2018年10月28日

2018年10月28日礼拝メッセージ 「人生の嵐に悩む時」マルコ4章35−41節音声で聴く。   

「人生の嵐に悩む時」マルコ4章35−41節

【序】人生、スイスイと行ってほしいが、現実は様々な嵐が起こる。健康の事、家族の事、人間関係、経済の事…そんな時不安に襲われる今日の聖書はそのような嵐の時に知るべき三つの真理があると教えている伝えたい。


T.自分のが通用しない嵐がある

キリストの弟子達は漁師であり湖のプロであったが、その湖で嵐に会いキリストに「どうしてそんなに怖がるのか」(40)と言われた程パニックになった。私達も経験を積んだ環境なのに自分の知恵や力が通用しない人生の嵐を経験する。

【適用】世には神様なんか信じなくても自分の知識、経験で何とかやっていけると語る自信家がいるが、それは自分の力で何とかできる範囲の嵐しか経験してこなかっただけ。しかし人はローソクの火の上に1分と手を置いておけない無力の存在。自然の嵐にも怯えるものだが、心の嵐―憎しみ、妬み、怒りを鎮める事さえできない存在。ましてや死がひたひた寄ってくる時、自分に頼れるか?だから強がる事をやめよう。素晴らしい事に、恐れの時は、今までの力とは別の新しい神の力を知る時なのだ。なので神はその祝福に導こうとされている


U.人生の嵐の時してはいけない事がある

1.自分で運命を決めてしまう事

世の嵐に囲まれる時の悪い考えは自分の将来を勝手にもうダメと決めてしまう事。「私達が溺れて死にそう」(38)と断定しているが、そうではない。人間の未来を決定するのは神なのだ。適用自分ダメだと劣等感に陥り未来は開けないと悩む時があるが、ダメかダメでないかを決めるのは自分ではなく自分を造られた神なのだ。ダメなら神があなたをその嵐を通らせない筈。意味がある。

2.僻む事

嵐の中で弟子達は「何とも思われないのですか」(38)と僻んだ言葉を語っている。

キリストが知らんぷりをしていると間違って思っているのだ。僻みとは一種の誤解なのだ。嵐の時、誰がいなくても神がおられるのに誰もわかってくれないという僻み。聖書のマルタもそうだったがこれは攻撃的な心を作ってしまう。


V.嵐を沈めるお方がいる事を知る

「黙れ。静まれ。すると風は止み大凪になった」(39)

私達は人生の嵐を沈める力はなく慌てふためくばかりだが、感謝な事キリストは天地創造された神の御子である方だから、その手の作品である自然を支配できるお方しかも私たちの人生に同船し「嵐」を沈めてくださる!

【適用】私は人生の嵐の時、神に信頼できないで、悪い結果になったらどうしようとひとり孤独で悩みやすい。しかし覚えたいことは、私たちの未来がどん底になるような事態になり一人ぼっちになるように思えた時でさえ、下支えして下さる神様がおられるという事だ。申命記33:27「昔よりの神は済む家、永遠の腕が下に」

【結び】心配性の方への励まし…主は「思い煩うな」と言われたが中々そうできない。何度も委ねた積もりが又煩い。自分は小さな信仰だと嘆く。しかし主にしてみれば心配などどこ吹く風という人よりも、心配ばかりする私たちの方が「よし分かった!任せなさい」と仰り甲斐があるだろう!

posted by kbcc at 21:18| 礼拝

2018年10月22日

2018年10月21日礼拝メッセージ「成功したのに満たせなかった人」ルカ19:1-10音声で聴く。   

ルカ19:1−10成功したのに満たせなかった人」  

【序】TV番組に「なんでも鑑定団」がある。「お宝」を鑑定士から価値を付けてもらうのだが、数千万円という評価で大喜びもあれば百万円で買ったが偽物で5千円、聴衆の笑いを誘う→結局価値は誰が作者かが決定的。聖書によると、あなたの作者は最高に偉大な神であり、それ故あなた自身に素晴らしい価値があるのだが、今日出てくる人物は違うもので自分を価値づけようとした人である。しかしやがて真に価値づけをして下さる方に出会う。伝えたい。


T.ザアカイが目指したもの 

「取税人のかしらで金持ち」(2)仕事で成功し地位と富を得、それによって自分を価値づけようと生きたのだ。これは今日多くの人が求める生き方で、凡そ人が幸福と考えるものを悉く手にした筈だが…彼は幸せではなかった。

U.成功者になったのに意外な虚しさ

@思ったほど満足感なし

 彼は成功者となったが、どうしてもキリストに会いたいと思い、大人げもなく無花果桑の木に登ってまで見ようとする(3,4)。キリストは全く地位や富に縁が無く愛の極みの様な方。もしザアカイが地位と富で満足していたら、どうしてもキリストに会いたいとは思わない筈。これは彼が地位やと富で満足できなかったという事。  

なぜ富や地位で自分を価値づけることができないのか?→「神は人の心に永遠を与えられた」(伝3:11)つまり神に造られた人間はその心に永遠なる神を受け入れて初めて満足できるのに、この世の一時的なものでは満足できない様に造られている。

 A愛されない孤独

「罪人」(7)と呼ばれる→愛されてないという事!人々は仕事上自分の所に来るが、人間として愛されてない寂しさ! 

