2019年01月21日

2019年1月20日礼拝メッセージ 「前進をためらう時」ルカ22章39-46節音声で聴く。

ルカ22:39−46         「前進をためらう時」       19/1.20

【序】世の中にはどうしても前進させなければならない事がある。しかし時に躊躇い逃げたいと思うこともある。そんな時、今日の聖書は私たちに導きを与えてくれる。

キリストは私達人間の罪と死からの救いを成し遂げる為に金曜日に十字架につけられる事になっていた。しかしそれを敢然と立ち向かう姿とは違ってこの箇所は極めて人間的側面が出ている場面である。それだけ私達に親近感が湧く場面であり、学ぶ事が多い。では前進するに当たっての知恵とは何か?


T.いつものように生きる事

いつものようにオリーブ山に行かれた」(39)これはいつもの「祈りの時」を変わらずもたれたという事である。弟子達が裏切る事を承知だったが…。

【適用】前進する確信がない時、焦って不安なまま前進してはいけない。また取って付けた事をするのではなくいつもの日常を行う事である。慌てず騒がず、毎日している良き事を続けることだ。→「立ち帰って静にすれば救われ、落ちついって信頼すれば力を得る」(イザヤ30:15


U.ゲッセマネに行く事

「ゲッセマネ」とは=苦難の時の神への祈りの事。大きな事には神の御心を確かめることが何より確かな道である。その時に心掛ける点は:

@素直に自分の気持ちを神に伝えること

  「父よ。御心ならば、この杯をわたしから取りのけてください」(42a)

  「この杯」父なる神から託された人類の救いの為に十字架に架かる事。死が怖いという事ではない。罪のないお方が受ける必要のない呪いの十字架に架かる不条理、想像を絶する過酷な苦しみの壮絶さ、父なる神との交わりが断絶する悲しさ、人々の救いの為の十字架の身代わりなのにそれを受け入れない人間の罪の身勝手さ、その一つ一つが主にこの様に祈らせたのであろう。

   【適用】私たちも人には言えない自分の生の願いを率直に神に訴えて良いのだ。

 A心から従順に「飲むべきもの」として受け取れるように祈ること

  「しかし、御心の通りにしてください」(42b)

   キリストは祈る前から、それが神の御心であることを知り「この杯」を飲む気でおられたが、唯それを「父の命令だから仕方ない」という義務感ではなく、本当に心から従順に飲めるように心備えをされたのである。

【証】あなたの良き業を、義務で動くか、心から動くか、Sビジネスマンの証


V.励ましを受けること

  弟子達は当てにならないかもしれないが、キリストを「力づける」存在があった。

 「すると御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた」(43)

  【適用】前進をするためには、励ましが必要であり、神はそうしてくださる。皆さんの中には励ます側に回っている人が多いかもしれない。そういう方は自分が励まされるところに身を置くことも大切である。意外な人が助けになる。

posted by kbcc at 10:04| 礼拝

2019年01月18日

2019年1月13日礼拝メッセージ 「挫折から立ち直らせるもの」ルカ22章31-34節音声で聴く。

ルカ22:31−34      「挫折から立ち直らせるもの」       19.1.13

【序】挫折は嫌なものだが、面白い事に挫折の効用を語る人がいる。

〇安藤忠雄氏(建築士、万博日本館、最終学歴工業高校卒だが東大とハーバート大教授)

「僕は大学の専門教育を受けないまま建築の設計に飛び込んだ。設計しながら常に専門教育を受けていないハンディキャップがあったが、一方そういう苦労がない人というのは粘りがない。スーッとストレートで一流大学や一流企業に入っていくと、ストレートにはいかない人生の逆境に弱いのである」

○渡邊和子(元ノートルダム清心女子大学名誉学長)

「第一志望が叶えばおめでたい事。しかし挫折も人生で非常に大切。その時はそれなりにしっかり苦しめばよい。只それに打ちのめされずに、それだけが唯一の自分を生かす道でないのを知るゆとりがほしい」

キリストの弟子でリーダー格のペテロがキリストを裏切る挫折を経験する。しかしそんなペテロを立て直すキリストがおられる。今日の聖書から誰にもある挫折から立ち直らせる三つの知るべきカギについて語りたい。


T.自己認識は当てにならない事を知る

 キリストからペテロがサタンの誘惑に負けてキリストを裏切る挫折を経験する事を言われたが、ペテロは牢であろうと死であろうと覚悟はできています」(33)と答えた。ペテロは自分がキリストを裏切って否定してしまうなど思わなかったのだ。自分は大丈夫という自信があったのだが、その自己認識は間違っていた。

