2019年05月27日

2019年5月26日礼拝メッセージ 「わたしはあなたの名を呼んだ」イザヤ43章1-4節音声で聴く。

イザヤ43:1−4      「わたしはあなたの名を呼んだ」      19/5.26

【序】あなたは自分が産まれた時の事を親に聞いた事があるだろうか?すると親は「あんたが産まれた時こうだった」と嬉しそうに語り時にはへその緒まで持ってきてくれる。聞く側も素直に幸せな気分になる。その理由は存在そのものに価値を感じられるからだろう。しかし社会に出始めると、やれ成績だ、お金だ、能力だとなる。自分を磨くのはいいが、問題は身につけた物だけで価値が決められてしまう事だ。だから戦々恐々で、安んじる事が出来ない。しかしここに、あなたが何才になっても存在そのものに愛と価値を置くお方のメッセージを伝えたい。その方は「わたしはあなたの名を呼んだ」(1)あなたに語られる神である。

T.誰がそう言われるのか

 「あなたを造りだした方、主はこう言われる」(1)あなたの創造者である神。

Q】「神は果たしているのか?」に答えて。ここにオルガンがあるが作者は知らない。しかし作者の存在を疑う事はない

作品が作者の存在を証するからである。同じように神は目に見えないが、存在される事はその作品を見れば分かる。

:人間の耳にある耳小骨(3,3o)は音を感知する骨だが、人間の骨の中で唯一成長しない骨。生まれた時殆ど見えない

赤ちゃんが親(母)の声だけは明確に感知して記憶していく。もし耳小骨が成長してしまうなら親の声も違って聞こえて

しまう。この仕組みを考えると「デザイナー」(神)がいるとしか考えられない!

U.なぜその神はあなたの名を呼ばれるのか

1.あなたを知っているから呼んでいる

「知っている」とは、あなたの全てを知っているとの意味。どんな境遇でどんな悩み悲しみがあるかも全てを知っている。しかもあなたが神を求める遙か前からあなたの事を知っている。【例】神の子イエスに一度も会った事がないのに木に登って見ていた心虚しいザアカイにイエスは声を掛ける「ザアカイよ」と。罪人としてしか呼ばれなかったザアカイの人生は一変する!

2.あなたを愛しているから呼んでいる 

一般的には、愛とは「好き」になる事だと考えられている。例:あの人を愛している=あの人が好きだ。しかし聖書が語る愛は好きという恋愛を意味しない。聖書的に言えば恋愛はエロスというギリシャ語が使われ、聖書の言う愛はアガペという言葉で、元々違う言葉だ。そのアガペの愛を日本語的にしかも日常的に訳し代えると→「大切にする」が最も相応しい定義だろう。「あの人に愛されている」というのは「あの人に大切にされている」であり、「神はあなたを愛している」は「神はあなたを大切にされている」という事だ。この「大切にされる」という愛は実に大事で、私達はよく「元気が出る、出ない」と表現するが、あなたがたその環境で大切にされている時、あなたに元気が出てくるのであり、あなたがその環境で大切にされていない時、元気が出てこなくなるのである。故に「大切にして下さる」存在を発見するというのは極めて幸せな事だ。

 3.あなたでなければ出来ない使命があるから呼んでいる

「ヤコブ」が「イスラエル」と呼び変えられている(1)。アブラハム、イサク、そしてヤコブという三代にわたる人物の中で最も弱さをもっているのがヤコブ。そのヤコブからイスラエル民族の子どもを与えられる。歴史上の人物でクリスチャンとして活躍した人の中に意外と弱さがあり、神がそれを用いられ大きな使命に生かされた事実がある!

【証】「31歳の誕生日に、私にふさわしいのは死だけだ」と語ったナイチンゲールは命を救う看護師の鏡となった。母とは幼い時に死に別れ、父をインディアンに殺され、婚約者には溺死され、事業箸ポパイ、政界の選挙に5度も落選つづけたリンカーンは人種差別と闘い最も偉大な大統領となった。「自分ほどひねくれ者で僻み屋で怒りっぽい人間はいない」と言ったのは慈父と慕われた5千円札の肖像の新渡戸稲造。

弱さも神にあっては祝福と使命の器になり得るのだ。

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2019年05月21日

2019年5月19日礼拝メッセージ 「生きている方を死人の中で捜すな」ルカ24章1-9節音声で聴く。

ルカ24:1−9     「生きている方を死人の中で捜すな」      19/5.19

【序】私は数十回の結婚式と葬式を行ってきた。結婚式はクリスチャンの場合もそうでない場合も似たような華やかさと喜びがある。しかし葬式は全く違う。クリスチャンの葬儀ほど悲しみを越えた希望を感じる葬儀は他にない。一その希望をもたらした出来事が今日の箇所にある。このテキストを通して三つの事を考えたい。


T.途方に暮れる原因は何か

「女達が途方に暮れていると」(4)とある。その原因は何か?

