2019年10月14日

2019年10月13日礼拝メッセージ ヨハネ8:1−12「わたしもあなたを罪に定めない」   


【序】世には色んなアンケートがあるもので「ノンクリスチャンによるキリストアンケート」で「キリストに最も惹かれるところはヨハネ8章のキリストだ。素晴らしい、の一言に尽きる」これノンクリスチャンのアンケート??確かに主の愛と力、賢さが際立っているところだ。伝えたい。

T.弱者を守るキリスト
早朝、主イエスが人々に教えを施されていた時、律法学者達が「姦淫の場で捕らえられた女」を引っ張ってきて「モーセはこういう女を石打の刑にするよう命じているが、あなたはどうするか!」と詰め寄った。この種の罪は相手あってのことであり、関係した男も同罪であることを旧約聖書は語る(申命記22:22)。しかし聖書を知っている筈の律法学者達は弱い立場の女だけを連れて告発をしに来たのだ。ここに現代に始まったのではない昔からあった「弱い者いじめ」の原点がある。死の恐れと恥ずかしさで一杯のこの女性の前で賢くしかも批判を許さない言葉が発せられる。「あなたがたのうちで罪のない者が…石を投げなさい」(7)→人々は年長者から石を落として立ち去った(9)
【適用】神戸市須磨の小学校で20代の教師を30,40代の教師が女性教師も加わっていじめが発覚。罵倒し、蹴りを入れ、激辛カレーを羽交い絞めにして食べさせている。車のボンネットの上に載ってへこませる。→いじめをする者への警告―詩篇12:5

U.罪を赦すキリスト
人々が年長者たちから石を落として去り、残ったのはこの女性とキリストのみ。女性は遂にキリストに裁かれる時が来たと思った事だろう。しかし怯える女性の耳に聞こえたのは想像を超えた言葉だった。「わたしもあなたを罪に定めない」(11)罪に定める権威と資格を持つキリストから赦しの言葉が発せられたのだ。我々は自分に非があっても相手を非難し易い者だが主は違った。
【例証】インドの宣教師だった英国人エミ・カーマイケルの本に「ある青年が神の元に来て罪を告白した『神様、またまたあの罪を犯してしまいました』すると神は言われた「あの罪とは何のことですか?私はあなたの罪を覚えていません』と。→へブル8:12

V.罪の裁きを担うキリスト
しかしキリストが「罪に定めない」と言われた時、石打の刑である姦淫の罪を大目に見たという事か?否!これはこの女の罪の裁きは下されるべきなのだが、それを主イエスはこの女にではなく、御自分が身代わりに引き受けるという意味なのだ。つまり、主は十字架に掛かってこの女の罪を引き受けて下さる約束の言葉なのである。何という愛、何という力!主はこの女に赦しと人生の再生を与えて下さったである!同様にあなたと私の罪の裁きも身代わりに受けてくださったのである。
【適用】新聖歌483「両手いっぱいの愛」…それがキリストの十字架が分かった人の歌!
posted by kbcc at 09:09 | TrackBack(0) | 礼拝
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