2019年05月21日

2019年5月19日礼拝メッセージ 「生きている方を死人の中で捜すな」ルカ24章1-9節音声で聴く。

ルカ24:1−9     「生きている方を死人の中で捜すな」      19/5.19

【序】私は数十回の結婚式と葬式を行ってきた。結婚式はクリスチャンの場合もそうでない場合も似たような華やかさと喜びがある。しかし葬式は全く違う。クリスチャンの葬儀ほど悲しみを越えた希望を感じる葬儀は他にない。一その希望をもたらした出来事が今日の箇所にある。このテキストを通して三つの事を考えたい。


T.途方に暮れる原因は何か

「女達が途方に暮れていると」(4)とある。その原因は何か?

  主イエスが金曜日に亡くなられ葬られた後、遺体が腐敗しないように「香料」を持ってきたが、遺体がなくなっており、どう対処してよいか途方に暮れたのだ。しかしそれは些か表面的、浅い見方である。というのは8「女達はイエスの御言葉を思い出した」とある。つまり、困った現実に直面した時に、それに支配されて御言葉を思い起こせなかったことが途方に暮れる最大の原因なのである。

【適用】私たちも現実の中で「途方に暮れる」ことがある。それはほとんど自分の経  験や知識だけで判断し行動し、別の展開が可能なのに、無いと諦めているからだ。必要なのは、御言葉を思い起こす事である。すると新しい希望の行動が生まれる。


U.キリストの復活が私たちにもたらしたものは何か

御使いは言った「ここにはおられません。甦られたのです」(6)

キリストは十字架で人類の救いの道を成し遂げて生涯を閉じられた、死で終わりではなかったのだ。死を打ち破り復活されたのだ!しかし強調したいのはキリストの復活は、私たちと深い関係があり希望を与えるものだという事。→ヨハネ11:25「わたしはよみがえりです、命です。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」

 キリストの復活によって信者に死後の永遠の世界が開かれたのである。

 【適用】ある人は「あの人は病に負けたから死んだのだ」と言うがそうではない。天国で新しい働きのためにその人を神が必要とされる時が来たから召されるのだ。地上よりも最も生きる喜びをもたらす天国での奉仕の時が来たのである。死の不安の中にある方よ、この希望を掴んでほしい。


V.命あるものをどこで捜すべきか

御使いは「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」(5)と言った。この言葉は非常に大切な真理を含んでいる。多くの人々は生き甲斐や、生きる喜びという「いのち」を求めているが、その命を「いのちの無い中で捜す」間違いを犯しやすい。「いのち」を持たない地位や富の中で捜しているのではないだろうか。真の命と力は神の手の中にあるのだ。エペソ1:19の実証

【証】「リーダーズダイジェスト」(19963月号)の記事―ランドルフ・バード博士の研究論文(次頁参照)


サンフランシスコ総合病院の冠状動脈疾患集中室の393人の患者をコンピューターが、病院内の治療にプラスして祈ってもらうグループと病院内の治療だけのグループに分けた。どの患者がどのグループに入ったかは誰にも知らされなかった。祈る人たちにも患者の名前と病状についての簡単な説明を知らされただけだった。そして彼らは患者が退院するまで毎日祈るよう支持されたが、患者も祈られている事は知らされていなかった。10か月後祈ってもらった患者は次の重大な益に預かった。

○祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者に比べて抗生物質の投与が1/5で済んだ。

○うっ血性心不全になる確率は、祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者よりも60パーセント低い

○心停止の確率が祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者よりも50パーセント低い。

研究されていた治療法が「祈り」ではなく、新薬か新しい外科治療なら医学上の大

発見として大々的発表になる事だろう。又懐疑主義者のウイリアム・レーノン医師

でさえ「これが正当な研究なら、我々医師は処方箋に『一日三回祈ること』と書か

ねばならないだろう」と語っている。

posted by kbcc at 20:13 | TrackBack(0) | 礼拝
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