2018年08月19日

2018年8月19日人気礼拝メッセージ 「今日の小事は明日の大事」ルカ16章1-12節 中西正夫音声で聴く。

ルカ16:1−12 「今日の小事は明日の大事 18/8.19

【序】以前今日の箇所について尋ねられた。「この譬え話の意味が分からない。主人の財産を使い込み、見つかって職を失う危機を知ると、今度は債務書を勝手に安く書き直し債務者に恩を売って助かろうとする。実にずるい管理人なのに、なぜ主人は「ほめた」のか?更に不正の富で自分のために友を作っておけば富がなくなった時、永遠の住まいに迎えてくれる?」そんな事で天国に行ける筈がない」と。その通りで真に不可解な譬え話だ。そこで@先ずこの疑問に答えたい。Aこの中心メッセージは何か B中心メッセージに生きる力はどこにあるか?を伝えたい。


T.疑問に答えて

 @疑問その1―主人の財産を乱費し(2)、しかも職を失う危機を知ると債務書を勝手に粉飾したずる賢い管理人のやり方を、なぜ主人は「ほめた」(8)のか?

:「ほめる」は賞賛ではないだろう。抜け目なさに呆れた感心であっただろう。喩えていえば、刑事がずる賢い犯罪者の手口に感心するのと同じ。

 A疑問その2―「不正の富で自分のために友をつくりなさい。そうしておけば富がなくなったとき、永遠の住まいに迎えてくれる」(9)?そんなお金で造った友達が天国で迎えてくれる筈はないだろう!

これは文字通りに解すると聖書の真理に反する。∵永遠の住まいに入れる権威のあるのは神だけで人間に資格も権威もないからだ。この意味は「皮肉的用法」=「せいぜい不正を働くがよい。そうすればあなたがお金で作った友達が永遠の住まいに迎えてくれるだろうよ…」 そんなことはないことの裏返し的用法。


U.中心メッセージは何か

(だから)「小事に忠なる者は大事にも忠なるべし」(10)

与えられた務めが小事でも、それに忠実でなければ、人生の次のステージに大事はまかせられない。大事ができるかどうかは、小事に対する忠実さで量られる(10)との意味である。私達は小事を適当にしがちだが、神は私達がその小事をチャンとするかどうかで大事を任せる人物かどうか判断される。唯、その小事を行う環境は好ましくない環境の場合が多い。しかし神は人を豊かな信仰と人生に導く場合、そのような環境に置かれるのだ。その最たる例がヨセフである。私達はその環境に振り回されがちだが、大切なことは最終的にあなたをそこに置かれたのは神であって不運ではない!そこをちゃんと見れるかどうかだ!→創世記45:3−5!


V.忠実さに生きる力はどこから来るのか

忠実さに欠けると嘆く人よ→実は神様は人間にこの忠実さが状況や気分で無くなったりすることを御存知で、人間の生来の力ではなく御霊の実の一つとして与えることを約束された(新改訳聖書では「誠実」だが口語訳聖書では「忠実」)

つまりキリストに結びつくことによる神のもたらす「実」である。私達の務めは実を結ぶ努力ではなく神に繋がりつづける事!


【証】飽きっぽい私の性格なのに「続いていること」…

posted by kbcc at 22:23| 礼拝