2019年03月24日

2019年3月24日礼拝メッセージ 中西正夫牧師 「心の貧しい人は幸いです。」マタイ5章1節から3節音声で聴く。

マタイ5:1−3 心の貧しい者は幸いです」  

【序】高校生時に生まれて初めて読んだのが今日の聖書「…」チンプンカンプンだった。なぜ心の貧しい人が幸いなか!?心が豊かな人は幸いと言われたら解るような気がした。でも全く反対の言葉。これはキリストが語られた山上の垂訓で幸福について言われた最初の言葉、それだけ深い意味がある。そこで今日は第1にこれはどういう意味なのか。第2に何故心貧しい者が幸いなのか。第3に心貧しい者は幸いと神が言われる意図は何かについて話したい


T5:3の意味

長く解らなかった、ある時色々な聖書翻訳を読んでいてわかった。「現代人のための聖書」訳にこうあった心の貧しさを知っているは幸いだ」

心が貧しいこと自体は困ったものだが、自分心の貧しい人間だという事を知っている人は全ての幸福の原点なのだということなのである


U.なぜ自分の心の貧しさを知っていることは幸いなのか

逆を考えればわかる。一般的には、正しい人間でありたい、良い人間であろうとする人が断然多い。勿論「正しい」ということ自体は素晴らしい事だ。しかし「正しい人」、一つだけ大きな弱点がある。それは相手に対する寛容さを失う赦せないという事だ。それは自分が正しければ正しいほど、或いは正義の論理が立てば立つほど難しくなるのだその良い例がルカ15章の「放蕩息子」の兄に見られる。兄は弟の様に自分の欲のために身勝手な家出はしない。自分まで家出したら父事業はどうなるかと考える責任感が強い。だからと言って報いもほしいが、我慢するのだ。しかし弟が帰還して怒りが一気に爆発する。「私は長年お父さんに仕え戒めを破ったことは一度もない。その私には楽しめと言って子山羊一匹下さったことはない。それなのに遊女に溺れてあなたの身代を食いつぶして帰って来た「あなたの息子」にはえた子牛を屠るのですか!」どうしても赦せないのだ。だから折角良いことをしているのに喜びがない。責任感だけで動いているのだ。このように正しい人間であろうとする人は、自分が頑張っている分だけ相手の落ち度を赦せ憤るのだ。これは不幸なのだ。しかし考えなければならないのは、正しい事をしていると言うが果たして完璧に正しいのか?違う「義人はいない一人もいない」(ローマ3:10)しかし世界にたった一人完璧に正しいキリストはどうだろう?私達人間は正しさが優しさにつながらないが、キリストその完璧な正しさに優しさが加わるお方なのだそして罪人のために身代わりの裁きを受けて下さるお方。


V.心の貧しい者は幸いだという神の意図は何か

聖書がなぜ人間は心の貧しい者だとか罪人とかいうのか?それはもうわかっている

から隠す必要がないという事だ。神の前にたちは過去に傷があり、隠し事があり 

恥ずかしいである事全部見えているので取り繕う必要無いですよ「正しい」

見栄張る必要はないですよ。あなたが心の中のどす黒いものが見えてもわたしはあ

なたを愛していてあなたの為に解決の道を十字架で開いたから隠す必要はないですよ。

正しい者だと虚勢を張らず心貧しい者である事を知って救いを得穏やかに生きなさい。

posted by kbcc at 20:23 | TrackBack(0) | 礼拝
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