2019年05月07日

2019年5月5日礼拝メッセージ 「勇気ある信仰表明」ルカ23章50-55節音声で聴く。

ルカ23:50−55      「勇気ある信仰表明」                2019/5.5

【序】自分の信じている事を表明するのは一寸勇気が要る。特に反対の中での信仰というのはそうだろう。明治時代に日露戦争に反対していた幸徳秋水は天皇暗殺を計画したと嘘の理由で死刑になった。葬儀に参列すれば国賊と見なされると恐れて出席者はたったの6名。キリスト教葬儀の司式をしたのが植村正久牧師。こういう勇気ある人がいたのだ。時に勇気が必要。今日の人物を通して学びたい。


T.ヨセフはぶれない信念を持っていた

  アリマタヤのヨセフは議員であったが「議員達の計画や行動に同意しなかった」(51

彼らの殺害計画がキリストへの妬から来ている事を知っていたからである。それに

しても大勢の仲間と違う考えを表明するのには勇気が要る。

【適用】職場や学校、サークルなどで自分一人だけ反対する事が難しいのはよく知るところだからである。特に利害が絡むとそうだ。それを考えるとヨセフという人物は間違った多数の声にもぶれないで正しい判断を失わない立派な人だった。


U.ヨセフにも恐れに負ける時があった

  ヨセフは信念においてぶれない正しい考えを持つ人であったが、そんな彼にも弱さに支配された時があった。それは恐れに捉えられていたからだ。→「イエスの弟子であったがユダヤ人を恐れてその事を隠していた」(ヨハネ19:38

   彼は心の中ではキリストに心服しキリストこそ救い主であると受け入れていたのであるが、それを表明するのは、恐れでできなかったのである。

   【適用】この日本という社会の中でただキリストに従って生きていこうと考え始める時、大なり小なり同じような悩み、ためらいを感じるのではないか。先祖のことはどうなるのか。友人はどう思うか?職場で不利にならないか?好きな人に自分の信仰を表明すれば離れられてしまわないか…様々な恐れが生じる。ヨセフはどうしたのか?


V.ヨセフは「思い切って」信仰の行動に出た

「ピラトのところに行きイエスのからだの下げ渡しを願った」(52)

  それを表明する事は非常に勇気がいった筈。自分の議員バッジを外さないといけないかもしれない。生活の不安も当然あっただろう。私にも牧師になるために神学校に行くと両親に伝えた時反対に会い母親に泣かれたことがあるので躊躇っている気持ちが分かる。しかしそんな時どう考え行動したらよいのか?→マルコ15:43は、その時の心境を語っている→「思い切って」。思い切ってとは心配も恐れも将来の事も神に委ねる、という事だ。

【適用】私たちは恐れのために小さな計算をするのだが、二つの事を考えよう。

@今正しい道を選ばなかったら後の後悔の方が苦しみは大きい。A神は悪いようにはされない。(ローマ8:28)

だから正しい事には「思い切って」行動しようではないか!

posted by kbcc at 00:42 | TrackBack(0) | 礼拝
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