2017年10月23日

2017年10月22日礼拝メッセージ 「あなたはどこから来てどこへ行くのか」Tペテロ2:22-25音声で聴く。

Tペテロ2:22−25  「あなたはどこから来てどこへ行くのか」    17.10.22

[序】外国からの観光客が記録的に多い。和食アニメグッズ、商品を買うとかで来るのだ。口々に日本は安全で商品も安心、親切であると言ってくれて嬉しくなる。感謝すべき国に住んでいるのだだから住んでる私達は満足に溢れて然るべきだが、現実は社会も個人も非常な不安やストレスをかかえている。なぜか?聖書によれば、「魂の牧者である神から離れて迷子の羊の様にさ迷っている」(25)からだと言う。迷子は三つの事が分からない!的なメッセージをしたい。


T.どこから来たか分からないー命の創造者を見失っている

自分の命の根源は親だろうか?しかし親は男か女さえ決定できない。聖書は魂の牧者、監督者である神」(25)が命の創造者と語る。しかし神は存在するのか画家はそこにいなくても、画家の絵があれば画家の存在を疑う余地はない。同じ様に神は目に見えないが、存在される事はその作品を見れば分かるエペソ2:10人間は神の存在を証する例証「眉毛は何故あるか」子供ラジオ番組…顔の中で最も汗をかく額の汗よけ)…人間の骨の中で唯一成長しない耳小骨→音の感知骨成長してしまっては親の声が分からなくなる)デザイナーがいるとしか考えられない。

神こそあなたの創造者。このお方が解らない時、人は根元的生きる意味が分からない


U.どこにいるべきか分からないー自己存在の安心と価値を見失っている

動物園なんかでよく迷子が出る。大抵泣いている。なぜか?原因は単純→親(の愛)

ら離れたからである。子供は親の愛の中で魂の安心と価値を得るに、人は何かに没頭

している時は不安はないが、試練に出会うと自己存在が不安になる。魂の牧者である神

の愛から離れては絶え不安と緊張の中にあるのだ

ではどの様にして自分の存在価値を見いだすか?富か能力か?これらは人との比較の中で優越感や劣等感でフラフラして真の力にならない。聖書があなたに見出す価値は絶対的なのだ→「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)

一般的には、愛とは「好き」になる事だと考えられている。例:あの人を愛している=あの人が好きだ。しかし聖書が語る愛は好きという意味ではない。聖書の言う愛は原語でアガペといい、訳し代えると→「大切にする」が最も相応しい定義。「あの人に愛されている」というのは「あの人に大切にされている」であり、「神はあなたを愛している」は「神はあなたを大切にされている」という事だ。この「大切にされる」という愛は実に大事で、私達はよく「元気が出る、出ない」と表現するが、あなたがたその環境で大切にされている時、あなたに元気が出てくるのであり、あなたがその環境で大切にされていない時、元気が出てこなくなるのである。故に「大切にして下さる」存在を発見するというのは極めて幸せな事だ。その言葉を実際の歴史で示されたのが→十字架に示された愛v22-24


V.どこに行くか分からないー死後に行くべき場所を見失っている

人は元々死後、祝福された神の世界に行くべく造られたが、罪をもっている故に清い神の天国に行けない却って祝福の無い地獄に行かねばならない。その為に愛の神は御子キリストの十字架によって罪の赦しの道を開き天国に行く道を備えられた。

【証】パスカルの「パンセ」の中で

天国、地獄がある+1

天国、地獄がない0   ※「信」を選べばどちらに行っても大丈夫。


天国、地獄がない0   「不信」を選べば死後の世界があれば極めて不安! 


天国、地獄がある−1

posted by kbcc at 15:12| 礼拝