2019年03月24日

2019年3月27日礼拝メッセージ 中西正夫牧師 「心の貧しい人は幸いです。」マタイ5章1節から3節音声で聴く。

マタイ5:1−3 心の貧しい者は幸いです」  

【序】高校生時に生まれて初めて読んだのが今日の聖書「…」チンプンカンプンだった。なぜ心の貧しい人が幸いなか!?心が豊かな人は幸いと言われたら解るような気がした。でも全く反対の言葉。これはキリストが語られた山上の垂訓で幸福について言われた最初の言葉、それだけ深い意味がある。そこで今日は第1にこれはどういう意味なのか。第2に何故心貧しい者が幸いなのか。第3に心貧しい者は幸いと神が言われる意図は何かについて話したい


T5:3の意味

長く解らなかった、ある時色々な聖書翻訳を読んでいてわかった。「現代人のための聖書」訳にこうあった心の貧しさを知っているは幸いだ」

心が貧しいこと自体は困ったものだが、自分心の貧しい人間だという事を知っている人は全ての幸福の原点なのだということなのである


U.なぜ自分の心の貧しさを知っていることは幸いなのか

逆を考えればわかる。一般的には、正しい人間でありたい、良い人間であろうとする人が断然多い。勿論「正しい」ということ自体は素晴らしい事だ。しかし「正しい人」、一つだけ大きな弱点がある。それは相手に対する寛容さを失う赦せないという事だ。それは自分が正しければ正しいほど、或いは正義の論理が立てば立つほど難しくなるのだその良い例がルカ15章の「放蕩息子」の兄に見られる。兄は弟の様に自分の欲のために身勝手な家出はしない。自分まで家出したら父事業はどうなるかと考える責任感が強い。だからと言って報いもほしいが、我慢するのだ。しかし弟が帰還して怒りが一気に爆発する。「私は長年お父さんに仕え戒めを破ったことは一度もない。その私には楽しめと言って子山羊一匹下さったことはない。それなのに遊女に溺れてあなたの身代を食いつぶして帰って来た「あなたの息子」にはえた子牛を屠るのですか!」どうしても赦せないのだ。だから折角良いことをしているのに喜びがない。責任感だけで動いているのだ。このように正しい人間であろうとする人は、自分が頑張っている分だけ相手の落ち度を赦せ憤るのだ。これは不幸なのだ。しかし考えなければならないのは、正しい事をしていると言うが果たして完璧に正しいのか?違う「義人はいない一人もいない」(ローマ3:10)しかし世界にたった一人完璧に正しいキリストはどうだろう?私達人間は正しさが優しさにつながらないが、キリストその完璧な正しさに優しさが加わるお方なのだそして罪人のために身代わりの裁きを受けて下さるお方。


V.心の貧しい者は幸いだという神の意図は何か

聖書がなぜ人間は心の貧しい者だとか罪人とかいうのか?それはもうわかっている

から隠す必要がないという事だ。神の前にたちは過去に傷があり、隠し事があり 

恥ずかしいである事全部見えているので取り繕う必要無いですよ「正しい」

見栄張る必要はないですよ。あなたが心の中のどす黒いものが見えてもわたしはあ

なたを愛していてあなたの為に解決の道を十字架で開いたから隠す必要はないですよ。

正しい者だと虚勢を張らず心貧しい者である事を知って救いを得穏やかに生きなさい。

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2019年03月17日

2019年3月17日 礼拝メッセージ 中西正夫牧師 「父よ。わが霊を御手にゆだねます」ルカ23の44から49 音声で聴く。

父よ。わが霊を御手にゆだねます

ルカ23:44−49 父よ。わが霊を御手にゆだねます

【序】あなたは自分の一生を終える時、どんな言葉をるだろう?感謝な言葉か、或いは愚痴や不満であろうか生きてきたように死ぬとしたら…不安でもある。今日の言葉はキリストが息を引き取る最後の言葉である。この言葉は私達の不安を超えて、私たち素晴らしい安心をもたらす言葉である。


T.死後、天国に行けるという安心

神を信じない人にとって死後に希望ないだろう。病院にも頼れないし家族にも頼れない。しかし死が近づくので不安も襲う。そう考える時、キリストが十字架上で、父なる神にご自分の霊を委ねる事ができる言葉を発せられたことはキリスト信じる者にとって死後の世界の希望をもたらす言葉である。

【適用】パスカルの「信仰の確率遊び」(『パンセ』より)


            死後の世界は無かった(0)=

信じる人生(+1)→死 

死後の世界があった(+1)=+2(天国行きは確実だから)               


死後の世界は無かった(0)=0

信じない人生(0)→死

死後の世界があった(−1)=−1(地獄だとしたら)


U地上の未解決の問題も委ねられる安心

死ぬ時、地上で何もかも達成した感があるかというと疑問である。大概、未完成未解決の問題が残るものである。家族の救いが完成していないという事も大きい。キリストにとっても心の中には深く心に留めておられる弟子たちの事あっただろう。人間的に言えば未解決課題を持っておられたである。しかしそれも「父に委ねる」ことができるのだ詩篇138:8「私たちに関わることを主が成しとげて下さる」

【適用】あなたに未解決の問題がある。家族のこの事、あの事そして救いの事…未完成、心残りもあるだろう、しかしあなたが成し遂げなくてもよいのだ。神が成し遂げて下さるからだ。これは大きな安心ではないか!


V.この安心を得る為に必要な唯一つ事

キリストは「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と祈られた。平安の人生に必要なことはゆだねる」である。ゆだねる」と似た言葉に「任せる」がある。聖書ではどちらも使われているが違い任せる対象は人である。(:レストランお任せコースシェフにお任せ、という事)それに対して「ゆだねる」対象は神である。神を信じる人生とは様々な問題が生じる中で、それを不確かな人間に任せていくのではなく、間違いのない神様を信頼してゆだねていく事である。ゆだねる」とはすっかり「任せる」事である。普段から人当ての任せるではなく神に委ねるを学びたい。

【結】あるが重い荷を背負って歩いている荷車を引く御者がその人に「お乗りなさい、軽くなるから」しばらくして見るとその人は荷台には載っているが背中に荷を負ったままだった。下してないのだ。あなたはどうか?

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2019年03月10日

2019年3月10日「あなたの良心はなんと言っていますか」藤藪庸一師ルカ10章25節〜37節音声で聴く。

ルカ10:25〜37「あなたの良心はなんと言っていますか」


そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」


1、 永遠の命を得るためには

救われるためには

神を愛すること隣人を愛すること

・・・イエス・キリストの十字架


2、 隣人とは誰?

祭司とレビ人にとって、傷つき倒れた人は隣人ではなかったのか?

サマリア人にとって、

宿屋の主人にとって、

・・・強盗に襲われた人にとって誰が隣人となったのか

隣人とは、意思を持ってなるものだ。

一円玉募金を始めた時の証し


3、 サマリア人が隣人としてしたこと

旅の途中の荷物が限られている中でのできる限りの犠牲

敵である相手を助ける決断と行為

支援の輪を広げた宿屋の主人への依頼

余裕がない中で自分のために使うはずだったものを他人のために使うということ

*相手からの感謝を期待しない行為だということ

#一円玉募金をやった結果の証し


4、 あなたも同じようにしなさい

あなたの隣人は誰ですか?


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