2019年04月14日

2019年4月14日礼拝メッセージ 中西正夫牧師 ローマ5の5 「失望はあっても絶望はない。」音声で聴く。

ローマ5:5「失望はあっても絶望はない」 19/4.14メモリアル

【序】今日の説教題は「…」だが、これは聖書を読む人生を生きて55年、牧師になって45年の実感である。今日はこの事の体験の証と共に、それから見える聖書的真理を二つお話ししたい。


T.駅前伝道の証

私は開拓伝道の頃から続けている働きで金剛駅での路傍伝道がある。プラットホームに立つ方々を前にして椅子の上に立ちマイクをもって聖書のショートメッセージで語りかける。ある日話を終え帰ろうとした時、一人の男性が近づき私に「私は直ぐ裏のタクシー会社の車の中で何回もお話しを聞いていました。それで教会に行きたいと思うのですが」。その方はタクシーの運転手kさんだった。私は駅に立つ人々に語っていたがkさんは裏の車の中で聞いておられたのだ。「勿論です。どうぞ教会においで下さい」というで、次の日曜日から教会の礼拝に出席を始められ求道心も強く2年出席され聖書入門講座でも学び、神様の存在も十字架の意味もよく分かったが、中々信仰の決心に至らなかった。それは700年も続いたお家の跡取り息子で仏壇があり、その事で、どうしても洗礼の決意までには至らなかった訳だ。その問題が解決できないという事でやがて教会から遠のいて行かれた。

もう求道もここまでかと思っていた12年後のある日、札幌から電話が入った。それはその男性のクリスチャンの妹さんからで、妹さんの話によると、「今夏、脳内出血で一ヶ月半入院しましたが、意識朦朧となって倒れているとき十字架の幻を見た。その時中西先生のことが思いだされた。会いたい!悪いけれど連絡してくれないか」とのお話でした。私は「行きましょう」とお答えし、翌日出かけることになった。妹さんも札幌からわざわざ出て来るという。訪問してみると左足が少し不自由になったものの、言葉には不自由がなく、12年の経過も忘れて昨日のごとく、脳内出血で倒れた事や家庭の時間ほど話し続けられた。じっと聞いていたが、話が終わって私は言った。「kさん、神様から離れて生活してこられたけれど…もう充分でしょう。今回神様はkさんの命を守り、十字架を心の眼に見せてくださいました。どうですか?あなたのために十字架に黙ってかかり、罪の裁きを身代わりに受けて下さったイエス様を罪からの救い主と信じ従って行かれませんか?」「わかりました。お従いします」その後は短い涙の祈りだった。妹さんも「北海道から出てきた甲斐がありました」と喜びの涙。そしてやがて病床洗礼へと導かれた。


U.この経験を通して、分かる聖書的真理

1.人生、諦めてはいけない

「善を行うのに飽いてはいけない。失望せずにいれば時期が来て刈り取る事になる」(ガラテヤ6:9)善を行っている方よ。諦めてはいけない。

2.病と弱さ神の恵みに変わる

kさんは元気なとき、最後の信仰告白の決断が出来なかった。でも病を得て心が変えられ恵みを得た我が国では重い病や障害、不幸を経験すると先祖の祟り、因果応報だとか、心がけが悪いとか、とんでもない事を言われる、しかしキリストは全く違う素晴らしい事を言われた→ヨハネ9:1-3!病も障害も不幸も神の恵みの素晴らしさが現れる機会となる。【ハンセン病者玉木愛子…目を捧げ手足を捧げクリスマス

神の恵みは考えも生き方も変えるのだ。あなたにも知っていただきたい。


posted by kbcc at 11:56 | TrackBack(0) | 礼拝
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