2018年05月28日

2018年5月27日礼拝メッセージ「大丈夫!の福音」-涙の谷を過ぎるとも-詩篇84章5-7節 音声で聴く。

詩篇84:5―7     「大丈夫!の福音」-涙の谷を過ぎるともー     18/5.27

【序】今日のような主題を付けると「そんなこと言ったって、行きたい学校や会社にも行けず、病や挫折もしたし、大丈夫!なんて言えないのではないか?と思われるかもしれない。でも「涙の谷を通るとも大丈夫」なのだという聖書のメッセージお伝えしたい。


T.涙の谷を通る時に避けるべき生き方

涙の谷を歩んでいるとき、人は色々と間違った理由付けを聞かされる。

「悪い星のもとに生まれたから」「過去の失敗の所為でそうなった」とか…それで心が暗くなって前向きに生きれない思いになり易い。でも以下の生き方は避けるべき!

1.良かった探しができなくなること

悲しみ経験が大きいから、それを受容できない時がある。しかし、どんな辛い経験にも感謝すべき事がある筈だ。

    【例】長野県の湯治場「無くなったものを数えるな。有るものを憶えよ」

2.当たらぬ言い訳に終始する生き方

イソップに出てくる狐の様に、手の届かない葡萄を「あれは酸っぱい葡萄」と決めつけて、取る努力をしない生き方。しかし言い訳ばかりでは正しい自己反省も新しい力も得られない。

 3.恨みで生きる生き方

   この不幸をもたらしたのはあの人、環境、神様にある、と恨んで生きている。恨みからは何ものも良いものは生まれない。

U.涙の谷を通る本当の理由

では私たちが涙の谷を通る本当の理由を聖書は語る。

「そこを泉の湧くところとします」(6)

「そこを」=涙の谷そのもの。「そこを泉の湧くところとします」

つまり、あなたが涙の谷を通った或いは通っている理由は「泉の湧く生涯への招き」だったのだ。神の御心は、涙が癒されるだけではなく、その経験を通して、あなたを通して周りの人に泉が湧き上がる様な経験に導く事にある。

V.泉が湧く生涯の秘訣

ではどうしたらそんな泉の湧く生涯へて導かれる事ができるのか?それは悲しみにも負けないという条件だろうか?或いはタフで不屈の精神の持ち主が条件だろうか?違うのだ!聖書は一つだけその秘訣を教えている→「何と幸いなことでしょう。その力があなたにあり、その力があなた(神)にありその心がシオンへの大路にある人」(5)

「シオン」とは神を礼拝する神殿があった丘のこと。つまり特別な人に泉が湧くのではなく、悲しみがあるかもしれないが、それでもそんな中でも神への礼拝の道を淡々と歩む人の中に泉が湧く事を約束しているのだ。

posted by kbcc at 19:12| 礼拝

2018年05月23日

2018年5月20日礼拝メッセージ「赦されないただ一つの罪」ルカ12章10節 音声で聴く。


ルカ12:10      「赦されないただ一つの罪」         18/5.20【序】神様は何でも赦して下さる筈なのに、赦されない罪があるとキリストは言われた。その罪とは大量殺人だろうか?残虐なテロだろうか?…気になる事である。そこで今日のメッセージで、先ず赦されない罪とは何か?第二にそれはなぜ赦されないのか。第三にこの事を通して示される神の御心は何かをお語りしたい。


T.赦されない唯一の罪とは何か

それは「聖霊を汚す」(10) ことが赦されない罪でという事だ。その理解のためには、聖霊の働きを知る必要がある。Tコリント12:3「聖霊によらなければ誰もイエスを主と言う事は出来ない」つまりこの聖霊は「イエス様は私の罪からの救い主です」という告白に導くお方であり、聖霊を汚すとは「キリストを受け入れない事」だ。

