2019年07月01日

2019年6月30日礼拝メッセージ 「人は変わり得るか?」マルコ3章16-17節音声で聴く。

マルコ3:16,17       「人は変わり得るか?」     19/6.30

【序】教団の用事でよく東京の会議に通ったが、私が何年も変化のない教会の報告をしていた時に理事長の先生が「人間は変わらないね」と言われた。翌日も会議で今度は良い教会の報告をしたらその先生が「人間は変わるね」と言われ「どっちやネン!」と突っ込みたくなった。しかしこれはどちらも真実である。人は容易に変わり得ない面を持っているが、同時に神の恵みによって変わり得るものでもある。特に私達は自分の弱点があり、変えたいと思うものだ。心配性だとか、イライラし易いとか、しつこいとか、愚痴を言い易い…

来週からヨハネ伝からメッセージを取り次ぐが、ヨハネ伝はキリストが個人を取り扱われる福音書。著者ヨハネも弱点があったが変えられていった。そこを先ず語っておきたい。『人は変わりうる』と言う事だ。


T.ヨハネはどう変えられたのか

 彼の性格は激しかった。「雷の子」とあだ名(マルコ3:17)気性が激しかったのだ。→不信仰のサマリヤの町を焼き滅ぼす提案。

 そんな彼が晩年どう変えられたか→ヨハネの弟子ポリュカルポスの書物:

「エペソ教会でヨハネ先生は主イエスを思い起こすかの様に『兄弟姉妹、互いに愛し合いなさい』と。正に愛の使徒に相応しいお言葉を語って下さった」

愛の使徒と言われる程変えられたのだ


U.何が人を変え得るか

 ハッキリこれが彼を変えた、という記述はされてないが、大きなしかもこれがそうさせたと思われる表現がある。→ヨハネ13:23,19:26彼は自らを「主の愛された弟子」と表現する。聞き様によって厚かましい!と思う程だが、この表現は、キリストは特別ヨハネを愛されたというのではない。主は等しく弟子を愛されたが、ヨハネだけは主の愛を特別深く感じた。その表現なのだ。その自覚が始まったのは最後の晩餐あたりから。その頃を境に彼は大きく変えられていったのだ。主の愛を深く自覚する事が人生と性格が変えられる秘訣


V.どうしたら人は変わりうるか

自分で変わろうとがんばる必要はない。ただ人間の側で必要なことは神の愛を日々に感謝すること。十字架に示されたキリストの愛、この感謝の日々があなたを変える。 【証】絶望的な人生と性格に悩んでいた人が十字架の愛を深く感じて変えられた人にサリバン先生がいる…父の暴力で母を失い弟と死に別れ、父にも捨てられ孤児院に引きとられ、そこで統合失調症にも何年もかかる絶望の日々。しかし教会から訪問団がありキリストの十字架の祈りに触れる「父よ、彼らを赦し給え」何という崇高な祈り!それに比べ私の心は恨みで一杯!少しも心が変わらない!彼女はキリストを救い主と信じた。それから恨みに変え祈りと聖書に養われる生活。20歳の時、教師として生きる決心をして出かけた家に、三重苦のヘレンケラーがいた。やがてヘレンは聖書を読むようになり、輝くクリスチャン人生に導かれていく。神の愛が人を変えるのだ!

黙示録2:4『あなたに非難すべき事がある、初めの愛から離れてしまった』ここに帰れ!

posted by kbcc at 22:03 | TrackBack(0) | 礼拝
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