2019年12月16日

2019年12月15日礼拝メッセージ「キリスト誕生の意味するもの」音声で聴く。


ルカ2:8−12        「キリスト誕生の意味するもの」      19/12.15
【序】2019年はどんな記念の年?カルピス100周年、モンチッチ45周年、サザエさん放送50周年、ドラえもん放送40周年、美空ひばり没30周年…これらは5年とか10年とかの単位で祝われる。しかしクリスマスは世界最大イベントで2千年前から毎年続いている。勿論クリスマスはキリスト誕生を記念する日というのはほとんどの人が知っているが、果たして真の意味はどうだろうか?聖書が示すキリスト誕生の三つの意味を伝えたい。

T.キリスト誕生の意味
 「今日ダビデの町で…救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11)
「主」とは神の呼び名。世界の主権者、万物の創造者である神との意味。つまり、クリスマスはキリストの誕生日というより、神が人として生まれて下さった日である。ところで日本では「神」について確認しておく必要がある。
@日本では人間が作った神―A聖書では人間を造られた神を教えている(一字違いだが重要)
@は、人間が作ったものだから人間以上ではなく人間を救えない。更に日本では人が神として祭られるが、これが純粋な動機でない場合が多い(例)豊臣秀吉は豊国神社に祭られているが、この神社は誰が作った?明治天皇。なぜ?明治政府は徳川幕府を倒してできた政府。しかし明治の初期にはまだ徳川時代の武士が多くいて反乱を企てられる恐れがあり、それを抑えるために徳川によって滅ぼされた武士を神として祭り上げることによって反乱を抑えようとした。その筆頭が秀吉であった。つまり、人間が作った神々は作った人間が宗教を利用してこしらえたもの。
人間が作った神は人間を救えないし、更に問題がある。それ故神がどの様な方かを示すために神が人となって生まれて下さったのである。それがキリストなのだ。

U.キリスト誕生のメッセージが羊飼いに先ず伝えられた意味
羊飼いは、当時最も底辺の階層として生きた人々。彼らが感動しても関心を抱かれる事は無かったし世界に影響を及ぼす事はなかった。しかし神は人類の救いのメッセージを最も低い階層の人々に先ず伝えられた。これはどういう事?神にとって重要な人と、重要でない人の区別はないという事! 神の目にはどうでもよい人もなければ、忘れられてもよい人もいない!→「わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)
【例証】歌川たいじ監督映画「母さんが僕をどんなに嫌いでも」(2018作 次頁参照)…

V.赤子のキリストに示された「しるし」の意味
「布にくるまっていて飼い葉おけに寝ておられるみどりご」…これが「しるし」(12)
ベツレヘムに生まれた赤子は他にいた筈。だから「赤子」というだけなら印ではなく発見も難しい。だが他の赤ちゃんとは違う特別の印が二つある。「飼い葉桶」と「布にくるまっている」状態。この赤子は人の家ではなく家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされている。当時、家畜小屋は天然岩の洞穴を利用していた。もう一つ洞穴の利用法があった。それは埋葬用。人を埋葬するとき布にくるんで埋葬する(ラザロの例)。つまりこの赤子は生まれた時から葬りの時のように布にくるまれている。これは他の赤ちゃんとは全く違う特徴であるだからそれが「しるし」→つまりキリストは死ぬためにお生まれになった。私たちが死後受けねばならない裁きを身代わりに引き受け救いの道を開くために生まれて下さったキリストこそ救い主ですと聖書はメッセージしている。信じて戴きたい。

【例証】歌川たいじ監督映画「母さんが僕をどんなに嫌いでも」(2018作)…
この作品は監督の実話。悲惨な生い立ち。両親が工場を経営していて、夫婦仲きわめて悪く、母親(役―吉田羊)はメチャクチャ美人だが、母性本能が欠落しており、悉くガミガミ。5才の時母親は姉だけを連れて家出。捨てられ感は強い。しかしひねくれずに育ったのは親代わりに世話をしてくれた工場の優しいおばあちゃんのお陰。しかし彼が高校生の時、中退して東京の食肉解体工場に勤める。豚を捌いて血を洗うのが彼の仕事。つぶやく「どんな命も大切だっていうけど、大切にされない命もあるよ。俺は豚と一緒だ」そんな頃、優しかったおばあちゃんが末期がんであるのを知り、病院に行く。しかし枯れたようなおばあちゃんにお見舞いどころか「自分なんて豚と一緒だ、俺は豚のように覚えられずにただ死んでいくだけだ」と吐き捨てるように自虐の言葉を言うだけだった。するとおばあちゃんが言った「『僕は豚じゃない』と言って!』」躊躇っていたが強い願いに小さな声で「僕は豚じゃない」もっとはっきりそう言って!すると彼は大きな声で叫んだ「…!」。そう言いながら止まらなくなった。そして何度も叫びながら気づいた「僕はこれを言いたかったんだ!僕も人間として重んじられたかったんだ!僕も生きてきてよかったって思ってほしかったんだ」でも、ばあちゃんはどうして僕の心の中の叫びを知っていたんだろう。その叫びの後、彼の人生が立て直されていく。映画も作る。
キリストがどうして神の位を捨ててまで人となって地上に来て下さったのか?それはあなたの心の叫び、本当に人間として大切にされ重要な人としてみなされたいことを求める心の叫びを聞き取り、十字架にかかってあなたの身代わりに裁きを受けて下さるほどあなたに対する愛をあらわし、救いの人生をあなたに与えたいために生まれて下さったのだ。

posted by kbcc at 18:43 | TrackBack(0) | 礼拝
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