【適用】キリスト教というのは善人だったら救われ、悪人だったら救われない、というのではない。【例】殺人を犯した悪人Aと善人BAは刑務所に入れられ、そこで牧師から聖書の話を聞き、心から罪を認め悔い改めキリストを受け入れた。善人Bは教会で聖書の話を聞いたが、罪を認めずキリストを受け入れる必要はないとした。つまりAは聖霊に従ってキリストを受け入れたが、Bは聖霊に従わずキりストを受け入れなかった。それゆえAは死後、罪の赦しを得て天国に行けるが、Bは残念ながら死後罪の赦しを得ないで天国には行けない。善人がどうして?と思うかもしれないが、真の善人ならば、自分が良心に恥じる罪もある事を謙虚に認め、従ってキリストに救いを求める筈。だから全ての人は罪を正直に認めてキリストを信じる聖霊の働きに従うかどうかが問われている。


U.なぜ聖霊に逆らう罪は赦されないのか

それは神が折角我々人間のために御子の命を犠牲にしてまで開いて下さった唯一の救いの道を拒む事になるからである。つまりキリストは神の位を捨てて人となり十字架で人類の罪を負い身代わりに裁きを受けて下さった。それ程の神の愛を無視し、十字架の救いを不要とし福音を信じない事であるので、これは最大の罪なのである。

【適用】聖書は人間の罪を四つ定義する。→「不法」(法を破る)「不善」(道徳的罪)「不義」(十戒を破る罪神の前の罪)「不信」―この中で最大の罪は「不信」である。

【例】家庭裁判所に勤める知人の話…幸福な家庭とはお父さんをお父さん、お母さんをお母さんと呼べる家庭。そう呼べない家庭を多く見てきた。親と子に信頼が無くなる不信の関係は最大の不幸。

V.この事を通してわかる神の御心は何か

神はそれ以外の罪を赦してくださるし、また私達もお互い赦しなさい、という事。コロサイ3:12「主があなたがたを赦したようにあなたがたもそうしなさい」と赦しをお互い生かし合いなさいと勧められている。しかし人間関係で最も難しいのは赦しだ。簡単にはいかない。それだけに赦しの葛藤とその勝利の祝福の証は心を打つ。

【ピーター南の証】次頁参照

ピーター南の証

韓国から米国に渡り、お金さえあれば何でも手に入ると考え必死でビジネスを展開し非常に成功したが、心は虚しくお酒を飲み過ぎて中毒になり肝硬変で体が衰弱。医者から「このままなら3か月で死ぬ」と言われ、死の不安に直面。必死で救いを求めた時、一度も読んだことのない聖書に出会いキリストによる救いを得た。

その後、カリフォルニア州に自分のようなビジネスマンの救いと成長のためのリゾートキャンプ場を建設したいと計画。幸い65万ドルの土地物件が紹介されたが手元には15万ドルしかなかったが、残額は数年後でよいと言われて契約。しかし後になって話が違い3か月後に残額50万ドルの支払いを請求されてしまった。祈っていたらマルコ11:2324を示され、不要な山を売ればいいのだと三か月間毎日朝から晩まで祈り続け、祈った後は、山に向かって「山よ、移れ」と命じてきたが、山は一向に動かない。それである日、神にこう呟いた「今まで信じてきたのに御言葉がその通りになりません。もうこれで万策尽きました。今まで信じてきた御言葉が信じられなければ何を信じるんですか。神様、さようなら。」すると神の声ならざる声が聞こえてきた「あなたはどうして御言葉を勝手に半分だけ聞くのか、まだ後があるだろう」と25節の御言葉を示された。そこにはこう書かれていた「又立って祈っている時に誰かに対して恨みごとがあったら赦してやりなさい。そうすれば天におられる父もあなたがたの罪を赦して下さいます」。その時、思い当たることがあった。それはこのキャンプ場建設に加わった人が最初百名ほどいたが、だんだん難しい問題が生じた時離れ、そのうち二人が他の人を動かして協力させないようにしていたのであり、又返済額の支払い時期を早めるようにしたのもその二人であった。その二人を憎んでいた事を示されたのである。向こうが悪いのだから、という気持ちであったが、神は「先ずあなたが赦しなさい」と言われ十字架のキリストの祈りを示され遂に赦しができたのだった。その祈りの6日後、答えが来た。有る人が「高速道路のために土がいるのであの山を売ってくれませんか」と返済額をはるかに越える額を提示され借金は見事に完済した!

