2020年07月12日

2020年7月12日礼拝メッセージ「あなたの人生を動かすのは誰か」詩篇139:11−16  中西正夫牧師


 

詩篇139:11−16   「あなたの人生を動かすのは誰か」   20/7.12

【序】今日の主題を聞くと「私を動かすのはコロナでしょう、あの人でしょう、あの問題でしょう、あの病でしょう」と思われるかもしれない。表面的にはそうかもしれないが、そう思っている間は、問題で悩まされる場合、その対象を恨んだり、希望を失くしたりするのだ。実は聖書を読むと、答えが違うのだ。その答えを知れば大きな励ましにつながる。聖書のメッセージを聞いて頂きたい。


T.あなたという存在は神に起源をもっている

人の命は確かに親を通して生まれるのだが、その親も男か女かでさえ決定できない。ましてやどんな人生を歩むか全くわからない。人の命はもっと深い所にある→「あなたが私の内蔵を造り母の胎の内で私を組み立てられた…」(13-16)

  あなたが生きているのは、神があなたを造られたからだ。あなたの誕生は偶然の巡り合わせとか、人生に大した意味がないとかいうのではない。聖書はあなたという存在は地球が造られる前から計画されていたと語る。つまり、母親があなたを身籠もる以前から神はこんな人がいたらいいなあと心に描いてあなたを造られた。∴よく子供は親の遺伝を決定的に受けると言うが、そうではない!聖書によれば、神があなたの命の作者、あなたの命の起源は神にある。神が造られた作品に間違いはないのだ!


U.あなたの人生を動かすのはあなたの創造者である神である

多くの人は自分の人生は自分で動かしていると思っておられるかもしれないが、

聖書の言葉によれば「私のために作られた日々」(16)とあり、究極的には人の思

いを超えて神によって人生が動いているのだと語る。しかし人はなかなかそう

思わずに自分で動かそうとする。しかし最終的には神によって動いていくのだ

と知らされてた人物を取り上げたい。モーセである。

【例証】ユダヤ人でありながら40才までエジプト王子として育てられる。自分は王宮に不自由なく生きているのに同胞の民は苦難の奴隷生活。血が騒ぐ。民の解放を企てるが失敗、殺人までして逃亡。荒野で羊飼いとして埋もれた生活40年。80才になってもうここまでかと思ったが、神は彼を80才から民の解放者として用いられた。なぜ知恵も体力も能力もあった40才の時のモーセではなく、地位も富もなくなった80才のモーセを神は用いられたのか?ー民を大都会のエジプトから荒野を通り約束の地に導くのに荒野の生活を知らなければどうして導けよう?そう考えると不毛に見えた荒野の40年に意味が見えてくる。


V.神は全てを働かせて益にされる

「全て」(16)とある→全てとはどういうことか→ローマ8:28「全てを益に」と神がされる。世の中には、不幸を経験すると「今が人生の全て」と思う人がいかに多いか!しかし不幸と思えることも含めて万事を益に変えられる神がおられるのだ!(次ページ参照)

【例証】故ケンちゃんの証(鳴滝教会員)

ケンちゃんがまだ赤ちゃんの時、家で畳の上に足を投げだして座っていた。その部屋にはお母さんがいて様子をうかがっていたが、ケンちゃんは何かのはずみで後ろに倒れて後頭部を打ってしまった。お母さんは心配して駆け寄ってきたが別段異常はなく、畳の上だからということで心配はしなかったが、その晩から高熱が出た。医者に診てもらって後に分かったことは、頭の内部で脳にかなりの損傷が出ていて、視神経と運動神経に障害が残ることが分かった。ケンちゃんは医者の予告通り目は見えず運動機能はなく、食事も噛む力もなく車椅子の生活になった。お母さんは自責の念に駆られて「私は何という愚かな母親だろう。ケンちゃんが倒れたときにすぐに病院に連れて行っておけばこんなにならなかったかもしれないのに…私がケンちゃんを不幸せな人生にさせてしまった。母親の資格のない私は死んだほうがましだ。でもこの子を残しては可哀そうだ。いっそのこと一緒に死んでしまおうか…」涙と後悔で絶望の日々を送っておられた。そんな時、見るに見かねた友人が教会に行きませんか、少しでも心が休まるかもしれませんよ」と勧めてくれて教会に通うことにした。確かに心が少しづつ安らぐのを感じたが、それと同時にケンちゃんに新しい発見をした。それは車いすに取り付けられているラジカセの子供讃美歌を聞かせると、にっこり笑って足でリズムをとるのだ。その嬉しそうな姿にお母さんもつられて一緒に歌うようになった。歌うなど初めてのことだ。それからお母さんは聖書の言葉から@神がおられること A神はどんな人をも愛しておられること B神はいかなる苦しみも益に変えられることを知った。そして思った。ケンちゃんのことで嘆いてばかりいたけれど、私自身ケンちゃんを通して神さまに出会い、こんなに歌えるような人に変えられたではないか!神さまはケンちゃんを通して苦しみを益に変えてくださった。

私が初めてお母さんやケンちゃんとお会いした時、いつもニコニコするお母さんの姿に心打たれた。ケンちゃんも子供讃美歌を喜んでリズム打ちをしていた。ケンちゃんの妹は、キャンプで自己紹介をし、「隣のいるのはお兄ちゃんのケンちゃんです」と明るく言うのを聞いて心打たれた。ローマ8:28節は真実である。

posted by kbcc at 14:02 | TrackBack(0) | 礼拝
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