2017年05月16日

2017年5月14日礼拝メッセージ「微笑みながら後の日を待つ人」箴言31:25 音声で聴く。

箴言31:25       「微笑みながら後の日を待つ人」       17.5.14

【序】日本には母の歌が沢山ある→「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた」「雨々降れ々母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな」感謝される歌が多い。父の歌となると少ない。やっと一つ「父よ、あなたは強かった」(思い出されるのは死んでから?!)日本の母の歌は「優しい母」が理想。しかしそれ以上に素晴らしい姿があると聖書は示す。

と同時に今日の箇所が教える生き方はお母さんだけではない全ての人に語られるメッセージを含んでいる


T.究極のあるべき人間像

箴言31章は直接には素晴らしいお母さんの姿が語られている。前半は賢い生活術について書き表すが、それ以上に素晴らしい生き方が後半にある。それは何か?

「彼女は…微笑みながら後の日を待つ」(25何事にも思い煩わない平安な生き方、これが聖書の理想とする究極の母親像。如何に賢い母であっても、やりくり上手でも、美人の母であっても、ガミガミ、イライラ母さんでは本人も嫌だし家庭にも悪影響。もし家庭で最も影響を与える母が「微笑みながら後の日を待つ人」になれたら、本人も家族への影響は計り知れない。しかし改めて考えると、母ばかりではない。父親も「将来は大丈夫!」と言い、青年も友人に「心配しないで」と心から言えるなら素晴らしい。故にこの31:25の微笑みながら後の日を待てる姿は究極の人間像!

U.究極の健康法

31:25は究極の健康法を教える御言葉だ。

・ある医者がこの御言葉と共に箴言17:22「陽気な心は健康を良くする」を読んで言った「驚いた!現代医学がやっと辿り着いた究極の健康法が3千年前に聖書に書かれていたとは!」

ノーマン・カズンズ(米国南加大医学部教授)は著『笑いと治癒力』で「よく笑う事」が重い病気の治癒に大きな効果がある事を強調する。教授自身も回復可能性五百分の一という膠原病を患ったが「よく笑う事」によって奇跡的に癒された。「病気は笑い事ではないが笑い事であるべきだ。笑っている場合でない時こそ笑うべきなのだ!」→しかし問題はどうして微笑む事が可能か?

V.究極の信頼

多くの人は「微笑みながら後の日を待つ」生き方が家庭にも人生にも健康にも良いと

認めるだろう。しかし問題はいったいどうすればそんな生き方ができるかという事だ。というのも人間には明日が分からない。苦しい事もあるかもしれないのに「後の日を微笑む」事は不可能と思うからだ。だから最後に語らねばならないのは、未来に対する究極的な信頼できる土台があるかないかという事だ。それには明日を御手に握り天地万物の創造者である神への信頼しかない。いきなり「神」というと信じ難いかもしれないが、この大自然を見て、その壮大さ、その緻密さ、その精巧さ、偶然とは考え難い。時計でさえデザイナーがいるならまして遥かに素晴らしい大自然の作者がいると考えるのは極めて自然ではないか。その神が「神は全ての事を働かせて万事を益に変える(ローマ8:28)」存在なのだ。確かに世界に悪は存在するが、神はそれさえ造り変えられる。この神への信仰は安心を与え将来を憂え微笑む事ができる。


【証】周東夏希兄が創造者である神を見出だし人生の土台と安らぎを得た証…


受洗の証

周東 夏希


本日は、皆様の前で証させていただくお時間をいただき、たいへんありがとうございます。私が受洗を希望するに至った経緯をお話しします。私という小さい存在ではありますが、その私の魂が、主の偉大な計画の一部として、いかに導かれたかを皆様とお分かちしたいと思います。

私はクリスチャンではない両親のもとに生まれました。その私が今日ここに立って、こうして受洗に臨むまでには、いくつかのステップがありました。ひとつめは、聖書との出会い。ふたつめは、妻との出会い。みっつめは、私自身の挫折をとおした神様との出会いです。


ひとつめの聖書との出会いは、私が大学生の頃のことです。私は当時、文学作品を読むのに凝り始めていました。例えばドストエフスキーやフォークナーといった海外の作家、国内においては、晩年に病床洗礼を受けた福永武彦、あるいはクリスチャンでなくても太宰治など、聖書に関係する作品を発表している作家の小説などを数多く読んでいました。そんなわけで、私も小説などを読むにあたって、聖書を勉強しなければならないと思いました。