 【適用】私達は「自分の事は自分が一番知っている、とやかく言われる必要はない」というが、実際は自分の事を自分は知らないのだ。パウロは「自分のしていることが分かりません。私は自分でしたいと思う事をしているのではなく自分が憎むことを行っている」(ローマ7:15)と語っているが、その通りではないか!実際一番私の事を知っておられるのは神なのだ。当てにならない自分に頼らず謙虚に神の言葉に頼る事だ。


U.どんなに落ち込んでも見捨てない愛が注がれている事を知る

弟子グループに属している者にとって、してはいけない最大の事は救い主であるキリストを裏切る事である。普通、裏切られた者は裏切った者を憎んでも悪いと言われることではない筈である。しかし裏切られるキリストは裏切るペテロのために将来を案じて「わたしはなたの信仰が無くならないようにあなたのために祈りました」(32)というとてつもない大きな愛を持っておられる。正にキリストは神の御子である印であり、また私達がどんなにどん底に落ち込んでも、それが罪の所為であるとしてもあなたを見捨てず愛をもって祈って支えて下さっているキリストがおられる事を知ろう!


V.罪の挫折でさえ兄弟への励まし材料となる事を知る

自分の無様な裏切という挫折ではあるが、キリストはその挫折経験でさえ兄姉を励ます材料にするという計画を持っていてくださる。

「立ち直ったら兄弟たちを力づけてあげなさい」(32b)

罪も弱さも兄弟姉妹を励ますものに用いられるとは何という感謝なご配慮か!

posted by kbcc at 12:03| 礼拝

2019年01月09日

2019年1月6日礼拝メッセージ 「悪に対処する」ルカ22章1-13節音声で聴く。

ルカ22:1−13        「悪に対処する」           19/1.6【序】諺に「男は外に出ると七人の敵がある」と言うが、現代では女性も社会進出するので全ての人が悪意に悩まされたり、時に酷い仕打ちに直面することも現実である。そんな時、どう対処したらいいのか心弱ってしまうことがある。キリストに学びたい。


T.人間の悪

 1.祭司長、律法学者の悪ーキリスト殺害計画(2)

  殺害計画の理由は自分の立場、人気がなくなる事を恐れる故。

 人間は悪を憎む場合もあるが、正しい者を妬み憎む面もある。

【例】掃除をさぼろうとする仲間に「僕は掃除する」という男は疎ましい…アベルを殺したカインも妬みから!

※指導者たちの悪もどこかでストップするどころか「方法を探していた」(2)とあるくらいに、人間には悪を突っ走る弱さがある。

  2.ユダの悪ーキリストへの裏切り(3,4)

    ユダは弟子団の会計をしていたが、お金を盗んでいた(ヨハネ12:6)最初は小さな使い込み→小さいことから大それた事!(そこに「サタンが入った」3節!)

 ※大それた悪もいきなり大きな悪が始まるのではない。小さい事から始まるのだ。


U.人の悪に対するキリストの態度から学ぶこと

1.相手の態度に悪乗りしない

 キリストは祭司長達やユダに言い返したり責めたりされなかった。根本的に悪を働くのはキリストの側に原因があるからではなく、彼らの中に妬みや問題の根がある→「悪をなす者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。彼らは草のように忽ちしおれ青草の様に枯れるのだ0(詩篇37:1)

→放っとけ、放っとけ!神の手に委ねよ!ということだ。

2.なすべき日常の勤めを続けなさい

  キリストはユダの裏切りも律法学者の殺害計画も知っておられた。しかし知った上で、ユダヤの慣習にしたがって「過ぎ越しの祭」を行われた。(8)

   【適用】あなたも良き業を始めたが、思わぬ妨害で前に行けない、逃げ出したい? しかし、ひるまずその日に成すべき事を行うよう励む事だ→「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て刈り取る事になります」(ガラテヤ6:9

3.悪もまた神の御業の道具でしかない

  キリストの使命は十字架に掛かり人類の罪の身代わりの裁きを受け人間に救いの

道を開くという事だ。祭司長達の悪巧みもユダの裏切りも、その使命を果たすた

めに用いられる道具でしかない。その視点に立てば、悪もまた私たちに人間とし

ての成長をもたらす道具でしかないのだという事だ。その視点が大事である。

   【証】堀越師の四日市での開拓伝道における幼稚園事業に神社による反対活動が起こったが、御言葉「雀一羽

さえ主の許しなく落ちない…」この視点に立った時、反対署名活動も忍耐を学ぶレッスンだと大胆に受け

止めて進める事ができた、すると不思議に幼稚園を建設でき、キリスト教幼児教育を可能にした。

posted by kbcc at 21:16| 礼拝