2017年06月26日

2017年6月25日礼拝メッセージ「人生の勝利者」Tコリント13:13 音声で聴く。

Tコリント13:13         「人生の勝利者」           17/6.25

【序】将棋界の勝利者は藤井聡太君だが、人生の勝利者とはどんな人?億万長者?高い地位を得た人?華やかな世界で活躍する人?…多くの方を見、また聖書を学んできて思うに、どうも違うのではないか。人生の勝利者についてメッセージしたい。


T.人生の勝利者とはどういう人のことか

1.キリストが「栄華を極めた人」と言われたソロモンの告白

最高地位の王、莫大な富、事業の成功者、最高の知恵。快楽…どれをとってもスーパー

だが、彼の告白空の空。全てが空」(伝1:2どうもそれらは勝利者条件ではなさそうだ。

2.私が出会った身近な人の証(Yさんに起こった悲劇と信仰告白)

生き甲斐は仕事、支えは健康と家族。支店長になった。憧れのデスク!三カ月後、胸の激しい痛みで病院搬送。心筋梗塞!一命を取り留めたが働けない。本店の社長に退職を勧められた。仕事と健康にも裏切られ家族は動揺。悶々とする日々の中ラジオの福音番組で聖書を求め読む。「仕事も健康も当てになりません。病気は辛かったが健康な時には得られなかった人生の支えと心の安らぎを聖書から与えられ嬉しいです」と。

※人生の勝利者とは「いつまでも残るものを」(Tコリント13:13を得た人だ。


U.いつまでも残る三つのものー信仰・希望・愛 

1.信仰=イザとなった時に真に依り頼める神への信仰

 試練は大抵突然やってくる。人間関係崩れる、大きな病、家庭の問題、経済ピンチ…そんな時何を支えにできるか?お金を山と積んでも命も希望も愛も幸福も買えない。聖書は真の支えは愛と全能の神への信仰だと語る。なぜ人が病や試練に会うのか。それはあなたの運や心がけが悪いからではない。倒れない前には今までの知識や経験で何とかもっていたのが通用しない世界のあることを知って、それに勝る新しい力と希望を知るためである!

2.希望死がひたひたと迫ってくる時にも死に打ち勝つ希望のこと

ジャンボ宝くじで一等三億円に当選したとする。大喜びの中電話が入り趣味で撮影した写真がコンテストで優秀賞をとった写真集を出版したいと。更に仕事の得意先から百億円の仕事の発注!一日に嬉しい事が三つも重なり頭がクラクラ。そこで、病院で熱さましをもらうが、医者から「一ヶ月前の人間ドックの検査の結果、現代医学では処置なしの難病で、余命一ヶ月」の宣告。その死の宣告を受けた時、それまで聞いていた嬉しい知らせは、輝きを増すか?否だろう。むしろ生きれないことを悔しくさせるばかりだろう。死という問題を解決しない限り、人生は何も解決していないのと同じことなのだ。

※キリストヨハネ6:3940

3.=人を真実に生かす力

一般的に愛とは「好き」になる事との理解。例:あの人を愛している=あの人が好きだ。しかし聖書が語る愛は好きという恋愛を意味しない。聖書の言う愛はアガペという言葉。日本語的に訳し変えると→「大切にする」が最も相応しい定義。「あの人に愛されている」「あの人に大切にされている」であり、「神はあなたを愛している」は「神はあなたを大切にされている」という事だ。この「大切にされる」という愛は実に大事で、私達はよく「元気が出る、出ない」と表現するが、あなたがたその環境で大切にされている時、あなたに元気が出てくるのであり、あなたがその環境で大切にされていない時、元気が出てこなくなるのである。故にあなたを造りあなたをあるがままで愛している神を見出すことは生きる上で実に大切である。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)  

【結び】吉田姉の御主人(膵臓癌)の救い…(次頁参照)






