の裁きを受けてくださった印である。→Uコリント5:21「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました」とある。キリストは私たちの罪からの救いをもたらすために私たちに代わって神から見捨てられてくださったのである。

【適用】我々の語ってはならない言葉の罪のために主は頬を殴られ、我々が掴んではならない手の罪のために主はその手に釘を打たれた、行ってはならない足の罪のために釘を打たれ、抱いてはならない感情の罪のために心臓を突き刺され…我々に代わって死後の裁きを受けてくださったのだ!


V.キリストこそ人生の矛盾の意味を知っておられる救い主である

人生には矛盾や理不尽な事が多い。なぜ正しい人が禍を受けるのか?なぜまじめな

人が重い試練に倒れるのか?なぜ幼い子供が殺されるのか?…これは古今東西の人

生の謎である。理屈など吹っ飛んでしまう。そんな時、罪のないお方が理不尽にも

極悪人として裁かれたキリストがおられる。※理不尽な十字架の後に復活があった

ように、人生の矛盾も意味が分かる時が来る。このキリストを知る事こそ真の慰め

と解決を知る道であるヨハネ13:7「わたしのしている事は今は解らないが、後で分かるようになります」

posted by kbcc at 09:13| 礼拝