2017年10月09日

2017年10月8日礼拝メッセージ音声で聴く。

ルカ4:1−4 「人はパンだけで生きるのではない」      

【序】高校の政治経済の先生が授業中に「聖書に、人はパンだけで生きるのではない、とあるだろう」と言われ

「そう、御飯も味噌汁も必要」と呟いたが、それはクリスチャンではなかった時代の全く見当外れの感覚だった

やがて教会に行き分かった。これは悪魔の誘惑に対してキリストが答えられた大変有名な言葉であり、人間にとって

本当に生きる力は何なのかを教える重要な御言葉であるという事だ。ここから三つのメッセージをしたい。

キリストが40日の断食をされ空腹を感じられたのを知って悪魔が近づきこう誘惑した「あなたが神の子なら、この石にパンになれと言ったらどうか」→(死んでは終わり、神の言葉より肉の糧が先だろう)と。それに対してキリストは人はパンだけで生きるのではない。(マタイ4:4は)神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるものであると答えられた。意味は?


T.神の言葉に従う事こそ生きる力である

【証】サリバン先生は母と弟に死に分かれ、父に捨てられ孤児院で育統合失調症にもなった。食事は与えられていたが、肉の糧は「生きる力」をもたらさなかった。彼女に「生きる力」をもたらしたのは聖書のキリストの言葉だった

神の言葉は肉の糧に勝る「生きる力」をもたらすのだ。


U.神の言葉に従う事生活保証する

生活の糧が大切であるのはお互いよく知っている。しかし生活の糧だけの追求は、多く獲得すると高慢になり易く、また少なくなると不満が出る。緊張の連続!しかし神の言葉を第一に生きようとする生き方は生活を保障するのだ。

【証】神学校一年生で体験した経済と信仰のレッスンは後々の人生在り方を方向付けた奉仕を終え礼拝が始まり献金の時間財布を開ける千円札一枚しか入ってなかった。それを捧げてしまうと神学校帰る電車賃が無くなる葛藤したが、歩いて帰ればよいかと腹を決めたら平安になり捧げた。夜の集会後ひとりの老婦人が私を呼び止め「孫が教会学校に通い始めて優しくなって…本代にでも遣って」と3千円戴いた。礼拝で千円を捧げなくても戴いたかもしれないが「神の国と神の義とをまず第一に求めよ。そうすればこれらに加えて全て与えられる」の真実を知った。

※神の言葉の従順は生活の糧を保証するのだ


V.神の言葉に従う事安全と祝福をもたらす

【証】米国開拓時代の実話…ヨーロッパの人々が自由を求めてアメリカ大陸東部に住み着いたが、まだ西部は未開拓。そこで時の大統領は「アメリカ西海岸には広大な土地と金がある。最初に着いた人から好きなだけ土地を与える」と言った。欲に目がくらんだ人達は我先に西へ西へと日曜日も休まず馬車を走らせた。しかしその中に一風変わった家族があった。日曜日になると旅をせず馬を休ませ家族で礼拝を捧げダンスや歌楽しみ十分休養を取るのである。1週間に一日の遅れは相当遅れる筈だが…さて西海岸に真っ先に到着したのは誰であろう。その一風変わった家族であった。他の人たちは途中で馬車は壊れ人や馬は病気になり結局後れを取ったのである。「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という神の御言葉は安全と祝福をもたらした

※神の言葉は損をするように見えたり後れを取るように見えたりするが最終的祝福をもたらす

posted by kbcc at 08:14| 礼拝