赦しには大きな祝福が伴うのだ!

posted by kbcc at 17:11| 礼拝

2018年05月15日

2018年5月13日礼拝メッセージ「恐れなくてよい」ルカ12章4-7節 音声で聴く。


ルカ12:4−7        「恐れなくてよい」         18.5.13

【序】猫はネズミを恐れない。恐れるのはネズミと相場が決まっている。しかし猫がネズミを見る度に電気ショックをかけると、ネズミを見た途端に怯える猫が出来上がる。実力から言えば断然猫の方が強いが、恐れが実力を発揮させないのである。私達も様々な恐れに囲まれる時があり、恐れのために問題に取り組む力を失わせる。恐れから解放されたいものだ。しかしキリストはそんな私たちに励ましを下さる。「恐れる事はない」と題してメッセージしたい。

キリストが「恐れなくてよい」と言われる理由を三つ今日の聖書からあげたい:

T.あなたが恐れているものがあなたの運命を決定づけるのではないから

私達は仕事上の行きづまりや、病気や、経済的危機や、家庭の問題を恐れ、それが自分の運命を決定づけると思いがちであるが、そうではない。

「体を殺しても後はそれ以上何もできない人間たちを恐れるな…殺した後でゲヘナに投げ込む権威のある方を恐れなさい」(45

・私達の運命を決定づけるのは、私達が恐れている問題や人ではなく、私達の創造者である神なのだ!故に神を畏れ敬う事こそ、様々な恐れから解放をもたらすのだ。

【証】神学校の講師マックスウエル博士の証少年期、悪さをしようとしても母から「神様が見ている」と言われてきたために神が怖く疎ましくさえあった。しかし長じて神が知っておられる、という真理は慰めになった、何故なら人に誤解され、どう説明してもうまく行かない時、神が知っていて下さるのだ、は慰めだった、


U.小さな事でさえ主の顧みがあるから

「五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも神の御前には忘れられてはいません」(6)(雀一羽―百円)つまりキリストは、そんな小さく価値のない雀さえ神の御前に忘れられない→ましてや私たちの小さな小さな事柄にも心に留めてくださる。

【証】10年ほど前、妻に頼まれ銀行に5万円入金する必要があった。なぜか新券5枚を通帳に挟んで17階のマンションから階段で下り車で教会に寄ったら来客があり、1時間程して銀行に行き入金しようとしたら通帳のお金がない!頭は真っ白。教会に戻り必死に探したが無い!マンションまで戻り階段を逆に上がって行ったが無い!ダメだ!と諦めかけたとき、我が家と隣の家の通路にピタッとお金がへばりついていた!新券だからこその事!

正に私のミスもカバーし新券という事も御手の中にあり、守ってくださった!


V.あなたはキリストの「友」であるから

「わたしの友であるあなたがたに言います」(4)

キリストが「友」と言われる時いかなる意味か?キリストにとって「友」とは、「友のためにいのちを捨てる」(ヨハネ15:13存在なのだ。あなたのためにはわたしの命は惜しくはありません、と事実、キリストはあなたのために十字架で命を文字通り捨ててくださった。それ程の愛の対象だ。だからそれほどの愛であなたを今も見守っていてい下さるのだ。時に自分の思うような守られ方ではないかもしれないが、あなたの全人生を知った上での最善の守りなのだ。神を信頼して恐れから解放されよう!

posted by kbcc at 21:14| 礼拝