2018年07月16日

2018年7月15日礼拝メッセージ「狭い門」ルカ13章22-24節 音声で聴く。

ルカ13:22−24          「狭い門」         18.7.15

【序】聖書は古代の本でありながら現代でも毎年ベストセラーを続けているスーパーベストセラーだが、何故か一般的に聖書の言葉が誤解されて使われている事が多い。「狭い門」もその一つ。競争率の高い受験などを「狭い門」と言う。でも本当の意味は違う。そこで今日は、誤解し易い「狭い門」について正しく理解しておきたい。


T.「狭い門」とは何か

狭い門の意味はここではわからない。そんな時は他の箇所を参照して見ると分かる。マタイ7:1314では狭い門=いのちに至る門のこと。肉体的命は私たちが既に今持っているものなので、その命ではなく、聖書が「永遠のいのち」と呼んでいるもの。つまり死後に与えられる永遠の命に至る門のことである。


U.この「狭い門」に対する態度はどうあるべきか

「努力して入りなさい」(24)と勧められている。

聖書が繰り返し語るのは、永遠の命を得るために難行苦行や善行、努力は要らない、ただキリストを救い主と信じる事だ、と言われる。けれどもここでは「努力して狭い門から入りなさい」と勧められる。この「努力」とはどういう意味か?→入るのに反対と躊躇いがあってもめげず努力して求め続けて遂には入れとの意味

【証】私の場合…家族に誰もクリスチャンはおらず。家族は反対するのではないかとか受験が済んでからでいいのではないか、と躊躇いがあった。実際父はこう言った「正夫が交通事故に遭い命拾いし、教会に行って救いを得たのは分かる。しかしどんな病人でも病院に行って直してもらったらいつまでも病院にはいないで普段の生活に戻るだろう。正夫もいつまでも教会にいなくてもよいではないか」と。私も思わず納得しそうだったが、それでもクリスチャンになったのは次の理由からであった。

V.なぜ「狭い門」を入る必要があるのか

様々な反対や躊躇い中で、それでも狭い門から入らないといけない理由が二つある。

@「入ろうとして入れない時が来るから」(24b)

地震がいつ来るかわからない様に、いつ死ぬかわからない、死んでからでは救いはない。聖書では死後の裁きとして地獄の火で燃やされる世界と表現する。ある無神論者が嘲笑って「そんな世界中の人の為の火をどこから神は用意するのか!おばあさんが答えた「そこへ行く一人一人が持っていくのさと。私たち自身の罪の火が私たちを焦がすのだ。故に地上の罪の解決はキリストにしかないのであるから早く信じる事だ。

A事実の上に成り立った信じるに足る教えだから。

【証】亀谷凌雲師の証…北陸の18代続く寺の住職の家系に生まれたが、東大に入り宗教を研究する中にキリスト教に触れ、その違いに驚く。特に仏教では死後の世界が不確か。極楽に行ったとされる御釈迦さんも死後に見た人はいない、仏になったであろう、そうあってほしいという願いだけで確証はない。しかし聖書を読んでキリストは死後復活して弟子達ばかりか多くの証人たちに復活の証拠を示し、その弟子は殉教までしている。何という違いか!圧倒され賀川豊彦の講演についていき、とうとうキリスト教信仰を持った。そうなると寺の一切を捨てねばならない、しかし捨てたと思ったものにまさる良きものを得たと述懐しておられる。

posted by kbcc at 20:52| 礼拝