2019年07月16日

2019年7月14日礼拝メッセージ 「何を求めているのですか」ヨハネ1章35-42節音声で聴く。

ヨハネ1:35−42   「何を求めているのですか」       19/7.14

【序】米国ベテル神学校にバージル・オルソン博士というユーモアのある人気者の先生がいた。いたずら坊主の少年時代、礼拝堂の中を走り回っていたが、農夫をしていた教会学校のおじさん先生に腕をむんずと掴まえられ「バージル、君は将来何になるつもりだ?」そのおじさんの声と手は神さまの声と手でもあった。神様に捉えられ献身への道となった。ひと言が人生を捕らえることがある。ヨハネとアンデレとペテロがキリストとの最初の出会いで言われた言葉がそうだった。それは私達への言葉でもある。カギになる言葉が三つある。


T.「何を求めているのですか」(38)

 この質問はキリストが解らなかったから尋ねられたのではない。神の御子キリストはご存じ。なのに、なぜ尋ねられたか?それは私たちも神に様々なことを願うが、果たしてそれが神のみ心に沿ったものかどうか疑わしい時がある。だからこそ神から「何を求めるのか」と改めて聞かれ、真に御心に沿ったものを求める事を知るためである。

【例】ソロモンの良き例(「何を願うか、言え」「民の声を聴き分ける判断力を下さい」「あなたは富も長寿も敵の命を求めず、民を導く判断力を求めた。与えよう。更に願わなかった富も誉も与えよう」。

 人の求めには、神の御心に叶う求めと、そうでない場合がある。神の御心に叶う求めは必ず与えられるし、求めなかったものまでも与えられる。

マタイ6:33「神の国と義を先ず第一に求めよ」…  


U.「来なさい。そうすればわかります」(39

 弟子達の質問は「どこに泊まられるのですか」。この質問に「この家」という場所で答えられないで→「来なさい。そうすればわかります」との応え。求道する真理は、キリストとの交わりの中でこそ得られる。

 【適用】求道するきっかけは色々あってよい。音楽だったり、英会話、イベントだったり…しかし考えて戴きたい事→キリストの十字架はあなたに関係があるのか、ないのか?!これが大切な事である。ちゃんと答えるべきなのだ。


V.「あなたはシモンです。ケパと呼びます」(42) 

 @主はシモンに会う前から名前を知っておられた→あなたとあなたの必要も!Aシモンを変える→生来の性格は情熱もあるが、気分は変わり易く非難されると弱い面がある。しかしキリストは基本は変えないでケパ(「岩」)のような強い信念と不動の強さを持つ者に変える、と言われる。

【適用】ある時尋ねられた「性格って変わりますか?」「うーん基本は変わりませんね」がっくりされたが付け加えた。「でも性格は変わらなくても、人生は変わりますよ!」→「誰が惨めと言って自分ほど惨めな者はいない(後に偉大な大統領になるリンカーン)。「自分ほど怒りっぽく、僻み屋でひねくれ者はいない」(後に慈父と言われた新渡戸稲造)変わりうるのだ!

posted by kbcc at 22:18 | TrackBack(0) | 礼拝
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