2018年10月22日

2018年10月21日礼拝メッセージ「成功したのに満たせなかった人」ルカ19:1-10音声で聴く。   

ルカ19:1−10成功したのに満たせなかった人」  

【序】TV番組に「なんでも鑑定団」がある。「お宝」を鑑定士から価値を付けてもらうのだが、数千万円という評価で大喜びもあれば百万円で買ったが偽物で5千円、聴衆の笑いを誘う→結局価値は誰が作者かが決定的。聖書によると、あなたの作者は最高に偉大な神であり、それ故あなた自身に素晴らしい価値があるのだが、今日出てくる人物は違うもので自分を価値づけようとした人である。しかしやがて真に価値づけをして下さる方に出会う。伝えたい。


T.ザアカイが目指したもの 

「取税人のかしらで金持ち」(2)仕事で成功し地位と富を得、それによって自分を価値づけようと生きたのだ。これは今日多くの人が求める生き方で、凡そ人が幸福と考えるものを悉く手にした筈だが…彼は幸せではなかった。

U.成功者になったのに意外な虚しさ

@思ったほど満足感なし

 彼は成功者となったが、どうしてもキリストに会いたいと思い、大人げもなく無花果桑の木に登ってまで見ようとする(3,4)。キリストは全く地位や富に縁が無く愛の極みの様な方。もしザアカイが地位と富で満足していたら、どうしてもキリストに会いたいとは思わない筈。これは彼が地位やと富で満足できなかったという事。  

なぜ富や地位で自分を価値づけることができないのか?→「神は人の心に永遠を与えられた」(伝3:11)つまり神に造られた人間はその心に永遠なる神を受け入れて初めて満足できるのに、この世の一時的なものでは満足できない様に造られている。

 A愛されない孤独

「罪人」(7)と呼ばれる→愛されてないという事!人々は仕事上自分の所に来るが、人間として愛されてない寂しさ! 

  【適用】孤独というのは内気とか友達付き合いが下手だからという理由で孤独なのではない。人は最後まで頼りになる友を持っていないという理由で全ての人が孤独なのだ。両親も友人もお金も地位も最後まで頼りにならない。ザアカイは堪らない孤独を感じた。

 B罪を自覚し始めた

   「私がだまし取ったものは…」(8) これは素晴らしい自覚なのだ。罪を犯したことは悪だが、その自覚があるかないかが大切だ。

【例】教会学校教師が生徒に尋ねた「キミは死んだら天国に行けるかな?地獄かな?」生徒「良い事をした人は天国に行け、悪い事をした人は地獄と思います。僕は良い事も悪い事も両方したので中国です」!!!

しかし良い行いの人が天国に行き悪い行いの人は地獄に行くのではない。聖書によれば「全ての人は罪を犯した」(ローマ3:23)とある。∴全ての人はそのままでは天国に行けない。ただ罪を素直に認める事が救いの始まり!ザアカイにこの自覚が生まれた。

V.虚しさからの救い

上記の三つの心の虚しさを払拭する方に出会った→キリストである!

@会った事もないのに自分の名前を知って名前で呼んでくれた(罪人と呼ばれていたのに)

A自分を価値ある者と認めてくれた(「アブラハムの子」とはユダヤ人にとって最高の扱い)

B自分を責めずに受け入れてくれた(→自ら罪の告白)

posted by kbcc at 08:21| 礼拝