  【適用】孤独というのは内気とか友達付き合いが下手だからという理由で孤独なのではない。人は最後まで頼りになる友を持っていないという理由で全ての人が孤独なのだ。両親も友人もお金も地位も最後まで頼りにならない。ザアカイは堪らない孤独を感じた。

 B罪を自覚し始めた

   「私がだまし取ったものは…」(8) これは素晴らしい自覚なのだ。罪を犯したことは悪だが、その自覚があるかないかが大切だ。

【例】教会学校教師が生徒に尋ねた「キミは死んだら天国に行けるかな?地獄かな?」生徒「良い事をした人は天国に行け、悪い事をした人は地獄と思います。僕は良い事も悪い事も両方したので中国です」!!!

しかし良い行いの人が天国に行き悪い行いの人は地獄に行くのではない。聖書によれば「全ての人は罪を犯した」(ローマ3:23)とある。∴全ての人はそのままでは天国に行けない。ただ罪を素直に認める事が救いの始まり!ザアカイにこの自覚が生まれた。

V.虚しさからの救い

上記の三つの心の虚しさを払拭する方に出会った→キリストである!

@会った事もないのに自分の名前を知って名前で呼んでくれた(罪人と呼ばれていたのに)

A自分を価値ある者と認めてくれた(「アブラハムの子」とはユダヤ人にとって最高の扱い)

B自分を責めずに受け入れてくれた(→自ら罪の告白)

posted by kbcc at 08:21| 礼拝

2018年10月16日

2018年10月14日礼拝メッセージ「大いなる出会い」ルカ18:35−43音声で聴く。   

【序】あなたはどんな人と出会いたいか?もしその出会いが生涯忘れられない救いを与える出会いならどんな嬉しいことだろう。今日出てくる人物は低いセルフイメージで生かされてきた人であるが、そんな人がキリストに出会い大きく人生が変えられていく。「大いなる救い」と題してメッセージしたい


Tバルテマイの環境 

エリコの町の門前に生まれつき盲人が物乞いをしていた。ルカ伝では名前が書かれてないがマルコ10:46では「バルテマイ」とあるしかしこの名前は変な名前だ意味は「テマイの息子(バル)」。つまり親は子が盲目だからと言う理由で名前を付けず、親の名前を使って「テマイの息子」と呼んでいた。自分の名前を付けてもらえないのだ。障害も大きな悩みだが、それ以上に自分の存在に価値を見いだせないことほど生きる力を失わせるものはない。価値を与えられない環境は生きる意味を失わせるのだ。ここに彼の深い苦悩と絶望がある

【例】最も残酷な漫画が日米にある

チャーリーブラウンが友人ライナスに呟く「出版社から原稿不採用だ」「どんな作家もそれを経験してるよ」

「そうじゃないんだ、原稿送る前に不採用通知が来るんだ、君では力不足だ」と。

  ○「ドラえもん」 ジャイアンのセリフ「のび太のくせに生意気だぞ!」

【適用】現代の傾向として親は子供を「甘やかしすぎ」か「ガミガミ叱る」のどちらかになり易い。親の務めは三つ@善悪の基準を教えるA存在自体に価値を与えるB神と人を愛するという目標に生かす事


U.バルテマイの出会い

しかしそんな彼の置かれた道をあるお方通られるという。彼は尋ねた「一体何事ですか?」(36)「ナザレのイエスが通られる」(37)それは彼に期待を抱かせた→盲人に光を、死人は甦り、嵐を静め、闇の中にある者に生きる力を与えるイエスという方。彼の前をイエスが通る。心は弾んだ。変われるかもしれない

【適用】どんな人も人生のどこかで素晴らしい出会いを経験するチャンスがある。現在他人から強いられた人生に見える時かもしれないが、あなたの苦悩を知られるキリストはあなたを祝福しようと出会われる。あなたも今教会に導かれたということ自体神との出会いに導かれている!


V.バルテマイの救いー救いと願い実現の道

@願いの対象を明確にする事―キリストへの信仰「ダビデの子よ」(39)救い主

  【適用】求道者の方よ、要はキリストがあなたにとってどういう方かが分かる事だ。

A明確に言葉で言い表す「私に何をしてほしいのか」主は御存知だが敢えて尋ねられる

「主よ。見えるようになる事です」(41言葉で明確に表した時心と体の闇が開眼した。

【適用】ある人は救いを願っていても、その思いをイエスに表さないで、心の中にしまったままではないか?願っているだけでは何も起こらない。主はあなたが自分の思いを直接表現して求めてくる事を願っておられる。

posted by kbcc at 01:50| 礼拝