2020年06月07日

2020年6月7日 礼拝メッセージ「十字架の『完了した』の意味」 ヨハネ19の30



【序】キリストは十字架の上で7つの言葉を語られたが、ヨハネはそのうち二つを記録している。一つは先週学んだ母マリヤに言われた言葉。もう一つが今日出てくる「完了した」である。いったい何を完了したという事なのか?三つの意味があるようにも思われる。


T.旧約預言が実現完了した

 旧約聖書には人類の救い主がどんな方で、どんな生涯を送られるかについて約350程記されている。その悉くが実現完了しました、との意味。

  1. 預言が当たる確率は1つの場合1/2。二つ目も当てる場合は1/2×1/2=1/4

故に350皆当たる確率とは1/350(/2271億分の1を超える確率)

  1. 疑い深い人は「350もの預言がみな当たるなどはあり得ないので、きっと事が起こってから原文に書き足したのではないか」と疑う。しかしそれはあり得ない。何故なら原文の写し(写本と言う)が、キリスト誕生以前に書かれてあるがその中に既にキリストに関する預言が書かれてあるからだ。

  2. この事から言えることは、聖書が偽りのない神のことばであり、その御言葉の語るキリストこそ神の御子であるという事だ→2031


U.人類の救いの道が完了した

「救い」とは何か?ある人は人間の不幸とは貧乏であり、病気であると考え、貧しさや病から助かることが救いと考える。しかし争いの絶えない金持ちも多くいる。又ヘレンケラーのように三重苦の中にありながらIamhappy!と言える人がいる。聖書は最大の不幸の原因は「罪」であると語る。罪とは自己中心であり、自分は正しい、相手()が間違っているという生き方である。

:家庭の中に「罪」(あいつが間違っている、私は正しい)が入ると争いになる。職場で「罪」が入ると対立が生まれる。国際関係で「罪」が入ると戦争が生まれる。(今日米中の対立など)

この「罪」は未解決のままだと死後の裁きに服し永遠の滅びの世界に裁き落ちてしまう。その悲惨さを憐れみ、キリストは私達の身代わりに罪の裁きを十字架で受け罪の赦しの道を開いてくださったのである。この救いが完了した!


V.私たちの将来の問題が解決完了された

聖書の表現で未来の事柄を過去形で書く場合がある。預言などはその典型。未来に起る事なのだが、確実にそうなることを強調するための表現。この「完了した」も私達の未来に起る事が確実に最善になるよう神がなさる事を意味している。又私達が気になる未完の事も神は成し遂げて下さる→詩篇138:8に「主は私のために全てを成し遂げて下さる」とある通り。

【証】献身の決意を両親に告白した時、猛反対で勘当ものだった。「いつの日か両親を救って下さい」神は「その事は委ねよ」と示し私は神学校に入学した。10年後その祈りが聞かれ両親は見事に救われた。

posted by kbcc at 11:55 | TrackBack(0) | 礼拝
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