2021年07月18日

2021年7月18日 インターネット礼拝 箴言16:25 「まっすぐに見える道」



前奏
新聖歌 174(1,2)一 同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 箴言16:25
メッセージ 中西牧師
「まっすぐに見える道」
新聖歌 311(1,2) 一 同
祝祷 中西牧師
後奏
報告

【序】ある人に「信仰も結構ですが、私は自分でしっかり真面目に生きてきたと思っています。自分さえ正しくあれば神を信じなくても大丈夫ではないでしょうか」と言われたが、「しっかり、まじめに」と言われるが、何を基準に言うのだろうか?日本も75年前までは「日本は神国だ」と「真面目に」間違っていた。…気を付けなければならないのは、自分の今歩んでいる道が正しく真っ直ぐと思っていても実は真っ直ぐでなく死の道を歩んでしまう事だ。それはどんな時か?。

T.目的地を間違っているとき
私達人間は、神から命を与えられ、神の恵みによって生かされ、神に向かって生きる者である。だから地位や富を得る事が人生の目的として生きていると、それが確かな支えではないことを知らされる時がある。
【例】ある人が世界旅行に出かけた…乗った飛行機がエンジントラブルで墜落する危険性があるので救命具をしっかりつけてくださいとアナウンスが入った時、仮に隣の紳士が小切手をあなたに渡して「1千億円です。あなたに差し上げます」と言っても嬉しくも力にもならない。
死んでも揺るがない確かなゴールが必要なのだ。「わたしが道であり真理でありいのちなのです」(ヨハネ14:6)と主は言われた。キリストこそ死と罪の解決をもたらされた唯一のお方である。このお方に従う道こそ確かな道。

U.自分中心に物事を見ているとき
「愚か者には自分の道が真っすぐに見える。しかし知恵ある者は忠告を聞き入れる」(箴言12:15)
とあるように、自己中心的な人は、自分は間違ってないと意地を通す。愛と真実の忠告も無視し、自分の道は真っ直ぐだ、と錯覚する。
【例】双子の兄エサウの祝福を奪い取って逃亡した負けず嫌いのヤコブ。馬鹿な兄が祝福を受けるのは間違い、自分こそ正当な受取人であるべき。自己中に見ているから間違ったと思わない。こういう時、問題から逃げても後から問題が追っかけてくる。人間的方法で兄に宥め作戦をするが確信持てない、とうとう自我が砕かれ兄との和解と言うまっすぐな道が開かれた。

V.失望落胆という悲しみで目が曇るとき
エマオ途上の弟子達は主イエスが十字架で亡くなった悲しみに余りにも打ちのめされていた為に、側で共に歩まれている復活の主が解らなかった。失望落胆は目的地を見失わさせる。しかし慰められるのは、失望落胆する者の傍らに寄り添って一緒に歩みを続けてくださるキリストがおられるという事。そして失望落胆と悲しみの中にある弟子たちの心の目を開いて希望を与えられるのだ!
 【証】開拓伝道して数年のころ、失望落胆して落ち込んでいた。しかし聖書を読んだ「何の働きのない者を義とされる神」で決心した。「ダメだダメだとばかり自分を哀れんだりせず、ダメなのを承知の上で義とし、用いて下さる神に感謝して、これからは進もう」と!
posted by kbcc at 08:00 | TrackBack(0) | 礼拝
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