私の高校以来の友人で、ご両親で教会をなさっている息子さんがいましたので、彼に頼んで聖書を譲っていただきました。これが私と聖書の最初の出会いでありました。すべてを読むことは無かったのですが、小説などに関係する箇所などを拾い読みするようになりました。また、人間と信仰ということについて、自分なりに真剣に考えてみたりもしました。

この時点では私自身の信仰ということを意識したことはありませんでしたが、ひとつ、このことに関係して、聖書をくれた友人のお母様のことをお話ししたいと思います。お母様は、教会で伝道師をしておられました。お母様は今から10年ほど前に、若くして天に召されたのですが、その少し前に、病床にお見舞いに伺う機会をいただきました。お母様は闘病中で苦しかった最中のことだったはずなのですが、その表情は明るく、神様への感謝を力強く私に語ってくれました。また、一人暮らしの学生だった私の身の上なども心配していただき、かえって、私が励まされるような有様でした。そこには、クリスチャンとしての本当に深い愛、希望、信仰があったのだと思います。お母様を通して表れていたキリストによる救いは、私にとってたいへん印象的なものでありました。


ふたつめは、妻との出会いです。私は今から4年ほど前、28歳の時に結婚いたしました。妻は大阪の金剛バプテスト・キリスト教会の教会員でありましたので、その教会の中西牧師という先生に司式いただき、結婚式を挙げました。その縁で、妻やその家族とともに、何度かその教会の礼拝に参加させていただき、メッセージを通して聖書のことを教えていただきました。

もっとも、当時の私の立場としては、妻の「おまけ」で付いていっている存在だったという面もあり、礼拝に出て「勉強になる」、あるいは「面白い」という程度の認識でありました。また、妻は私に受洗を勧めるようなことは、こんにちに至るまで一度もありませんでしたので、直接的に受洗を考えることはありませんでした。

しかしながら、クリスチャンの妻を持つこと、また時に教会に足を運ぶということは、私と神様との距離を近づけるきっかけとなったことは間違いありません。また、頭の片隅に、「いつかそういう気持ちになったら、受洗することもあるかもしれない」という考えが生じつつあったように思います。これは単に「妻がクリスチャンだから」、「教会に行ったから」ということではなく、そうした経験を通して、妻やその家族、中西牧師や教会員の方々が、地の塩、世の光として働き、私の心を少しずつ動かしてくれたのだと思っています。


みっつめは、私自身の挫折をとおした神様との出会いです。これまで述べてきたように、聖書、クリスチャンである妻、あるいは教会と出会っていながら、それでもなお私が受洗をほとんど考えなかったのはなぜかということからお話ししたいと思います。

私の両親は、先ほど申し上げたとおりクリスチャンではありませんでした。また、特に父は地元のお寺の住職の方と個人的に仲が良くなかったこともあり、宗教的な制度のようなものに対して懐疑的な人でもありました。私自身もそういう家庭で育ちましたので、特に何かの時に神仏に対する信仰心を感じることはありませんでした。他人が何かを信仰するのを否定する気持ちはまったくありませんでしたが、私とは縁の遠いことのように思っていました。

「神であれ仏であれ、特に信仰を持たない」ということは、かなり最近まで、私にとってごく自然なことでした。私自身は私が支える、私はひとりで立つ、という発想があったのだと思います。あるいは、たいへん罪深いことですが、「私は強い人間だ」と思っていたのです。もちろん人生において、私は大小様々な「負け」や「失敗」を経験してきましたが、何か根本的に自分への信頼感、自分自身を恃む気持ちのようなものがありました。自分の存在、自分の魂が、究極的には自己の内部や、あるいは周囲の人間との間で完結できるのだと考えておりました。そうした考えが不完全なものなのではないかと、過去に聖書や文学作品を読んでいて考えることもあったのですが、悔い改めるに至ることはありませんでした。

最近になって、そんな私は挫折を経験しました。昨年4月、私は転勤で京都から小平市にやってきました。妻と、当時2歳半の息子も引っ越すことになるのですが、保育園の問題や子育て環境のことを考えて、どうしようかと相談いたしました。妻の両親が、数年前に大阪から山梨県の清里に移り住んでいましたので、妻と息子は山梨へ、私は小平へ離れて住むことにしました。一人暮らしは学生時代に慣れていましたので、特に問題はないはずでした。

