2020年06月14日

2020年6月14日礼拝メッセージ「他人の目が気になる方へ」ヨハネ19章38節から42節


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【序】以前ある相談を受けた「人の目が気になって仕方がない。何か思われているのではないか、挨拶したのに無視された。不安になってしまう…どうすれば気にならなくなるのか聖書に答えがあるか」という内容。私は「人の事を全く気にしないというのは逆に良くない。しかし回りの事が気になり過ぎるのもノイローゼになる。ではどうしたらよいのか、という事ですが、それは気にすべき人を厳選したらよい」厳選するのは、あなたの事を親身になって考えてくれる人、誠実に友となってくれる人、そいう人は気にすべき人です」と答えた。

今日出てくる人物は有力な国会議員でアリマタヤのヨセフという人物。キリストに惹かれ信仰を持っていたが当初は人の目を気にして信仰を隠していたが、やがて信仰を表明してキリストに従っていくという人物。


T.なぜ信仰を表明できなかったか?

アリマタヤのヨセフは「有力な(国会)議員」だったが、何かの理由でキリストに惹かれ信仰を持ったが、当初それを表明できずにいた。その理由は「ユダヤ人を恐れて」(38)いたからであった。ユダヤ人とは選挙の時に票を得る民衆であった。確かに民衆の評判は気になるところである。しかし民衆ほど変わり易いものはない:キリストのエルサレム入場には歓喜して迎えた民衆だが、その5日後「キリストを十字架に付けろ」と叫び出す。打算で心が変わる捉えどころのない人たちである。

ヨセフも当初は本来気にすべき人達ではない筈の民衆を気にし信仰表明できずにいたのだ。この「恐れ」はキリスト教徒が少ない日本ではよくある話だ。その彼がキリストの遺体を引き取るという願いをピラトに申し出るという思い切った行動に出た。信仰の表明だ。何がそうさせたか次に見てみよう。


U.勇気をもって信仰表明に至った理由

マルコ15:43にその答えがある。「自らも神の国を待ち望んでいた」

メッセージの冒頭で「気にすべき人を厳選する事―親身になって心配してくれる友」と語ったが、それで言えばヨセフは自分が死んだ時、死後に神の国に導いてくれるのは誰なのか?更に私の罪の裁きを身代わりに受け、罪の赦しと永遠の命を与えてくださるのは誰なのか?キリストではないか!このキリストこそ私を真実に愛して下さる救い主。この方だけは気にすべき方なのだ、そう目覚めた時、信仰表明に至ったのである。

【例証】2013年3月北海道オホーツク海に面する小さな町に住む岡田さんが9歳の娘を児童センターに車で迎えに行き帰宅中、一挙に豪雪。車は身動きできなくなり、このままでは凍死すると判断した父親は娘を連れて近くの倉庫まで来たが鍵がかかって入れない。岡田さんは着ていたジャンパーを脱ぎ、娘に着せ、身体を覆いかぶせて抱きしめた。それから約10時間もの間、父は娘を抱き続けた。翌日午前7時、警察官が二人を発見した。岡田さんは死んでいたが娘は凍傷だけで済んだ。娘は悲しみの中で「悲しいけれど、私のために犠牲になってくれたお父さんを誇りに思いお父さんの愛を感じて生きていきたい」と語った。

【結び】初めから強い者はいない。周りも気になる。しかしどんな人も自分に対するキリストの大きな愛が分かる時、周りを気にする事なく、このお方こそ心に留める勇気と天国入国希望に生きたいという行動が生まれるのではないか!

posted by kbcc at 11:15 | TrackBack(0) | 礼拝
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