2018年03月05日

2018年3月4日礼拝メッセージ「きっと直る」ルカ8:43−48 音声で聴く

ルカ8:43−48   きっと直る」  

【序】牧会訪問で感じる事であるが、同じ様な問題や病気で悩む方にも心の奥に「希望」があるかないかは、回復において問題解決において随分違う結果を生み出すものだ。…今日の人物は絶望的な状況の中で決して望みを捨てず、遂に救いと社会生活の回復を得た人の話。


T.婦人の絶望的状況

「12年間、長血を患った女性」(43)―命の源である血を絶えず失う病であり、貧血と虚弱の身体で生きていた女性である。当時こういう女性の場合、祭司たちからは長血故に「汚れた女」とみなされ、町から隔絶された所で生きねばならなかった。加えてマルコ5:26では「多くの医者から酷い目にわされており、自分の持ち物を皆遣い果たし、しかも何の甲斐もなく却って悪くなる一方であった」とある。彼女は医療にも経済にも社会にも見離された悲惨な人生を生きていた。こんな時、生きる力を失い絶望状態になり易いが、彼女は望みを捨てなかった!いかなる状況にあっても、望みを捨ててはいけない。「失望したければ周りを見なさい、絶望したければ自分を見なさい。しかし希望を抱きたければ神を仰ぎなさい」(キルケゴール)内を見て横を見て失望してもまだ「上」があるのだ


U.絶望を変えるもの―キリストへの信仰のタッチ

そんなとき彼女はキリストの噂を聞いた。人々は言った「キリストは足なえを立たせた。盲人の目けた。死人さえ甦えらせた。お偉方の祭司と違ってあの売国奴の取税人さえ弟子として受け入れた。あの汚れた姦淫の女の罪を赦し新しい人生を与えられた。神の子、救い主ではないか」と。会いたい!でも汚れた人とレッテルを貼られた自分がどうして会えよう!しかし彼女は勇気を奮って群衆の中に紛れ込み、キリストの後からその衣の房に触った(43)彼女の思いをルコ5:28で「着物に触る事でもできればきっと直る、と考えていた」とある。信仰をもってタッチしたのだ。その時、出血が止まった!全身に生気が甦ってくるのがわかった。癒された!絶望を変えるもの―それはキリストへの信仰のタッチなのだ!

【適用】現代の礼拝でもただ興味本位で教会に来ている者と、信仰をもって近づいてくる者の違いが神にはおわかりになる!あなたが少しでもいい、キリストに信仰をもって近づくことを勧めたい!そのとき何かが起こる!


V.新しい希望に生きるために必要なものーキリストへの告白

彼女は一つだけ間違いを犯すところであった。黙って帰ろうとした事!心の中だけで済まそうとしたのだ。しかし心の中だけだと決心がうやむやになるのだ。古い自分と決別し、新しい自分を生きるためには、どこかで後ろを断ってけじめを必要とするキリストは誰が触ったか知ってはおられたであろうが、彼女に告白の機会を与えて新しく生きるチャンスを与えられた。もう一つ大事なことは彼女の病が公の場で「完治」と宣言されない限りいつまでも社会復帰ができない。キリストはその機会を彼女に与えて新しい人生を可能にさせたいと願われたのだ。→「あなたの信仰があなたを救った」(48)しかもお褒めの言葉付で!

【適用】自分の願いが満たされれば神への信仰に生きるなくちゃっかり恵だけ得て離れようとする身勝手さが人にはある。主に信仰告白して新しい歩みをしようではないか!

posted by kbcc at 09:39| 礼拝