週末に私が山梨に行くか、妻と息子が東京に来るかというかたちで、定期的に会っていました。はじめのころは何も感じなかったのですが、次第に寂しさを感じるようになりました。息子が新しい言葉を覚える、初めての経験をする、という成長のひとつずつが、私の知らないところで起こっているというのは、思いのほか辛いものでした。また、職業上においても、新しい職場の人間関係、新しい仕事といったストレスがあったのかもしれません。

半年ほど経ったある週末のことです。妻と息子が東京に来ていました。3連休の最後の日の朝、私の家から3人で出かけ、夕方、妻と息子が立川駅から山梨へ向かう電車に乗るのを見送りました。その時も寂しかったのですが、ぐっとこらえました。寂しさを紛らわせたくて、外で一人でお酒を飲んでから、夜、家に帰りました。すると、家のテーブルの上に、片付け忘れた3つのコップが置いてありました。私と妻の揃いのコップに、息子の小さなコップです。それは、私たち家族の抜け殻に見えました。束の間の団欒ののち、いまひとりぼっちになったという現実を突きつけられた気がしました。半年間こらえていた寂しさが、その時一斉に噴出してしまって、私は一人で声をあげて泣きました。

それからというもの、私は妻と息子に会って別れるたびに、いつも涙が出て、胸が空っぽになるような感じを抱くようになりました。そして、ひどい不安に襲われるようにもなりました。例えば「今日、妻と息子に会えないまま私は急に倒れて死んでしまうかもしれない」といった思いです。そうなると、しばらくその思いは去らず、ひどい時には胸がどきどきしたり、手が震えたり、顔が紅くなってしまったりしました。不安からの解放を求めて、「これは根拠のない不安なのだ」と自分に言い聞かせたり、気分転換に散歩をしてみたり、あるいはお酒を飲みに行ってみたりしました。しかし解決するどころか、不安はひどくなるばかりです。そんなことがしばらく続いて、私はもはや、私ひとりで立つことのできる存在ではないと気づきました。私は、私ひとりによっては弱い人間だったのです。

そして、「今日、私が死んでしまったら」という不安は、究極的な意味での生きる目的を持たない私にとって、たいへん辛いものでした。私は、例えば「おいしいものを食べる」といったことに小さな喜びを求めるだけの人生を送っている一方で、クリスチャンである妻は、神という支え、望みをもって生きています。私が死んでしまえば、私は妻と永遠に離れてしまいます。

そこで私は、聖書に答えがあるのではないかと考えました。私は金剛教会の中西牧師のメッセージ動画を、インターネットで探しました。すると、「悩むことはない」と題したメッセージで、次のみことばを紹介しておられました。


苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。(詩篇5015節)


自身では解決できない悩みに直面したとき、その答えを知る神に従えばよいのだというこのみことばに出会い、私は少し不安が軽くなったように感じました。

これをきっかけに、私は新しい気持ちで聖書の他の箇所を開き、そこには人の悩み、不安に関するみことばがたくさんあることを知りました。とりわけ、力を与えてくれたのは、イエス様が語ってくださった、マタイ6章26節からの「空の鳥を見なさい。」で始まるみことばです。「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」「あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」というみことばにより、神様が私たちを大切に思ってくださっていることを知りました。さらには、神様は、そのひとりごをお与えになったほどに私たちを愛してくださっているということの意味を、私は初めて分かり始めたのです。

私は妻とともに国分寺バプテスト教会を訪れ、礼拝に参加いたしました。何度か礼拝に参加したのち、こうした私の悩み、不安を米内先生に語ったところ、親身になって聞いていただき、私のために祈ってくださいました。たいへんありがたいことと存じます。

私は、これまでに、地の塩、世の光であるクリスチャンの皆様と出会い、また、挫折をとおして神を受け入れることができるようになりました。その偉大な計画によって私を導いてくださったことを、神様に深く感謝しています。私ひとりとしては弱くとも、イエス・キリストとともに歩むとき、私たちは支えられ、力強くなれるのだと思います。これから、クリスチャンとして、イエス・キリストとともに歩む者として、生きていきたいと思います。


以上のいきさつを、この地上において隣で見てくれていた妻が、私に示してくれたみことばを最後に挙げたく存じます。


苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇11971節)


posted by kbcc at 22:40| 礼拝