2019年04月21日

2019年4月21日 礼拝メッセージ 中西正夫牧師 ヨハネ20章24から29 疑い深いトマスとキリストの復活音声で聴く。

ヨハネ20:24−29「疑い深いトマスとキリストの復活」

―受洗に際し、幸福な人は@打ち込む仕事A心分かちあう友B人生の支え、を得る人―Bを得たー

【序】私が教会に通い始めた頃、何が信じられないと言ってキリストが死人の中から復活された話程信じられない話はなかった。私だけでなく主の弟子のトマスもキリストの復活を信じられなかった人物である。その彼が変えられていくのだが、このトマスを通して聖書が語るメッセージを伝えたい。


T.神の恵みは遅れるように見える時がある

 キリストは他の弟子には現れて下さったというのに、なぜ私には現れて下さらなかったのか(24)一自分だけ恵みから外されたような思いがトマスにあった筈。

 【適用】私達もトマスのようになってしまう事がある。友達が次々とのあたる場所に出ていき、社会の評価を得ていくのに、自分だけが損な役回りで取り残されてしまったと感じる時。自分は病気で寝込んでいるのに、周りの人はみな元気で幸せそうな生活をしている時。そんな時、私達は自分だけが神の恵みから外された思いになる。しかし覚えるべき事神はあなたのを知っておられ、最もふさわしい時に恵みを下さるという。事実キリストは八日後にトマスに個人的に現れ深い確信に導かれた。そんな時のアドバイスは、じたばたせずそこに留まって待ち望む事だ。


U.復活は否定できない事実である

キリストが復活したということを聞いてもトマスには受け入れられない。今までの

経験や知識で受容できないからだ→「私は…見なければ決して信じない」(25)

現代でも復活と聞くとせせら笑う方がいるが、それはあなただけでなく当時の弟子たち全員そうだった。弟子達は裏切り、逃げ出し、自分たちのいるところの戸をみな閉めて捕まる事を恐れていたのである。意気地なしであった。しかしそんな彼らが数日後全く別人のようになってキリストの復活を宣べ伝えて殉教までするに至る。なぜそうまでして強くなったのか?それは聖書が記している通りキリストの復活というよりほかにないのだ。→27,28圧倒的な否定できない事実なのだ。

 【証】無神論者ウオーレス将軍の回心「べン・ハー」の作者


V.見ずに信じる者になりなさい

 「見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(29)

「見ずに信じる」とは証拠を見ずとも聖書を信じ神に従う生き方をしなさいとの意

【例証】「カラスは喋る」と聞いても信じられない人がいるだろうが私は駅前伝道で知ったこれは見れば信じる信じ方。それに対して愛とか信仰の世界は、証拠を見ずとも信じる世界。友人が「家に来てくれないか」と頼む。「なぜ行かねばならないのか?!」とあなたはしつこく尋ねて納得できれば行くのと「わかった、君が言うのはきっと大事なことがあるからだろう、理由を聞かずに行くよ」どちらがより深い友情か

【適用】人間は明日が分からない。何に頼るか?人脈、金脈、知恵や経験それでも不安。明日がどうなるか分からないからだ。しかしここに明日を明確に知っておられる神がおられる神は明日の事で不安になる私たちに聖書を与え確か生きる道を示された。故に明日は見ることができないが見ずとも聖書を信じて生きる」ことができる。それ故のキリストの言葉である。感謝して進もうではないか

posted by kbcc at 12:22 | TrackBack(0) | 礼拝
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