吉田勝亮(かつあき)兄の救いと平安体験の証

教会員吉田定子姉のご主人。永く吉田姉はご主人の救いを祈ってこられたが、困難を憶えておられた。(性格逆、ご主人が右と言えば、奥さんは左と思う。奥さんが教会に行けば、自分はお寺)そんなご主人が体の不調を訴えられたのが2004年夏、進行性の膵臓ガンが判明。しかしインフォームドコンセント受け付けない。しかし治療しにくいと言うことで通知。「ああそうですか」それから苦悩始まる。吉田姉も意を決して看病に当たられる。最後の正月を家族と過ごし病院に戻ったある日、2005年の1月24日の月曜日奥さんに「あんたはいいなあ、行くところがはっきりわかっていて…」と寂しそうに言われ、その表情から求めていると感じた奥さんが「じゃあ教会の牧師先生に来ていただく?」と聞かれると「うん。お願いしたい」とのこと。その夜電話をしてこられ、翌日私は出かけました。病院で自己紹介をし、「私にできることがあれば何でもいたします。心にあることを仰ってください」と申し上げました。ご主人は「私は退職してこれから何をするか…健康をかねてお寺参りに行くこともしていました。病気になってからは更にとも思い足を運びましたが、手を合わせても何の安らぎも得られず支えにもなりません。どうしたら支えを頂けるのか…」

私「そうでしたか。吉田さんが心の中にあることを正直にお話下さいましたので、私も率直にお話しいたします。…実は聖書によれば人間は皆天地創造の神様によって造られた存在です。ですから人間が作った偶像に手を合わせてみても安らぎは得られないのです。創造者である神様に立ち返ってこそ真の平安があるのです。でも人間は神の前には罪を持った者ですから、そのままでは清い神の国に帰ることはできないのです。それで神様は人間を憐れみ、神の御子であるキリストが世に下り、私たちの罪を身代わりに引き受けて救いの道を開いて下さったのです、それが十字架です。そればかりか、日曜日、死を打ち破って復活され、信じる者に永遠のいのちをさえ授けて下さるのです。」

吉田さん「それがわからんのです。死んだ人間が甦るなんて信じられません」

私「確かにそういう面がありますよね…。吉田さんは正月にお帰りになって奥様のお節を召し上がられたでしょう。その時変な話ですが、毒が混じっている等とは微塵も考えらなかったでしょう。そのまま信じてお食べになったでしょう。それと同じ様にキリストの弟子達は自らキリストの復活に接し、その後命を懸けて伝道していったのです。命を懸けて聖書も書かれたのです。そのまま信じられませんか」

吉田さん「わかりました。そう信じます」

「ではお祈りしましょう。私の後についてお祈り下さい」とお導きしたところ素直にお祈りになり、「主イエス様を罪からの救い主と信じます。アーメン」と祈られました。目を開けるとお顔は涙でぬれていました。奥さんも私もそうでした。ご主人は「ああ、嬉しい、これで永遠の命に預かられます。先生、不思議ですね。お話しいただいていた間、全く痛みがありませんでした」奥さんは「これは奇跡です。今まで生きてきて一番嬉しかった」と、どっかで聞いたような言葉を言われご主人と抱き合われました。その二日後、病院にお見舞いに行きました。余りの変化にその後どうなっているか気になっていました。行くと本当に喜んだ表情で迎えていただき「ああ良かった、変わってない。神様の御業だったんだ」と安堵しました。それ以上に聞いて驚いたのは信仰告白された翌日、お見舞いに来られたご自分の兄、姉に「自分はイエス様を信じて救われた」と言われ、さらに長年親交のあった仏教徒の友人に「悪いけれど、僕はキリスト教で行くわ」と証されたとのことです。それで話はトントン拍子でその週の土曜日、病床洗礼を授けることになったのです。東京の娘さんや大阪の娘さんもやってきての事です。本当に神様の御業としか言いようのない事でした。

29日病床洗礼。2月2日大勝利者のように平安の内に召天。



posted by kbcc at 15:45| 礼拝