  主イエスが金曜日に亡くなられ葬られた後、遺体が腐敗しないように「香料」を持ってきたが、遺体がなくなっており、どう対処してよいか途方に暮れたのだ。しかしそれは些か表面的、浅い見方である。というのは8「女達はイエスの御言葉を思い出した」とある。つまり、困った現実に直面した時に、それに支配されて御言葉を思い起こせなかったことが途方に暮れる最大の原因なのである。

【適用】私たちも現実の中で「途方に暮れる」ことがある。それはほとんど自分の経  験や知識だけで判断し行動し、別の展開が可能なのに、無いと諦めているからだ。必要なのは、御言葉を思い起こす事である。すると新しい希望の行動が生まれる。


U.キリストの復活が私たちにもたらしたものは何か

御使いは言った「ここにはおられません。甦られたのです」(6)

キリストは十字架で人類の救いの道を成し遂げて生涯を閉じられた、死で終わりではなかったのだ。死を打ち破り復活されたのだ!しかし強調したいのはキリストの復活は、私たちと深い関係があり希望を与えるものだという事。→ヨハネ11:25「わたしはよみがえりです、命です。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」

 キリストの復活によって信者に死後の永遠の世界が開かれたのである。

 【適用】ある人は「あの人は病に負けたから死んだのだ」と言うがそうではない。天国で新しい働きのためにその人を神が必要とされる時が来たから召されるのだ。地上よりも最も生きる喜びをもたらす天国での奉仕の時が来たのである。死の不安の中にある方よ、この希望を掴んでほしい。


V.命あるものをどこで捜すべきか

御使いは「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」(5)と言った。この言葉は非常に大切な真理を含んでいる。多くの人々は生き甲斐や、生きる喜びという「いのち」を求めているが、その命を「いのちの無い中で捜す」間違いを犯しやすい。「いのち」を持たない地位や富の中で捜しているのではないだろうか。真の命と力は神の手の中にあるのだ。エペソ1:19の実証

【証】「リーダーズダイジェスト」(19963月号)の記事―ランドルフ・バード博士の研究論文(次頁参照)


サンフランシスコ総合病院の冠状動脈疾患集中室の393人の患者をコンピューターが、病院内の治療にプラスして祈ってもらうグループと病院内の治療だけのグループに分けた。どの患者がどのグループに入ったかは誰にも知らされなかった。祈る人たちにも患者の名前と病状についての簡単な説明を知らされただけだった。そして彼らは患者が退院するまで毎日祈るよう支持されたが、患者も祈られている事は知らされていなかった。10か月後祈ってもらった患者は次の重大な益に預かった。

○祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者に比べて抗生物質の投与が1/5で済んだ。

○うっ血性心不全になる確率は、祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者よりも60パーセント低い

○心停止の確率が祈ってもらった患者は祈ってもらわなかった患者よりも50パーセント低い。

研究されていた治療法が「祈り」ではなく、新薬か新しい外科治療なら医学上の大

発見として大々的発表になる事だろう。又懐疑主義者のウイリアム・レーノン医師

でさえ「これが正当な研究なら、我々医師は処方箋に『一日三回祈ること』と書か

ねばならないだろう」と語っている。

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2019年05月12日

2019年5月12日礼拝メッセージ 「ほほえみながら後の日を待つ人」箴言31章25節音声で聴く。

箴言31:25       「微笑みながら後の日を待つ人」        15.5.10

【序】今日は「母の日」母の歌は沢山ある。「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた…」「雨々降れ々母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな…」感謝される歌が多い。一方「父の歌」となると「父よ、あなたは強かった…」(死んでから思い出される!)…日本の母の歌は「優しい母さん」が理想。しかしそれ以上に素晴らしい姿があると聖書は示す。


T.聖書が語る理想のお母さん像

箴言31章は素晴らしいお母さんを描いている。その理想の姿が25節にある→「彼女は…微笑みながら後の日を待つ」(25)=将来を憂えず陽気な心で生きる、これが理想の母の姿。如何に賢い母でも、やりくり上手でも、美人のお母さんでも、イライラ、カリカリ、ガミガミ母さんでは良い事が台無しだ。もしお母さんが「心配しないで微笑みながら後の日を待つ人」になれたら最高なのだ。しかし母ばかりではない。父親も「将来の事は大丈夫」と言い、青年も友人に「行けるよ」と心から言えるなら同様に最高なのだ。将来を憂えない心と生き方は全ての人間の求める姿だ。


U.将来を憂えず陽気な心で生きる事こそ究極の健康法

ある医者談「驚いた。現代医学が辿り着いた究極の健康法は、将来を憂えず陽気な心で生きる事ですが、それが何千年の前に既に聖書に書かれているとは!

確かに多くの医者や研究者たちが「陽気な心で生きる」の益について語る。

【証】米国カリフォルニア大学の医学部教授ノーマン・カズンズの著書『笑いと治癒力』に自らの体験談が書かれている。回復可能五百分の一という難病である膠原病に罹られたが、聖書の「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」(箴言17:22を知り、よく笑うことによって奇跡的に直ることができた、というのだ。そして「病気は笑い事ではないが、笑い事であるべきだ。笑っている場合ではない時こそ、実は笑うべきなのだ」だから「心配しないで陽気な心でいる」のは究極の健康法なのだ。


V.どうしたら微笑みながら後の日を待つ人になれるか?

なぜ将来を憂えて陽気な心で生きれないのか?それは明日が分からず不安だからだもし問題が明日もっと悪くなったらどうしよう…と安心できなくなるからだ。しかし、あなたの確かな明日を示す神がおられる。神は人が聖書を通して確かな道を示しておられる。しかし人はなかなか聖書が確かと言われても信頼しにくい生き物である。そこで神は神の言葉が如何に真実であるかを預言を通して示された。預言の確かさを説明すると、聖書に預言が1500ある。その預言の内1150が既に実現し、残りは外れたのではなく終末の事。その全部が当たったのだ。ひと口に1150が皆実現したと言うが天文学的確立だ。例】100の預言が全部当たる確率は、地球の中をくり抜いて1円玉をぎっしり詰め、目隠しをしてその一つを当てる確率に等しい)事が起こってから書き足した?否!事が起こる前の写本に既に書かれてある!神は明日を全て知りその御心を聖書に示された。故に聖書に従って生きる事程、確かで安心な道は他にないのだ。しかも神は、悪でさえ良いことの計らいとされる方なのだ。故に信頼して進もう!

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